第26話「栄光と喪失 その二」

 四角い部屋の中に、規則正しい間隔で机と椅子が置かれている。

 前方には大きくて青緑色の板が設置されている。これは聞いたことがあるが、確か黒板というやつである。


 つまり、ここは学校の教室とやらである。

 モンドレアーレにはこんな教育機関は無いので、興味深いと常々思っていた。


 教室の後方でイブキが椅子にポツンと座り、テーブルで頬杖をついていると、複数人の男女が取り囲んでくる。どちらも統一された服装であり、これは学生服というやつか。

 異世界ではコミュニケーションに難を抱えている印象があったが、もしかして転生前は友達が多かったのか。

 そう呑気に考えていると、男女の表情が目に入り考えが一変する。それは友人を見る目などではなく、玩具を見る目であった。嘲笑を隠さず唇を歪め、ニヤニヤと笑っている。


「よう、落ちぶれ。いつ夜逃げすんだ?」


 一人の男がそう言いながら、こちらに顔を近付けてくる。整った顔立ちと雰囲気からは知性を感じさせるのに、狂暴さを隠そうとしない様子が不思議でならない。

 当の本人は無視を決め込んでいるが、夜逃げの質問が口火を切ったようで、次々と言葉が飛んでくる。


「俺、昔からお前のこと気に入らなかったんだよな。だってお前、親父がいなきゃただの金持ったボンボンだもんな」

「辞めてやれよ。今は金も無いらしいぞ」

「イブキは公がどれだけ辛い思いしてんのか知ってるの? 自分のお父さんが殺人犯ってどんな気持ちか理解できないでしょう?」

「お前はいいよな。親父があっさり死んだからそういう気持ちにならずに済んでさ」

「そもそもお前何で祝応にいんだよ。相応しくないだろ。場違いだろうが。間違っても高等部には上がってくんなよ。どっかのよく分かんねえ低偏差値の底辺高校にでも行って、馬鹿どもと仲良くやってろよ」

「いやいや、底辺どもにも選ぶ権利あるから。こんなプライドしかないダメ男とか底辺高校も願い下げだし」


 我がパートナーによくも好き放題言ってくれるな。これが感情経験の世界じゃなかったら皆殺しだぞ。

 それでもイブキは無反応でひたすら聞いているだけである。相手にしていないと言った方が適切か。


 そこに一人の男がやってくる。

 男に気付くと、囲んでいた男女は視線をイブキからそちらに向けた。


「おお、公じゃん」

「福富くん」


 男女達は親しそうに公と呼ばれた男に声をかける。

 坊主頭の普通の男。一重の細目ではあるが、確か日本人には多いと聞いたから何も特別さはない。容姿や体格にも特別さは見受けられない。

 身長はイブキよりも低く、百六十センチ中盤といったところであろうか。


「お前ら、寄ってたかって嫌がらせなんて辞めとけよ」


 そう言いながら輪の中に入っていく。

 言葉自体は優しいが、嫌みったらしく笑っている様を見れば、それが本意でないことくらい分かる。


「おい、俺の親父を牢獄に入れた人間のクソ息子が、何無視してんだ?」


 イブキの頭を乱暴に掴むが、反応は無い。

 というより無表情でも体が小刻みに震えていることを踏まえると、感情の爆発を我慢しているといった方が正しい。


「ま、無駄か。社長の息子だからって調子に乗りまくったお前と、地道に努力した俺とじゃ人望が違うもんな」

「人殺しの息子のくせに」

「殺されて当然の親父に、無能な息子。いいか、俺の親父は優しかったんだ。そんな親父が殺したってことにはよっぽどの理由があったんだよ。それなのに、何でお前はのうのうと生きてんだ?」


 公の挑発に対し、心の中で強い感情が迸る。


 目の前の男を、殺せ――。


 本能が体を支配し、反射的に公の顔面を一発殴るとそのまま立ち上がり、強烈な膝蹴りをお見舞いする。

 強烈な二発を喰らった公はそのまま机と椅子を巻き込みながら、床に倒れた。

 ただし、周りに人がいたことが仇となりそれ以上の追撃は許されず、すぐに取り押さえられる。


「離せ! 公! ぶっ殺してやる!」


 もがいて抜け出そうとするが、それは叶わない。

 公はゆっくりと首を横に振りながら、軽蔑を込めた目で一瞥すると立ち上がり、そのまま教室を出ていく。


「おい、逃げるなよ! くそ! あああ! てめえら邪魔だよ!」

「これヤバいぞ! 担任呼べ!」


 半狂乱になり体をじたばたと動かしながら叫び続ける。


 こいつら全員殺してやる。

 母親も殺してやる。

 俺を苦しめたこの世界も殺してやる。

 地獄の底から這い出て復讐してやる。


 全身を支配する怒りは感情経験を共にする私にも伝わり、無意識に思わず呟いてしまう。


『こんな世界で生きていくなど……』


 やがて大事となったことを把握した体格の良い担任の先生とやらが駆け付け、事態の収集に図る。


「神月! 福富とクラスメイトから聞いたぞ! 何やってんだてめえ!」


 イブキに対して怒りながら乱暴に首を掴むと、そのまま教室から出てどこかへと連れ去る。


「何でだ……」


 担任に連行されながら、ふと呟く。


 誰も味方してくれない。幸せだったのに。

 何でも与えられてきたのに。どうして奪うんだ。

 俺は何もしていないのに。何で存在をあざけるんだ。

 何でこの世界は俺を裏切るんだ。誰か助けてくれ。

 俺に復讐する力をくれ。頼む。


 その心に宿り願うのは、諦めと虚しさと存在しないはずの期待。

 強烈な怒りと混ぜ合わさった結果、表現しようのない喪失感による絶望が誕生する。


 ごぼり、と音を立てながらゆるやかに心の中を支配し、悲しみと共に心を蝕み始める。


『辞めてくれ、イブキ……』


 見たかったはずの感情経験なのに、あまりの辛さに耐えかねてそう懇願する。私の心は信じられないくらいの興奮は気にならず、ひたすらにこの世界への拒否を示した。

 その願いを聞き入れてもらえたのか、映像がどんどん遠ざかりボヤけていく。


 悪魔であるにも関わらず映像が途切れる瞬間、一粒の涙が零れ落ちる音が聞こえた。

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