実ははじめての『あーん』
「春樹、どこに行くつもりなの?」
「適当に歩いて見つけるつもり」
俺は彩雪にそうとだけ言って歩き始める。ここは自宅のような住宅地から数駅離れていることもあって、オフィス街としての発展を遂げていて、辺りを見渡すとサラリーマンやOLの姿を見ることができる。ちなみに俺の父さんもこの近くで働いている。
それから、駅のほうに向かって歩いて数分。飲食関係の店はなかなか無く、まだ俺たちは店の入っていない。結局、駅の近くに行けばいろいろな施設が集まっているので、そこで見つければいいだろうという話になった。
「この時間から行ってもこんでいないかしら?」
「これ以上待ったら、飲み会とかでなおさら酷くなりそうだけどな」
「それもそうね」
彩雪はそう返しながらも後ろを気にするように振り向いた。彩雪のこの不審な行動は先ほどから続いている。あまりにも不審だったので……
「彩雪、さっきからどうしたんだ?」
こう聞いてみても
「なんでもないわよ!」
としか言わない始末。
「それよりも、あそこなんてどうかしら!?」
俺の疑問を誤魔化すかのように、ある店を進める彩雪。そこは全国チェーンも果たしているとんこつラーメンの店だった。
「……彩雪、明日って仕事あるか?」
「ん? 別にないけれど……」
匂いとか気にするのかと思ったが、仕事がないなら問題もないだろう。
「それにしても意外だな。彩雪が自らああいう店をすすめるのって」
「そ、そんなことないわよ! こ、声を出してたらお腹が減ってきちゃって! あ、あはは……」
確かに、彩雪はレッスンがあったと言っていたので空腹もあるだろう。だとしても、様子がおかしいのには変わりないのだが……
「彩雪。なんか隠していることあるか?」
「え!? そんなことないわよ! 私が春樹たちに隠し事をするわけないでしょ!?」
「俺が言えたことじゃないけど声優のこと隠していたよな?」
「あ、あうぅ…… それは、その恥ずかしかったから……」
「まぁ、別にいいや…… なんかあったら言えよ」
彩雪が困っているわけではなさそうなので、別に深く聞くことはないだろう。
そんなことを話しながらも俺と彩雪は目当ての店に入る。その店は発券機で注文する方式ではなく、店員さんが直接聞いてくるというものだ。
「ご注文はおきまりでしょうか?」
注文を聞きに来たのは小柄な女性の店員だった。それから俺は彩雪と目配せをしてこう言った。
「「うさぎで」」
「え、えっと……? ご注文は……?」
俺たちは外食をするときにこういう風にボケることがある。元々は彩雪があのアニメにはまった時に間違えて言ったものだ。その時の店員さんが面白可愛い反応をしてくれたので、それを今も続けているのだ。まったく困った客もいるものだな。
「この唐揚げセットでお願いします 春樹はどうする?」
「じゃあ俺はAセットで」
Aセットは明太子の乗ったご飯が付いてくるセットだ。これにラーメンの豚骨スープをかけるとめちゃくちゃ旨いんだよな……
「かしこまりました!」
店員さんは注文を取り終えて厨房に向かった。「唐揚げとAとウサギ! じゃ、じゃなくて! 唐揚げとAでーす!」と言った。彩雪はその様子を見て「可愛いわね」とだけ言った。
それから、店員さんを2人で観察していたら、俺らのすぐ後に入ってきた男の人に注文を取りに行った。その男の人は「ご注文はおきまりでしょうか?」と俺たちに言ったのと同じ言葉で聞いた。しかし、男の人はそれに気が付いていないようだった。
「あの店員さんも2連続でかわいそうだな」
俺がそういうと彩雪はコクリと頷いてみせるだけだった。
「……? あー、彩雪にしては結構食べるんだな」
「……ね。や………………すい…………ら」
「いや、なんて言ったの? 聞こえなかったんだけど……」
「おなかがすいていたからって言ったのよ!」
彩雪は小さな声で何かに脅えるように言ってきた。その目線は店員さんのほうを向いている。それに気が付いた店員さんは高めの声で「どうしましたか」と聞いてくる。
