第27話「歪んだ決意」
気付けば感情経験の世界から抜け出し、私はイブキの心の中に戻っていた。
実体化していないにも関わらず、心の中にはじっとりと汗が滲んでいるようである。
『やはり、クレメンツァでの出会いはイブキの感情経験を刺激していたのかのう』
『また勝手に見たのか。前回は覗き見で、今回は無理矢理こじ開けて押し入り強盗とはな。まさしくアンタは悪魔だな』
精神と体力を大量に消耗する感情経験を終えた後では、いつもの嫌味など気にもならなかった。
私は頭の中で、今回の感情経験を整理する。そして、クレメンツァでの出来事との類似点を重ね合わせることにした。
レベッカは、亜人という出自から居場所と母親を失い、自らの居場所を略奪しようとしている。
一方でイブキが抱えていたのは、父親が殺害された後に立場が変わり、迫害されて居場所を失い孤独だった過去。
本人に聞いても絶対に答えは返ってこないであろうが、レベッカの境遇にどこか自分を重ねて復讐劇に手を貸しているしているのではないか。
お互いの利益になるからと、素直ではない理由を付けて。
ジュストについても同様である。
傲慢さが故に過ちを重ね、五年前の祈りで落ちぶれてしまった。プライドだけは高くヒステリックな母親もいる。
イブキはというと、全てが自分の手の中だと思い込んでいた幼少期に、落ちぶれた学生時代。そしてプライド以外は残らず、暴力に走る母親がいた。
全てが合致するわけではないが、似たようなピースが
いや、むしろ似ていないズレがあるからこそ、余計に自身の感情経験が強烈に刺激されたのではないか。
だからこそ、私がイブキにかける言葉は一つしかなかった。
『イブキは、異世界転生できて良かったのではないか?』
『どうしてだ?』
『あんな経験をして、辛かろう? もうあんな世界には戻りたくもなかろう? 妾は地球の輩どもとは違う。決して裏切りはしない』
これは嘘偽りのない本音である。
父親を殺され母親からは暴力を振るわれ、あげくの果てには同級生からも蔑まれる。真っ当な神経であれば、そんな世界に未練などないはずである。
『それに、お主はこの世界ではまだ何も成し遂げておらぬ。これからは何者にでもなれる可能性を秘めておるのじゃ』
この世界ならば、イブキの能力と努力次第ではいくらでも成り上がることができる。
いわゆる異世界無双生活だって夢ではない。
『それは悪魔の誘い文句か? 異世界転生をしたところで、俺は俺だ。過去は消せやしないし、忘れられるわけもない。ましてや別人に変われるわけもない。忘れたふりをして名前を変えて生きているやつがいたとしたら、とんだ恥知らずだ』
『そこまで明け透けに言うとはのう。じゃが……』
『異世界転生で力を手に入れたから好きに生きる?
この世界で何かを成し遂げてどうなる? 転生前の世界で何もできない虚しさが募るだけだ。そんな生き方をして一番寂しいのは、他でもないこの俺自身だ』
どうしてそういう思考回路になる。
素直に転生を受け入れて楽しんだらいいのに。無論、そこから絶望する様を見るのは、悪魔として興奮する展開なのは否定しない。
それでも、パートナーとしてはそうはさせたくない。
大体、これまでに出会ったり契約してきた転生者達は、転生を前向きに捉えていたはずである。
『イブキ、もう少しだけこの世界に期待してみても良いのではないかのう?』
『前にも言ったが、アンタと契約したところで何も変わらなかった。期待や望みを持てば持つほど、絶望の度合いが増すだけだ。俺が力を持っている理由はただ一つ。アンタとの契約内容を履行するためだけだ』
イブキはきっぱりと宣言した。ポーヴェロにて、最後に言った台詞を繰り返している。
『契約に従順なのは大歓迎じゃ。じゃが、この世界で生きる意味くらい見つけたとしても、バチは当たらんじゃろう?』
『何度も言わせるな。俺はアンタとの契約が無ければこの世界を生きていけない。つまり、契約を履行する以外の行動は許されない』
私が何を言おうとも、結局は頑なにポーヴェロでの所信表明が繰り返されるだけであった。
あの時は間違いなく興奮していたが、今はその意固地ぶりに冷めている。
『アンタが俺の幸せを願う気持ちを無闇に否定しているわけじゃない』
私が落胆していると思ったのか、宥めるようにそう前置きし、言葉を続ける。
『それでも、救いのない俺にそれを願うのは非効率的だ。だったら、俺の絶望を願っていた方が効率的だ』
いや、効率的かどうかなどではない。
『何故、そうやって本心を隠すのじゃ?』
『俺はアンタには常に正直だ』
返答する口調に、やや苛立ちが見て取れる。これ以上は話してくれそうにない。
表向きは冷酷非道なことを口走りながら実際はひどく人間的で、達観している振る舞いをするくせに、ひどく不安定。
私はイブキの絶望の全てを知りたい。限界のない混沌を抱えたその心を、全て。
本来の能力が発揮されれば容易に達成できるはずのその願いは、叶うことはない。
問答を諦めた最後に私が聞けることは、一つしかなかった。
『イブキは、今回の一連の出来事に何を見ておる?』
『天使を殺す映像だけを見ているつもりだ。他に何も見えない』
――それが本心であれば、レベッカの指摘で胸に手を当てたりなどしない。
思わず心から出かかった言葉を飲み込むと、やがて睡眠の暗闇に沈んでいった。
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