第36話「低く燃やす」

 レベッカが祈りの前に最後にいたのは、リミタツィオーネ教会の中であった。時間にして正午前後と言ったところだろうか。

 祈りの日は、村人達は準備で忙しい。そのため開始三十分前くらいまでは、教会内はおろか教会の周囲に人影は見えない。つまり、仕込むなら今なのだ。

 この教会の扉は常時解放されている。何でも、天使様の祝福を閉じ込めておくことは礼を欠いた行為であるため、だそうだ。

 

 ――馬鹿馬鹿しい。


 頭の中で一蹴すると、早々と準備に取りかかる。

 イブキからの注文通り右手には恵石を、左手には木材を持っている。これはレベッカ宅のコンロ回りから取ってきたものだが、以前からの住人が使い込んでおりかなり年季が経っている。

 

 狙いは入り口から向かって右側にあたる一番後ろの奥の座席だ。しゃがみこんで、座席の仕掛けに手をかける。下の部分の板を外すと、そこにはジュストの過去の記憶通りに空洞があった。

 

 空洞部分の暗闇を見つめていると、ふと昨日のジュストと遭遇した後のイブキとの会話を思い出した。


 ―――――――――――――――――――――――



「――低温発火?」


 不意に聞き慣れない言葉を耳にしたのか、レベッカは思わず聞き返す。


「ああ、今回はそれを使う」

「いや、意味わかんないんだけど」

「それもそうか……」


 イブキはどのように説明するか悩んでいるのか、頭を掻いていた。しばらくすると手を止める。


「レベッカは、木を燃やすときにはどうする?」

「そりゃあ、火を付けて燃やすわよね」

「当然だな。だが、実は思っているより木の引火温度は高い。今回の目的は、祈りの最中に村人達にバレずに教会内で小さな火事を起こすことだ」

「やっぱり、意味わかんないんだけど」

「レベッカの家のコンロにあったのは、ただの木じゃない。長年の調理による加熱で多孔質化している木だ」

「ふーん。ということは?」

「通常の火より引火温度が低い。つまり、直接火を当てなくても高熱で発火する」

「へえー。さすがじゃない、イブキ」


 レベッカは適当に相槌を打ち関心しているが、少しして「でも」と発すると言葉を続けた。


「それがどうなるワケ?」

「その木とフオーコの恵石なら、例のベンチの下にでも隠しておけば、勝手に火事を起こすことができる。レベッカの役割は、貧相なアックアのマジーアでそれを消化することだ」

「だから昨日マッチポンプなんて言ったのね。でも、わざわざそんな回りくどいことするの?」

「いや、その後の展開を考えると必要だ。ロレンツォを失脚させてジュストが司教になった後、お前らはどうなる必要がある?」


 その一言で、レベッカはハッとする。


「天使にジュストとの結婚を認めさせることね」

「そうだ。そのためにも、レベッカ自身が実績を自作自演する必要がある。消火した後にどさくさに紛れて恵石を回収し、婚姻の儀式でそれを使えば足も付かない。燃えた木が残っているくらいじゃ、犯人の特定も難しいだろ」

「そこまで考えてくれていたなんてね。まさか、私の昨日の告白にときめいちゃったの?」


 レベッカがイブキの肩に手をかけようとすると、イブキはそれを鬱陶しそうな表情で払う。


「ジュストが司教になることと、レベッカとの婚姻が成立することは、俺が村を無事に脱出する条件の一つだ。勘違いするな、亜人め」

「フフ……まあ、私が得するならどうでもいいわ」


 乾いた笑いを見せると、レベッカは眠たそうに欠伸をした。そんなやり取りに、ルキは興味を持つ。


『イブキはよく、そんな知識を持っておるのう』

『アパートに住んでいた頃、同じ階層の奴が低温発火による火災を起こした。あの時は金属の鍋という媒体はあったがな。とにかく、それで覚えてた』

『なるほどのう。ちなみにその時のアパートは……』

『住めないくらい燃えて、引っ越しだ。これ以上は言わせるな』


 イブキの心の中でこのような対話が行われていたことは、レベッカには知る由もなかった。


 ―――――――――――――――――――――――



 レベッカは空洞を見つめ直すと、作業を再開する。とは言っても、時間を逆算して起動させたフオーコの恵石を下敷きにし、その上に木を乗せるだけの簡単な仕事だ。

 それが終われば、後は再び蓋をするだけ。外から見る分には、何の変哲もないチャーチベンチだ。祈りではまず満席になるなんてことはないため、最後尾にあるこのベンチには誰も座らない。

 祈りの時には、ここがどのタイミングで発火するかによって、展開を考えていく必要がある。場合によってはイブキが時間を稼ぐことになる。


 ここまではかなり順調だ。

 無表情で作業をしていたレベッカは、準備を終えると思わず微笑む。そして祭壇の方をしばらく見ていると、何を思ったのか、かぶりを振りながら背を向けた。



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