第8話 騒がしい朝
暖かな陽の光が窓から差し込む。
小鳥達が春の歌声を奏でる中、部屋に目覚まし時計のアラームが鳴り響た。
「うーん……」
さながらゾンビのような唸り声を上げ、目覚ましのアラームを止める。
平日の朝は早い。両親がいないとなれば尚更だ。
俺が妹の分まで朝食を作らないといけない。
重い目蓋を擦り、時計に目をやる。
「……はあ!?」
時刻を確認した俺は一瞬で覚醒するとともに叫んだ。
俺が大声を出したからか、梓が唸り声を上げる。
時計が指していた時刻は八時過ぎ。
始業時間まで二十分もない。
「梓! 今すぐに起きろ!」
「……朝からうるさいぞ幸久」
「このアラームお前がセットしたのか!?」
「当たり前だ。幸久の起きる時間は早すぎて、私はまだ眠いんだ」
寝る前によく確認すべきだった!
叱りたい気持ちもあるが、そんなことをしている暇はない。
時間がないので朝食もパンで済ませよう。
「早く準備しろ! 遅刻するぞ!」
あぁ、どうしてこんなことに……。
こういうときに両親のどちらかでもいればどんなにいいことか……。
遠野家の慌ただしい朝が始まった。
* * *
準備を終えた俺と梓は急いで家を飛び出した。
走ればギリギリ間に合う時間だ。
できるだけ信号の少ない道を選びつつ、二人揃って街中を猛ダッシュ。
なんとか学園に辿り着くと、梓がへとへとになっていた。
「ゆ、幸久……。教室まで連れてってくれ……」
普段から運動をしない梓はもうふらふらで、このままでは間に合いそうにない。
一年生の教室に行くと二年生の教室を通り過ぎることになるのだが、そこは仕方ない。
「あーもう。わかったから。早く行くぞ」
俺は足を止めていた梓を担ぎ、走って一年の教室に向かう。
俗に言うお姫様抱っこなのだが、それには運びやすいという理由がある。
走るとなると、背中に背負うのは割と安定しない。梓がずり落ちてしまう。
そんなこんなで梓を運ぶときは、お姫様抱っこになってしまった。
俺も梓も慣れてしまったから、特に何も起きないけど。
二年生の教室を通り過ぎ、一年生の教室がある廊下まで来た。
そして、一年C組の教室のドアを開け、梓を雑に放り投げた。
「幸久! 投げ――」
俺は梓の言葉を聞かず、自分の教室へと向かった。
注目を浴びただろうが、一瞬だけなので然程気にならない。
二年の教室がある廊下の手前まで来ると、本鈴が鳴った。
本鈴が鳴り終わるか、担任が来るまでに教室に入らないと遅刻になってしまう。
必死になって走っていると、廊下の先に月嶋先生が歩いていた。
「ん……?」
近づいてくる足音に気づいたらしく、後ろを振り返った。
俺に気づくと、その場で立ち止まる。
「はっはっは! 遠野! 遅刻になりたくなければ躱してみろ!」
幅に限りのある廊下だというのに、腕を大きく広げる。
「あんたそれでも担任かよ!?」
生徒を遅刻させようとするとは酷い担任だ。
左のほうが若干通れる間が広いが、それは月嶋先生もわかっているはず。
なら、左に行くと見せかけて右だ!
俺は先生の前まで来ると、サッカー部の如くフェイントを仕掛け、月嶋先生の横を駆け抜ける。
「くそっ! 待て!」
「待つわけないでしょうが!」
走る俺の後ろを追いかけて来るが、教室はもう目の前。
ドアを勢いよく開け、教室に飛び込む。
よしっ、勝った――。
「うわっ!」
「おっ?」
そう思った瞬間、硬い物体に顔をぶつけた。
「……痛い」
硬い物体から頭を離す。
すると、目の前には驚いている悠の姿が。
悠は突然のことであまり状況を把握できていない様子だ。
お互いに会話もなく時間が過ぎていく中、俺は状況を整理する。
教室に飛び込んでところで、硬い何かに頭をぶつけた。
その物体から離れると目の前には悠の姿があった。
俺は悠の胸元を見る。
なるほど。どうやら俺は悠の胸に顔をぶつけたらしい。
俺が状況を整理している間に、悠も状況が整理できたのか、俺をじっと見つめていた。
「……あたしの胸、どうだった?」
にっこりと笑顔で問われる。
笑顔のはずなのに目が笑っていない。
「あの……えっと……」
「あなた、痛いって言いましたよね?」
「はい……」
「おかしいですね〜? 女の子のふわふわの胸にぶつかったはずですよね〜?」
「そ、そうっすね……」
悠が怖くて、俺はただ返事をすることしかできない。
「まるで幸が尋問されてるみたいだな」
「尋問で合ってるでしょ」
サクと楠の会話が聞こえてきた。
二人に救いの眼差しを向けるが、反応は返ってこない。
なんて薄情者なんだ! 俺の親友達は!
「その胸の何処がふわふわなんだか……」
「あ?」
ポツリと呟くように言ったつもりだったが、悠に聞こえていたらしく、更に怒りを買ってしまった。
悠は右手を握り、俺に向けて構える。
「悠っ、一旦落ち着こう! ちゃんと話し合えば――」
「問答無用っ!」
「ぐほぉ!?」
腹に悠の右ストレートが直撃し、俺はその場に倒れた。
いくつもの部活に助っ人として行くだけはある。そこらの女子とは全く違う。
「あ、遠野が死んだ」
楠が俺を心配そうに見つめる。
楠、死んではないぞ。死にそうではあるけど。
「あースッキリした」
悠は満足そうな笑みを浮かべる。
心なしかキラキラと輝いていた。
「朝比奈、良くやった」
俺の後に教室に入ってきた月嶋先生が、悠の肩をポンと叩く。
今ここで事件起きてますけど。生徒間の暴行事件ですよ?
先生に訴えたいが、今は立場が弱くて何も言えねぇ……。
まあ、悠側の月嶋先生に訴えたところで、公平なジャッジは下らないだろう。
俺の有罪が確定して幕を閉じる。多分。
「遠野、朝からセクハラとは……。お前もいい度胸してるな」
体を起こして俺に近づいてくると、月嶋先生が俺にそう言った。
特に怒っている様子はない。どちらかというと褒めているようだった。全く嬉しくないけど。
俺だってしたくてセクハラしたわけじゃない。あれは不可抗力だ。
「でもさっきは悠に良くやったって……」
「お前を遅刻にできなかったからな。さっきの右ストレートはその分もあったと思え」
「遅刻にならなかったのは俺のせいじゃないと思うんですが……」
周りにいるクラスメイト達は、俺達の馬鹿なやり取りを見て笑っていた。
騒がしくもあり、平和な日常に乾杯。
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