第5話 遠野家の日常

 家に着く頃には空も暗くなってきていた。

 ぽつぽつと街灯も点きはじめ、人通りも目に見えて減っている。


 家のドアを引き、玄関へと入る。


「ただいまー」

「遅いぞ、幸久。一体何をしていた」

「すまんすまん。クラスメイトの手伝いをしててな」


 俺が家に帰ってくるなり不満を言ってきたのは俺の一つ下の妹の梓。同じ風袮学園の高等部一年生だ。

 普段はツインテールにしているみたいだが、家ではいつも髪を下ろしている。


 昔は「お兄ちゃん」と言ってくれていたのに、今では名前を呼び捨てにされている。

 生意気な妹だが素直なところもあり、昔と変わらず愛らしい妹だ。


 身長は百四十五センチとかなり低く、胸もそこまで育っていない。本当に俺の一つ下かと疑いたくなる。

 その容姿がサクにはストライクゾーンなのか、未だに梓に向けられるあいつの視線は気持ち悪い。

 いやほんと、まじで勘弁してほしい。

 親友の妹に告白とか狂気の沙汰だろ。


「……女か」


 妹ながら鋭いな……。女の感というやつか。


「確かに女子だけど、ただ部室の掃除を手伝ってただけだよ」

「何をしてたかはどうでもいい。妹よりクラスメイトを優先するとは何事だ!」


 仕方ないだろ。脅迫されてたんだから。もし断ったら俺が社会的に死んでしまう。

 もしあの写真のことがバレてしまえば梓にも嫌われかねない。


「罰として幸久は私とゲームをする刑に処す」


 何とも可愛らしい刑罰が下ってしまった。


「はいはい、後でな」


 先に洗濯物を取り込まないと忘れてしまいそうだ。

 まだ怒っているようなので、宥めるように梓の頭を軽く撫でる。


「んっ……」


 触れた瞬間は驚いて、身をよじって逃げようとするが、頭を撫で続けているうちに顔がニヤけていた。


「えへ……えへへ……」


 うむ、もう大丈夫そうかな。

 そう思い梓の頭から手を離すと、物欲しそうな瞳で顔を見つめられた。

 洗濯物を取り込みに行きたいのだが、梓に逆らえるはずもなく……。


「えへ……えへへ……」


 結局、梓が満足するまで撫で続けることになった。


 両親が仕事で海外に行くことになったとき、俺は親を何とか説得してこの街に残った。最初は梓も両親についていく予定だったが、俺がこの街に残ることを知ると、自分も残ると言い出して聞かなかった。

