第29話「天使、プリンチパティ」

「天使様!?」


 聖なる声を聞き、ロレンツォはすぐさま顔だけ後ろに振り返る。

 そこには、見るものを圧倒させる存在が宙に浮いていた。


「村人の皆様、そして外部者の皆様、こんにちは。お久しぶりですね」


 私にとっては反吐が出るが、人間が聞けば心まで澄み切るような透き通った声。

 この世の言葉で表現することが憚られる程の、美しすぎる容姿。


 白いヴェールを身に纏い、絹のように白く触れれば消えてしまいそうなくらい綺麗で透明な肌をのぞかせる。

 そして己の証である背中から生えた白い両翼をゆっくりと動かす。


 その所作はまるで自身が人間と悪魔を越えた生命体であることを誇るかのようであり、私の神経を更に逆撫でする。


「私はプリンチパティです。ここに降臨するのはそう、五年ぶりになりますかね」


 それでも待ちに待った天使の降臨である。

 ジュストの祈りのおかげで、中等位四位のプリンチパティとそれなりの存在を引き当ててみせた。


「あんなお姿は、見たことがない」

「いつもとは違うご様子だ」


 天使の階級を知らない村人でも、明らかにいつもとは違う気品を出す天使に圧倒されている。

 さすがのイブキもどう表現したらいいのか分からず、初めて見る天使を前にして言葉を失う。

 レベッカは言葉が出てこないことは同様であるが、体が小刻みに震えているところを見ると、どうやら恐怖を感じているようである。


「それでは謙虚に祈りを捧げる皆様に祝福を……と申したいところですが、いつもとはご様子が異なるようですね」


 透き通るような声で微笑みながら、異変を指摘する。

 確かに教会内を見渡してみれば、とても謙虚に祈りを捧げている様子とはいえない。

 怒りを露にするロレンツォとフランチェスコ、複雑な表情を見せるチーロ、プリンチパティの登場に驚愕しているその他村人達。


 この状況をどう釈明すればいいのか誰も思い付かず、皆押し黙っている。

 どうやらその間に、イブキは言葉を失う段階から状況を興味深く静観する次のフェーズに移行したようである。


 プリンチパティが微笑みを絶やさず待っていると、村長の自覚を取り戻したのか、ようやくロレンツォが緊張の面持ちでプリンチパティと正面から向き合う。


「と、取り乱す姿を見せてしまうなど、大変申し訳ございませんでした」

「村長ともあろうあなたが取り乱すなど、余程珍しいことが起きたのですね」

「そ、そうなんです!」


 プリンチパティのフォローに対して思い出したかのように、 ロレンツォが姿勢を正しながら声をあげる。


「天使様にご報告が! この村の祝福に仇を為す者達がおります!」

「そうですか。それはどのようなお方なのでしょうか?」


 プリンチパティは美しい表情を崩さず保っている。

 ロレンツォはそれが同意の意味を込めていると判断したのか、上機嫌に話しを続ける。


「まず一人目は、ジュストです! 天使様より司教の任命を受けながらそれに背き、五年間怠惰を貪り続けた堕落者です!」


 ジュストに向かって人差し指を突き付けながら、大きな声で宣言する。

 その後に見せる不敵な笑みは、プリンチパティが自身の味方をしてくれると確信しているからであろう。


「そういえばそうでしたね。クレメンツァの希望となり、司教として村に尽くしてくれるはずでした。それなのに、五年もの間司教としての役割を放棄してきたと?」

「エザッタメンテ! その通りです! そのせいで我々村人は損失を被りました!」


 大袈裟な身振り手振りでその苦労を語る。気付けばロレンツォ節も調子を取り戻している。

 勢いをそのままに両手を広げ煽り始める。村人達も口々にジュストを罵倒する。


「さあ、村人の皆様もそう思われますよね?」

「ホントにそうだぜ! こいつは我がデ・パルマ家に迷惑をかけやがったんだ! 生意気なガキでよ。何もできねえくせに口だけは一丁前なんだ!」

「フェデリコはこの男のせいで、あんな姿に!」

「こいつは司教になれるからって、俺達を見下してたんだ! 祈りにも来なかった!」

「そうですか。それが事実であれば、私としても何らかの措置を講じなければなりませんね」


 ここでプリンチパティが初めて顔を曇らせる。


「ジュストに問います。あなたは、ロレンツォ達が打ち明けたような罪を、犯して来たのですか?」

「はい、仰る通りです。過去の私はひどく傲慢で、他者を平気で傷付ける外道でした」


 あまりにもあっさりと認める。


「そうですか。己が話した言葉の意味を理解した上での告白ですか?」

「はい。今回祈りに急遽参加したのは他でもない、天使様の前で罪を懺悔し償うためです」


 意外な展開に、教会内は騒然とする。

 周囲のざわつきに対し、プリンチパティは動じることなく対応する。


「罪の償いですか。確かに私達天使は、謙虚に無欲にひたむきに生きる人間には懺悔を聞き、寛容に生き直す機会を与えます。ですが問題は、あなたはその価値に値する人間であることを証明できるかどうかです」

「アスペッティ! 待ってください天使様! チャンスを与えるとでも!?」

「そいつは問答無用で俺を殴り飛ばしたこともあんだぜ」

「息子をあんな目に遭わせた男に、許しを施すというのですか……」


 ロレンツォ、フランチェスコ、チーロと矢継ぎ早に抗議をするため、ジュストが返答する隙を与えない。


「今の村人の反応からも明らかなように、ジュストには懺悔をする意味も、償う余地もございません!」


 ロレンツォの発言に、村人達が歓声を上げる。そのまま目線をイブキへと移して言葉を続ける。


「そしてもう一人、この村を貶めようとしている不埒な輩がおります。我が村の案内人であるレベッカが、これからその正体を打ち明けます」

「案内人ですか。普段は祈りには参加されない身分であったような記憶がありますが」

「仰る通りです、天使様。今回は不埒な輩の全貌を知っているため、特別に参加を許可しました」


 レベッカはジュストの側から離れると、ロレンツォの隣に移り天使の前に立つ。

 自身の胸に手を当てながら、天使へと宣告する。


「その通りです。私は全てを知っております」

「そうですか。それでは、この場で告白して下さい」

「これで予定通り、おしまいだ――」


 呟きながらロレンツォは思わずほくそ笑んでいる。それは、真の村長として君臨できることを信じて疑わない様子である。

 生意気なかつての司教候補を排除し、狂気じみた外部者も排除する。そんなシナリオといったところであろうか。

 余裕そうな態度を見るに、どうやらロレンツォにとっては織り込み済みの展開であったようである。


「――ロレンツォ・コンカート。この村の裏切り者の正体です」


 ただ一つ、レベッカの反逆行為に気付くことができなかったシナリオは、やがて破綻へと向かっていく。

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