第21話「残忍な微笑み」
「どういうこと、ですか?」
戸惑いを込めた声が教会内に聞こえる。
祈りの時に充満していた祝福の空気は消え失せ、辺り一体に不穏な空気が立ち込める。
「そのままの意味よ。もしかしてあなた、亜人という言葉は聞いたことがないのかしら?」
こいつは誰だ。声は透き通ったままなのに、
「嘘ですよ、そんなの。私の両親は普通の人間です。天使様、どうか救いの祝福を」
「私もあなたが人間で謙虚に我々に心を捧げるなら、そうしたわね。でも残念、あなた亜人なの。汚らわしい悪魔の血はどれだけ洗っても落ちないのよ」
「なんで……なんで。それじゃあ私があの時――ちゃんにした――ことは――。どうして……あんな――ことを……」
女性の声が段々と小さくなっていき、よく聞こえない箇所がある。それでも、悔やんでいる様子なのは声からでも明らかだ。
そんな女性に対し、プリンチパティは気持ち良さそうに言葉を続ける。
「――人間は人間らしく人間として生き遂げるべし。悪魔などと契約した人間は即ち人の道を外した外道なり。悪魔などと交わり生を受けた亜人は人に非ず。これは、我々天使を束ねる頂点かつこの世界の長であるサンティ様のお言葉なの。つまりね、あなたみたいな文字通りの人でなしはね、存在価値がゼロってことなのよ」
俺は傲慢だ、それくらい自覚している。それを差し引いてもこの言い方はあんまりだ。
これじゃまるで、伝承に聞く悪魔そのものじゃないか。
「なんで私が亜人なんかに……そしたら、そしたら、私の人生は……」
「残念だけど、存在価値に続きあなたの人生の価値もゼロ」
「いやぁ! 嫌よ! 天使様、どうか、どうか、祝福を! 天使様の祝福を受ける為だけにこの身を捧げてきたのに! 悪魔に人生を目茶苦茶にされたのに! それしか救いがないと思ってたのに!」
「憐れね。救いがないのに求める。欲を持たず謙虚に生きる人間と比べて、亜人は欲が深いのね。反吐が出るわ」
プリンチパティのその言葉は救いを求める手を弾いた上で、丁寧に奈落の底へと突き落とす。
「そ、そ、そんな。う、うわあー!」
遂に感情の
「あらあら、亜人のくせにみっともない。抵抗してくれるのかと思ったら、始末しがいがないじゃない。時間もないし、そろそろやりましょうか」
とうとうプリンチパティが、始末とやらを執行するみたいだ。
一体どうなってるんだ。
ここにきて、あらぬ好奇心が頭をもたげる。その光景を聴覚だけでなく視覚で捉えたくなった。
辞めろ。もしプリンチパティにバレたらどうするんだ。いや、俺は特別だ。あんな馬鹿な村人共とは違う。規律を逸脱すると決めたんだ。
俺の頭の中はこれまでにないくらい混乱し、最後にはクレメンツァの希望としての自尊心を尊重する結論を出す。
「いやあ! やめてえ! やめてください!」
幸い、女性が取り乱し声を荒げているお陰で、音を出しても気付かれるリスクは少ない。
やるならここしかない。
そう決めるとすぐに板を取り外し、体を外に出す。座席の下でしゃがみながら恐る恐る顔を出し、祭壇の方を見る。
そこには――。
プリンチパティと、紫色の髪がよく目立つ一人の女性がいた。
俺が見ている位置からだと二人は向かい合っており、女性は背中側が見えている。
「冥土の土産に良いこと教えてあげるわ。私達天使が対象者を始末する時、どうすると思う? さあ、考えて」
追い詰めた獲物をなぶって遊ぶために、あえて時間を与えてみせる。
女性は体を震わせながら、首を横に振り続けている。
「そんなの、そんなの、知るわけないじゃない!」
「つまんないの。だから所詮亜人なのよね。答えはこれよ」
おもむろに右手を空に掲げると、そこへ光が集中し始める。
光は終結すると輝きを増し、アメーバのように不安定な形で手の中で漂っていた。
「ブリランテ【brillante:輝】……これこそが天使の力の根源の一つ。光り輝く天の咆哮が、万物を無に帰す力よ」
プリンチパティは勝ち誇るような笑みを浮かべながら、光の正体について解説する。
「そしてそれを、各天使固有の武器に変えて始末するわけ。アルピオーネ【arpione:銛】」
言葉と共に光の形が変化し、やがて形を成し安定する。それは光輝く三叉の銛であった。
プリンチパティはそれを右手で握り締めると、うっとりとしながら見つめ、左手で慈しむように撫でている。