 結果、俺と梓の二人で暮らすこととなり、毎月両親から仕送りを貰って生活している。

 家事が全くできなかった梓も、今は少しだけできるようになっている。


 洗濯物を取り込み終え、今度は夕飯を作っている。

 梓は少し家事ができるようになったとはいえ、まだ不慣れなことも多く、ほとんどの家事は俺一人で行っている。

 いつか家事マスターにでもなれるんじゃないか。


「梓、そろそろ夕飯できるからゲーム終われよ」

「へーい」


 本当に分かっているんだろうか。

 戸棚から二人分の皿を取り出し、そこに料理を盛って机に並べる。

 エプロンを外し、リビングのソファでゲームをしている梓を呼びに行く。


「おーい梓」


 どうやらゲームに熱中しているようで気づいていないらしい。

 今度は肩を軽く叩くとビクッと反応した。

 すると、テレビの画面にはGAMEOVERの表示が。


「あ……」


 やってしまった……。

 梓はプルプルと体を震わせ、大変お怒りのようだ。


「ゆぅぅきぃぃひぃぃさぁぁ!」


 梓は立ち上がると、俺の胸をポカポカと叩き始めた。

 痛い痛い。


「今日は幸久と一緒に寝てやらん!」


 それは果たして俺への罰なのだろうか。

 梓はその気なのかもしれないが、俺はそうとは感じない。


 梓はそのままテーブルの自分の椅子に座った。俺も食べるか。


「「いただきます」」


 二人で手を合わせる。

 カチャカチャと音を立てながら、料理を口に運んでいく。


「おい、幸久」

「どうした?」

「何故ピーマンが入っている? 私はピーマンが嫌いなのを幸久は知っているはずだ!」


 やっべ。梓の分だけ抜くの忘れてた。

 今日は怒らせてばっかりだ。


「ピーマン食べたら一緒にゲームしてやるぞ」


 これ以上梓を怒らせるのは悪いとは思うが、そろそろピーマンくらい食えるようになって欲しい。


「うっ……。ピーマンは嫌だ……。でも幸久とゲームが……」


 なんか適当に言ったことにすごい悩んでる。

 その後、考えに考え、ピーマンを口の中に入れた。

 お、おぉ。あの梓がピーマンを食べた。

 それでもピーマンは苦手なままのようで、顔をしかめている。


「おぉ、偉いぞ〜梓」


 俺はつい手を伸ばし、梓の頭を撫でる。


「幸久、気持ち悪いぞ」

「きっ、きもっ?!」


 遠慮ない妹の批判に、俺のガラスのハートがパリーンと砕ける。

 親父、母さん。相変わらずうちの妹は手厳しいです。


「ん? よく考えれば幸久には私とゲームをする罰があるから、ピーマンを食べる必要はなかったんじゃ……」


 梓は俺を睨む。

 どうやらバレてしまったらしい。

 俺は誤魔化すように口笛を吹く。


「よくも騙したな!」


 梓は箸で摘んだピーマンを器用に俺の口の中に入れる。

 それを俺はおいしくいただく。


「うまいぞ」

「そんな……ピーマンをおいしく感じるなど……」


 梓は箸を持った手を震わせる。


「幸久、お前は人間じゃない」


 世界中の人間を敵に回す発言と同時に、人間失格の烙印を押されてしまった。

 ピーマンくらいで大袈裟な。


「いいか? 苦味は本来毒物を摂取しないために人間に備わっている機能だ。それを美味いと感じて食事をするなど、味覚機能に障害があるとしか思えん」


 普通の子供なら好き嫌いで話が終わるのに、梓はこうして流暢に話すから厄介だ。


「毒かもしれないものをわざわざ食べようなどと考えたやつは頭がどうかしている」


 ついには先人までディスり始めた。祟られるぞ。


「つまりピーマンは野菜などではなく毒だ」

「その毒を俺の口に入れたのか?」

「安心しろ。幸久にその毒は効かん」

「どういう理論だ……」


 まあ、嫌いなものを無理に食べさせて好き嫌いを加速させるのも悪いしな。残りのピーマンは俺が食べてやろう。


「ほら」


 俺は自分の皿を梓に近づける。


「よくわかってるじゃないか」


 梓は器用に箸でピーマンだけを摘み、次々と俺の皿にピーマンを移していく。

 俺の皿から肉を取るのが見えたが、気のせいということにしておこう。

 俺の手元に帰ってきた皿にはピーマンが盛られ、緑の小山ができていた。


 次からもっとピーマンは減らしておこう……。

 そう心に誓った。


     *     *     *


 食事が終わり、梓はゲームをやりにソファに戻った。

 皿やフライパンを洗ってから、約束通り一緒にゲームをするために俺もソファに座る。


 梓がやっているゲームは様々なキャラを使って十人で対戦するレースゲームで、コース上にあるアイテムなどを駆使して競う、運要素もあるものだ。


 梓からコントローラーを受け取り、キャラクターを選択する。

 対戦相手が決まると、流れるようにステージが決まり、レース開始のカウントダウンが始まる。


「ふっふっふ、私のドライブテクニックをみせてやる!」


 梓がカウントダウンがゼロになると同時にそう言い、好調な出だしをして上位陣と争っている。

 かくいう俺はスタートダッシュに失敗し、下位から二番目を走っていた。


「どけどけ〜!」


 俺が二周目に入りかかると、梓は他の上位陣と差をつけ、一位を独走していた。

 一方で俺を含む梓以外は団子状態となっており、アイテムが騒がしいくらいに飛び交っていた。


「お、なんかミサイルのアイテム来た」


 それを使うとコースの先を飛んで行き、俺の画面からは見えなくなった。

 その直後、梓の画面で警告が鳴り、梓の操作するキャラとともに爆発した。


「ぎゃああああああああ! なんてことをするんだ幸久!」


 梓は悲鳴を上げると、俺の脛を足で蹴ってきた。


「痛い! 痛いからやめて!」


 結果、そのレースは梓が変わらず一位となり、俺は六位という微妙な順位になってしまった。

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