第20話「天使降臨」

 運命の祈りの日。

 俺は村の中心地にある、リミタツィオーネ教会の中にいる。これは祝福の村クレメンツァの象徴であり、俺が特別であることの理由に他ならない。


 大きく荘厳な扉を開ければ奥までは一直線である。上から見るとアルファベットのIの形だ。

 中央には人が四人程は通れそうな赤い絨毯が奥まで敷かれており、両脇にはそれぞれ木製のチャーチベンチが五台ずつ、計十台置かれている。このベンチは成人が四人は座れそうな広さであり、椅子部分の下には木の蓋が取り付けられている。


 一番奥には祭壇があり、いつもそこに天使が降臨する。それは教会の中で最も重要な場所であることを意味する。

 その後方の壁にはステンドグラスが設置されている。天使が跪き祈りを捧げる人間に対し、祝福を与えるという構図である。


 俺は入るなり、向かって右側にあたる一番後ろの奥のチャーチベンチに座る。この座席の下には仕掛けがあるからだ。本来、席次はある程度決まっているが俺は特例だ。

 それにしても毎回思うが、村人の世帯数はある程度限られているというのに、なぜこんなにチャーチベンチが多いのだろうか。大体前の数列で埋まってしまうので、一番後ろのベンチに座っている人を見たことがない。


