第28話「祈り」

 祈りの日の午後二時――。

 イブキとレベッカは、リミタツィオーネ教会の前に立つ。

 赤色のみで構成されたレンガ造りの建物である。荘厳な雰囲気を醸し出す扉へと手をかけ、レベッカの案内と共に中へと入る。


「やることはやっておいたわ」


 レベッカが近付き誰にも聞こえないくらいの声で耳元で囁くと、イブキは軽く無言で頷く。

 重い扉をゆっくりと開け、赤色の絨毯の上を歩いていく。

 その両脇に設置されているチャーチベンチには、既に村人が着席していた。


 見知ったクリスタンテ家やデ・パルマ家はもちろんのこと、他には何組かの村人が前方のチャーチベンチに着席していた。見渡す限りでは、外部者はイブキだけのようである。その隣には特別に同伴を許されたレベッカもいる。

 事前に案内された通り、三列目にある向かって右側の空いたチャーチベンチへレベッカと共に座ることにした。後二人は座れそうなくらいのスペースがあった。


 一番奥にある祭壇を見てみると、そこにはロレンツォが立っていた。


「お集まりの皆様、これより祈りを始めます」


 定刻になったのか、村長であるロレンツォが両手を掲げ宙を見つめがら挨拶を始める。

 その口調と佇まいからは最初に会った時の軽快さや明るさはなく、村を背負う一人の長として振る舞っている。


「本日の祈りも、村長であるロレンツォ・コンカートが取り仕切りを行います」

『いよいよ、じゃのう』

『遂に天使様とご対面だ』


 ここから祈りおけるロレンツォのテンプレ口上が始まった。


「クレメンツァの皆様、そして外部者の皆様。天使様の祝福があらんことを」


 仰々しく祝福を願う。

 演技がかってはいるが、慣れた口調とトーンである。約五年もの間、村長として何度もこのセリフを繰り返してきたのであろう。


「我々人間はこの日を待ち望み、慎ましくささやかに生きてきました。こうしてこの場に立つことができるのも、ひとえに天使様の祝福です。我々主はこう言います。人が人である理由は、己を律し他者を愛し想う気持ちがあるからこそと。自らの利益のためにのみ生きることなかれ。隣人を愛し他者へと奉仕せよと。己の力のみでは生きることは叶わず、天使様の祝福と恵みが生きる糧であると。我々は主の言葉にこの御心を捧げ、祝福を受けるためにのみ生きる存在。隣の人を見てください。あなたの顔にはきっとその人を愛する気持ちが溢れており、隣の人からはあなたを想う慈愛の気持ちが溢れ出ていることでしょう。こうしてこの空間には澄みきった愛が満ち溢れ、そしてその愛は天使様へと捧げられます」


 長い。

 嫌になるほど退屈なセリフであり悪魔の私としては、吐き気を催す内容でしかない。淀みなく言い切る点を含めて気に入らない。

 全員が姿勢を崩すことなくじっと聞いていることも気に入らない。


「それではご起立ください。皆様で謙虚に祈りを捧げましょう」


 ロレンツォの合図で全員が一切に立ちたがり、目を瞑り手を合わせ祈りを始める。

 テーアによればプレギエラという力が祈りの正体であるが、どのように出すのかは皆目検討もつかない。


 イブキは見よう見まねで目を瞑り手を合わせるが、何も起こらない。心の中にも反応はなく、ただ時間だけが過ぎていく。


 いや、待てよ。


 イブキの周りで力を感じる。それはどちらかと言えば圧倒的なものというより、色が無い透明な力である。上手く説明ができない自分がもどかしいが、とにかくマジーアとは違う類いの力であることは断言できる。


 気付いた上で心の中で集中して感じてみる。この違和感を漂わせる力の正体こそが、プレギエラではないかと判断した。


 そう考えてみると、辺り一面に発生していることが把握できる。ただし全体的に包み込むような範囲ではない。所々に空白があり、どちらかと言うと穴だらけの網のような感覚。

 これではプレギエラ量は薄い、ということを感覚的に察知する。


「皆様……強く祈りましょう」


 一向に天使が降臨してくる気配がないため、ロレンツォが更なる祈りを促す。

 イブキは祈るふりをしながら薄目で辺りを見渡している。観察すると、各々なりに祈りを強めているようである。

 ある者は合わせた手により力を加え、ある者は更に頭を垂れている。


 それでもなかなか天使は降臨せず、静寂が続く。

 このまま祈りが不完全燃焼で終わってしまうと、全ての準備が水の泡となってしまう。


『イブキ、天使が出てこなければ計画は総崩れじゃぞ』

『アンタもどうなるかは知ってるだろ? 安心しろ、最後の希望は遅れてやってくる』


 イブキには上手くいく確証があるのか、焦る様子を微塵も感じさせない。


「このままだと……」


 静かな教会内に響くロレンツォの揺らぐ声。村長として祈りを失敗させるわけにはいかないプライドが、焦りを生み出す。

 その静寂と声を打ち砕くかのように突然扉が開き、ギイと音が響き渡る。

 開いた扉の音に反応し、全員が祈りを中断しその方向を見る。


「――今立ち会っている皆様だけでは、きっと天使様への祈りが至らないのでしょう」


 一人の男が立っており、両手を腰にあて余裕を見せている。長髪の赤髪を後ろに束ねられており、昨日見た粗雑さや暗さは全く感じられない。


 その正体は間違いなく、クレメンツァの希望そのものである。


「ジュストくん!」

「ジュスト? 何でクソガキがいんだよ!」

「ジュストくん………」


 ロレンツォ、フランチェスコ、チーロがそれぞれジュストの名を呼ぶ。


「お久しぶりですねぇ。五年前の約束をここで果たしましょうかぁ」


 呼ばれた当の本人は意に介すことなく、赤い道を悠々と歩き祭壇へと向かう。

 それを止めるかのように、村人達は騒ぎだす。特にロレンツォ、フランチェスコ、チーロの声がよく聞こえる。


「トールニ! 帰るんだ! キミは祈りに呼ばれていない!」

「そうだ! てめえはあの日に終わったんだ!」

「君のせいで、私の息子はあんな風になったんだ。よく祈りに来られましたね」


 それでもジュストの歩みは止まらない。


「皆様、静粛に。何も言わず心穏やかに天使様へ祈りを捧げましょう」


 祭壇までたどり着きロレンツォの前まで進むと、そこで立ち止まり祈りを始める。

 ジュストが目を瞑り手を合わせる。


「俺はやれる……」


 村人に見せた余裕な態度とは裏腹に、小さな声で気合いを入れる。

 その額には脂汗が浮かんでおり、それは過去のトラウマからの脱却を試みている苦痛である。


「頼む……」


 なおも苦痛に祈りを試みるジュストへ、レベッカが自然に近づき傍に寄る。


「――」


 そしてジュストにしか聞こえない小さな励ましの言葉を、耳元で囁く。たったその一言で、ジュストからとんでもないない量のプレギエラが放出される。


「……ふざけるな!」


 このままだとジュストが祈りを成功させてしまうことに気付いたロレンツォは、祭壇側に背を向けながら激昂し、拳を振り上げ殴りかかる。


 ガンッ。


 直接殴ることは叶わず、数十センチ程の隙間が生じる。これは昨晩私とイブキが直撃させられなかった状況とよく似ている。


「そんな馬鹿な!」


 驚愕するロレンツォをよそに、ジュストは黙々と祈りを捧げる。


「クソッ!」

「――今回の祈りは、大層賑やかなようですね」


 思わず悪態をついたロレンツォの背後にある祭壇から、聖なる声が教会内に響き渡った。

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