彩雪はそれに対して「なんでもないですよ」とだけ言うが、どうも顔色が優れないよう。
「彩雪、体調悪かったら言えよ」
「うん。ありがとう」
彩雪はそう言うが時間が経つにつれて、顔色は悪くなる一方だ。ついには体をブルブルと震わすようになっていった。
「彩雪、本当に大丈夫なのか? もし、あれだったらタクシーでも呼んで家に帰るけど……」
ここでタクシーを呼べるのが仕事をしていていいところだ。
「大丈夫よ。ちょっと寒いだけ」
「そうか…… それなら冷房の温度下げてもらうか……」
「大丈夫よ……! ラーメンでも食べれば体も温まるはずだから」
そんな話をしていたら、ちょうど頼んだメニューがやってきた。
「お待たせいたしましったー! 唐揚げセットとAセットの明太子ご飯でーす!」
この店員さんはどうしてこんなにもテンションが高くなったんだろうか……
「およ? お客様、どうなさいましたか?」
店員さんは彩雪の異変に気が付いたらしく聞いてきた。そう聞かれた彩雪は何の反応を見せることなかったので、代わりに俺が答えることにした。
「申し訳ないんですけど、ちょっと寒いらしいので、冷房の温度下げてもらってもいいですか?」
「かしこまりです!」
そう言って店員さんは厨房に向かってエアコンのリモコンで設定温度を下げてくれた。
店員さんが別のお客さんの注文を取りに行ってから彩雪がポツリと。
「別によかったのに…… まぁ、早く食べましょ」
彩雪はそうとだけ言って、ラーメンを食べ始めた。そうすると彩雪はさっきまでのこわばった顔が嘘だったかのように、顔を綻ばせた。
「んー! 美味しいわね!」
「そうだな」
先ほどまでのことが嘘だったかのように、彩雪は笑いながら箸を動かす。美少女だったら麺をすすっているだけでも絵になるんだなぁ……
それから、俺たちは黙々と箸をすすめた。そうしていたら、俺はラーメンを完食した。替え玉を頼むほど胃は空いていないのでクライマックスを始めようと思う。
俺は一切手の付けていない明太子ご飯を目の前に持ってくると、さっきまでラーメンを食べるのに使っていたラーメンのレンゲで残ったスープを掬う。その掬ったものを明太子ご飯にかける。それを何度か繰り返す。スープが溜まってきたら、ご飯の1番上に乗っかている明太子を崩して食べる。あまり行儀は良くないかもしれないがこれがめちゃくちゃ美味い。やったことがない人は1度やってみて。
いつも洗い物増やしちゃってごめんね。
そんな食べ方をしていて「美味いわ……やっぱマジで美味いわ」と連呼していたのが気になったのか彩雪が気になったのか俺をジッと見つめる。
「……いや、行儀悪いのは分かってるよ? だぇどね悪いのは俺じゃなくて美味い事だと思うんだ」
「そういう意味で見てたわけではないけど」
それなら他にどんな意味があるんだよ…… やっぱ体調が悪いのか……?
「ああっ! それ食べさせてよ! 唐揚げあげるから!」
「え? それだけ? じゃあ唐揚げもらうことにするわ」
俺は思っていたのとは違う要求に拍子抜けしたが、何事もなかったかのように唐揚げをもらう。あ、これも美味いな……
唐揚げを1個もらって、そのお皿を彩雪に戻すと彩雪は手を付けることなく口を開けたまま目をつぶっていた。
「……彩雪。何やってんの?」
「早く食べさせてよ! このままいるのも恥ずかしいんだから!」
これって……『あーん』をしろってことか!?
「な、なぁ…… さすがに自分で食べてくれないか……」
「い、いいじゃない! さっきまでレッスンで疲れているんだから!」
「わ、分かった…… じゃ、じゃあ口を開けるぞ……」
俺は結局彩雪の勢いに押されて食べさせることになった。そうして俺は緊張してるんだ……?
「じゃ、じゃあいくぞっ」
俺がそういうと彩雪はコクッと頷いた。
「あ、あーん」
(お願いだから口に出さないでくれ!!)
「お、おっけー。じゃあ入れるから……」
「ちょ、ちょっと待て! それはボクが許さないからな!」
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