 この席からだと、前方にいる他の参加者がよく見える。ほとんどの人間は緊張しており、表情は強ばり震える手を膝に置いている。

 そりゃそうだろうな。

 村人達の中では頂点以上の存在である天使と会える機会なのだから。余裕こいて足組んでるのは俺くらいなものだ。


 見かけない顔が何人かいるが、恐らく外部者だろう。

 その中に、現時点から両手を合わせて拝み倒している女性がいた。


 いるんだよな、ああいうの。

 天使に対して異常なまでの信仰心を見せてる奴。どんなに祈ったところで俺を越える祝福など受けられはしないのに。

 別の目的を達成することに夢中である俺にとって、その女性が印象に残ることはなかった。


 定刻になると、ようやく祈りの場に入る。長々と村主任達が話しているが、これはいつも通りの内容なので聞き流すことにしてる。

 それにしても、飽きて内容を変えるとか面白い話をするとか、こいつらは創意工夫ができないのだろうか。

 何を言ったかはよく覚えていないが、前置きが終わればようやく本番だ。


 村主任達の合図と共に全員が起立する。

 そこから全員手を合わせて、目を瞑り祈る。正確には力を使うために意識を一点に集中させる。これがいわば祈りだ。


 それにしても不思議な感覚だ。

 脳の中が真っ白になるが、決して無になるわけではない。むしろその白は大いなる力だ。白ければ白い程、より大きな力を生む。

 凡人以下の愚図はそこに何らかの雑念が生まれる。雑念は白を濁らせ、力を弱める。俺は工夫も努力も意識もせずに真っ白にできる。


 人々の集中に呼応するかのように、教会の中心部である祭壇へと聖なる光が集まる。それらはやがて集合して天使の形を為していく。


「ここは……あぁ、クレメンツァの皆様ですね」


 教会内に透き通る声が響き渡る。柔らかなエコーのかかった、美しく気高い女性のような声。

 この世で最も尊い声をしていると村人は口々に言うが、さすがの俺でもその点は同意せざるを得ない。

 降臨の一声で、人智を越えた聖なる存在であることを理解してしまう。


「天使様……」


 村人が思わず呟く。外部者らしき人間も同様に呟いている。


 恍惚。

 この場においてその一言以外は存在しない。


 形容しがたい高貴なる整いすぎた顔と透明な長髪に、天使たる両翼を携え、透き通るような羽衣を身に纏う。その体は文字通り宙に浮いており、フワフワと上下動している。


 降臨した天使はにこやかに微笑みながら、言葉を続けた。


「どうも皆様、私はプリンチパティです。このご様子ですと、まだ村長は決まっていないようですね」


 プリンチパティは微笑みを保っている。包み込むような声色であるにも関わらず、村人達の顔は青ざめる。


「申し訳ございません! すぐにでも決めるつもりです! 次の祈りの場には決まっております! 必ずです!」

「本当に、申し訳ございません。我々の落ち度です。今暫くお待ちを」

「申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません」


 代表して村主任共は、三者三様で惨めったらしく謝る。だからこの前の会議でとっとと決めろって言ったのに、本当にノロマな奴らだ。

 会議の時に俺を責めてる場合じゃなかっただろ。


 焦りすぎて最初に言葉を発したロレンツォに至っては、いつものカタカナ叫びを忘れてるしな。


「まぁ、良いでしょう。クレメンツァの皆様が怠惰を貪っているとは到底思えませんからね」

「ありがとうございます!」

「ありがとう……ございます」

「ありがとうございます」


 何だこのザマは。


「それと、ご参加いただいております村人の皆様。前回申し上げていた通り、司教はジュストで宜しいでしょうか?」

「よろしくお願いします。我が息子ながら卓越した才能を発揮し、天使様への貢献度はこの村でも随一です」


 ボニートが怯えることなく胸を張って言い切る。これは家で散々練習してたからな。


「分かりました。それでは、この場にて私から皆様に宣告します。ジュスト・メノッティ、我らがクレメンツァの希望を、司教に任命します」


 村人から盛大な拍手が送られる。天使が何かを命名したり授けたりする時のお決まりのリアクションだ。

 俺は突っ立ったまま、その様子を薄目で見ている。だって嬉しくもなんともない。

 なにせ俺は特別だから。


「それと、村の皆様には豊穣の祝福を。これで来年も、たくさんの農作物が収穫できるでしょう」

「ありがとうございます!」


 祝福に対し、思わず俺以外の村人が大声で感謝を叫ぶ。プリンチパティは何のそぶりも見せていないが、豊穣のカラクリについて気にならないのか。

 その反応に満足したのか、ゆっくりと頷いた後で両手を天に掲げた。


「それでは、本日の祈りはこれまでにしましょう。次回の祈りで正式に、ジュストの司教就任の祝福を授けます」


 全員の視線が集まったところで、あえて恭しく礼をして見せる。

 お前らとは違う。それは一生かかっても追い越せない、圧倒的な才能の余裕。


「では、本日の祈りはここまでとします。皆様、是非とも精進して下さいね。皆様に天使の祝福があらんことを」


 プリンチパティのテンプレセリフをもって、祈りの場は終了となる。


 それを聞いた村人達は、ゆっくりと深々と礼をする。

 この描写ができるのは、俺は鼻をほじりながらその様子を見てるからだ。


「では皆様、ご退席下さい」


 プリンチパティの合図で、村人達は次々に席から離れ始める。

 いつもはこの調子で全員が教会から出ていくが、今日は外部者がいる。

 さて、どうなるか。


「村人の皆様はそのまま動いて下さい。外部者の、そちらの女性の方は残って下さい」


 数人いた外部者の内、一人が残される。どうやら女性は一人しかいなかったようであり、天使の方を振り向きながら見つめている。


 そう、動くのはこのタイミングだ。

 やってやる――。

 俺は特別だ。規律から逸脱することくらい、楽勝だ。


 それに仕込みなら既に終わってる。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハックション!」


 教会内に大きなくしゃみが響き渡る。一瞬、場がしんと白ける。

 犯人はフェデリコだ。


 祈りの前に、どうしても済ませないといけない用事があるから、皆の気をそらしておいてくれと依頼していたのだ。

 理由も聞かずに二つ返事で承諾してくれるとは、やはりあの人の息子と同じくどこまでも優しい。


 気付いた両親がすかさず叱りつけるが、皆の視線はフェデリコに集まる。

 その隙にしゃがみこむと、座席の下部の木の板を外し、空洞部分に体を押し込み、再度板で蓋をして隠れる。これは昔、誰かが作った特別仕様の遊びだ。

 この教会の扉には普段鍵がかかっていないため、悪戯心のある誰かが作ったんだろう。


 隠れた俺に誰も気付くことなく、一人の女性を残して全員が教会から出ていく。後には静けさだけが残っていた。


「全員退席されたようですね。それでは、あなたのお名前を教えてください」

「――です。今日は――ございます、天使様」


 隠れている俺には、二人の姿は見えない。

 プリンチパティは透き通る声のおかげで、よく聞き取れる。一方の女性はボソボソと喋るため、名前がよく聞き取れない。


「そうですか。あなただけを残して祈りを終えたのは他でもありません」


 プリンチパティはそう言うと、一旦黙る。少し沈黙が続いた後、ある言葉が聞こえる。


「――あなた、亜人なのね。さよなら」


 悪意に満ちたそれは、およそ天使が発する音とは思えなかった。

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