「どう? 神々しいでしょ? 人間と悪魔ごときが使うマジーアにも同じ名称があるようだけど、そんな紛い物とは比にならないわ」
しばしブリランテを撫でると、改めて握り直しその矛先を女性へと向ける。
「さあて、それじゃあそろそろ――」
「いやあ、来ないでえ!」
迫りくる死の恐怖を前にして、女性はプリンチパティから背を向けて走り出そうとする。
その様子を見たプリンチパティは、ため息をつきながら冷えきった声色で呟く。
「大人しくしていれば、楽に救われたのに」
ヒュッ。
ドスッ。
女性が駆け抜ける前に、プリンチパティが素早い動作でブリランテを背中から突き刺した。
「あ、ああぁー!」
女性は断末魔を上げる。
突き刺したブリランテはそのまま女性の体を貫く。俺の位置からは、女性の胸部から銛が突き出ている。
体を弓なりに反らせながら手足は痙攣しており、これ以上ないくらい目をひん剥いている。
その紫色の瞳は一瞬こちらを見据え、絶望を伝達してきたような気がして――。
「あーあ、一発しか耐えられなさそうね。つまんない亜人」
遊びがいの無いオモチャに飽きた幼児の如く、女性をブリランテごと持ち上げると、地面へと思い切り叩きつけた。
地面にぶつかる瞬間、思わず目を反らしてしまう。
ドオンと大きな音がした後に、妙な静けさが残る。これ程の衝撃であれば、激痛を越えた苦しみがあるはずだ。
どうなったのか気になり再度同じ場所を見てみると、地面に女性がめり込みうつ伏せに倒れていた。
ブリランテでひと突きされた時点で絶命してしまったのか、既に事切れており反応はない。
血が一切出ていないという事実に気付ける余裕もなかった。目を背けたいはずなのに、その姿が網膜に焼き付いて離れない。
人外だ――。
天使だから当たり前の表現だ。
そのはずなのに、人間である自分には理解の範疇を越えた出来事の連続の最中、そんな言葉が脳裏で反芻される。
亜人の命を何とも思っていない行動に、例えようのない恐怖を抱く。警報が頭の中で鳴り響き、体が硬直する。
そのまま女性を凝視していると、やがて体に変化が訪れる。
体全体が粒子のように細かくなると、それは徐々に大気中に消えていく。最初は足のつま先から始まると下半身へと移り、次に上半身へとどんどん進行していく。最後は頭部だけが残り、それも消える。
文字通り、女性はこの世から完全に消滅した。
「もう時間ね。それにしても、あの次期司教は使えそうだわ」
プリンチパティにとっては全員がいなくなった教会内に、独り言を放つ。
使えるってどういう意味だ。どんな見識からで、どのような陰謀からだ。
俺は司教になったらどうなってしまうんだ。
こんな奴らのために祈りを取り仕切り、天使の操り人形として生きて死ぬのか。
村人共から神だと崇められ立派な偶像として生き、中身は空虚なまま死ぬのか。そもそも一生村から出られないのではないか。
俺が司教になった暁には、無能なゴミクズ共を追放しようとしてた。
もしかしたら、司教として下らない人生を送るくらいなら、追放されて自由に生きた方がいいのではないか。俺は檻の中でふんぞり返る哀れな動物にしか過ぎなかった。
「嫌だ。嫌だ……」
何も知らなければ良かった。こんなことするんじゃなかった。
何故疑わないのか――。
それは当然、疑わない方が幸せだからだ。無知は罪などではなく、むしろ幸福そのものだ。
叫びたい衝動を必死に抑えていると、やがて天使もその場から消滅する。
教会内に取り残された俺は、ただその場に居尽くしていた。
頭の中にはまとまりのない思考が渦巻いている。むしろ渦巻きすぎて、まともな思考を読み取ることができない。無駄な時間だけが過ぎていく。
――やがて時間の経過により、頭のどこかでここが殺害現場だったことを思い出すと、急に寒気がしてくる。体は硬直から震えに変わり、
一刻も早くここを出なくてはならない。体中から再度警報が鳴り響き、震えていた体がようやく動き始める。
必死に扉を押しているのに、なかなか開かない。
おい、やめろ、早く出せ。
プリンチパティはもういないはずなのに、自分も殺されるかもしれないと思うと、つい恐怖と苛立ちから声が出る。
「クソ!」
時間をかけてようやく扉が開き、外へと出る。
まるで限界まで走り込んできたかのように、体中から汗が吹き出し、息は切れていた。
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