第17話「赤髪男」

 村人達が寝静まった深夜のこと――。

 メノッティ夫妻が寝たことを確認すると、二人揃って外に出た。


 メノッティ家からは離れた閑静な森の中に、イブキとレベッカが立っている。

 ついでに私もイブキの隣に立っている。理由は例によって集中するための国外追放である。


「なんでこんな時間にやんのよ。マジ眠いんだけど」

「この時間でなきゃできない、が正解だ。昼間からマジーアをぶっ放してたら旅人様じゃなくて不審者様であえなく御用だろ」

「御託は良いから、はよう始めんか」


 イブキとは、こうして一日一回はマジーア及び戦闘の訓練を行うことにしている。マジーアを使えるだけでもアドバンテージが無いわけではない。

 しかし、戦闘経験のない異世界から転生した人間が努力もせずに生き残れる世界でもない。


「そうだな。その前に聞くが、レベッカはマジーアを使えるのか?」

「んーと、ビミョーに使えるかな。アックアだけね」


 レベッカは面倒そうに肩を回しながら、欠伸を噛み殺して答える。

 本当にこいつは協力する気があるのか。昨夜は相互に利益が云々言っていただろ。


「アックアのマジーアは、どれ程のものが使えるんだ?」

「全然よ。数十リットルくらいの水が、バシャーって掌から出るくらい」

「お主は大道芸人か……」


 私は思わず頭を抱える。

 恐らくイブキはレベッカが天使戦で戦力になるか問いたかったのであろうが、水が出る程度ではどうにもならない。


「まあいい。レベッカの能力なら、マッチポンプくらいの使い道はある。それよりも、今は天使を倒すための戦略でもなんでも考えなければならない」

「それもそうじゃな」


 四の五の言ったところで、イブキ自身が強くならなければ始まらない。


「ま、なんでも良いから頑張ってね。私は業務上イブキの傍にいないといけないからさ」


 仕方なさそうな口調で呟くレベッカをよそに、訓練が始まった。



―――――――――――――――――――――――



 どれ程の時間が経ったのであろうか。まだ空は暗い。


 私とイブキは訓練後であり、汗を流している。

 外部者を監視するために、レベッカは立ったまま睡眠を取るという方法を採用している。

 熟睡の域に入っており声をかけるのも憚られるレベルである。でもこれ、職務怠慢なような気もするが。


「そろそろ戻るか。メノッティ夫妻にバレても厄介だ」

「そうじゃな。しかしメノッティ家の秘密というのが、どうも見えてこんな」


 昨夜レベッカはメノッティ家がヒントかもしれないた言っていた。乗り込んできたデ・パルマ家の言葉を考えれば、メノッティ家の過去には何かがある。

 その正体を掴みたいところであるが、夜が明ければ祈りの日になってしまう。タイムリミットまでは、もう時間がない。


「それを暴くのはレベッカの仕事だ。俺達は天使を倒すことに集中しないといけない。結局は情報もロクに取れない中での戦いだしな」

「そうじゃったな……」


 見えてこないのは秘密だけではない。天使の件も同様である。

 あれだけ聞き回ったのに、テーアの解説以外からは天使に対する明確な正体は見えてこなかった。

 祈りに参加する以上、些か不安ではあるが今持てる力で挑むしかない。


 起床したら大変な一日になりそうだと思いながら、メノッティ家に戻るため歩き出そうとした。


 ――その時であった。


「! 避けるんじゃ、イブキ!」


 一気に空間の温度が上昇する。

 刹那、暗闇の一部がキラリと光ると、横向きの炎柱が出現し私達を焼き払わんと向かってくる。


 すんでのところで、二人とも上手く回避する。

 木の一部に火が燃え移り、パチパチと音を鳴らしている。


「チッ……」


 舌打ちをしながら、イブキがアックアを使い消火する。そのまま燃え移れば、ただ事では済まない。


「これは単なる放火などではない。人為的なものじゃな」

「つまりはマジーアだ。誰か来るぞ」


 炎柱が出現した暗闇の中から、一人の男が姿を表した。

 ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。近付いてくるにつれて、段々とその姿が見えてくる。


「――お前らぁ、誰だぁ?」


 かなり横柄な口調と態度で喋りながら登場する。

 伸び散らかした赤髪をブルブルと振るいながら、中腰の姿勢で目を細めながらこちらを睨み付け、鼻息を荒くしている。目は血走っており、顔は紅潮している。

 それは敵意剥き出しの野獣であり、明らかに危険と分かる。


「神月伊吹だ。隣にいるのはルキで、俺の旅のパートナーだ。よろしくな」

「ルキじゃ。汝の名は何と申すか?」


 珍しくイブキが、柔らかな口調で自己紹介をしてみせた。

 不自然さのない微笑みセット付きであり、友好的な態度で他者理解に努める。


「嘘だ。俺を消しに来たのかぁ?」


 その態度を拒否して急に目を見開くと、わなわなと身を震わせる。向こう側からの自己紹介がない以上、暫定的に赤髪男と呼称せざるを得ない。

 そしてイブキの善意を踏みにじるとは、万死に値する。

 死んで償うことを推奨しよう。


「俺はなぁ、言われた通りずっとおとなしくしてたんだぁ! もう何も望んじゃいない! 天使様に愛されようとも思ってない! 力も使わない! 村長も大丈夫だって言ってくれたぁ! それなのにぃ、どこが悪いんだよぉ! 俺は何かしたかぁ? とうとう外部の者を使って暗殺するのかぁ? おい! 答えろよぉ! 頼むよぉ、余計なことはしませんからぁ!」


 泣いたり声を荒げたり首やら手やらを振り回したりと、様々なアクションを繰り出しながら、支離滅裂な話しを並べ立てる。


「汝は何を言うとるか。妾達は危害を加えるつもりはないと言っておる」

「嘘を付くなぁ! 裏切るなぁ!」

「話しがまるで通じないな。これなら獣の方が幾分かマシだな」

「聞こえねえよぉ、なんつった? どうせ、俺の悪口だろぉ?」


 どうやら自己の世界内で完結してしまっており、こちら側が立ち入れる隙はなさそうである。


「こっそりとやられるくらいなら、こっちからやってやるよぉ」


 自分の世界内ではやられそうになっている男が、中腰から戦闘の構えに入る。

 彼なりの基準では、どうも私達は暗殺者という結論に至っているらしい。


「やるしかないか」

「アペティートの時は味気なかったから、腕が鳴るのう」

「いや、アンタは奴を殺さないように注意しろ」

「何故じゃ? あんな野獣を宥めるなぞ、妾にはできぬぞ」

「相変わらず理解に欠けるな。あの男は、言動を考えれば村人の可能性が高い。ということは、捕まえて拷問をすれば有益な情報が引き出せる」


 イブキの説明そのものは理解できるが、ただの人間が息を吐くように拷問を手段として選択するな。

 お前は本当に平和な世界線の日本から来たのか。


「拷問とはのう。イブキは心が痛まんのか?」

「皆無だな。悪魔に心配されるとは心外だ」


 そう言い切るイブキに躊躇いや震えなどはない。軽く首を回しながら準備する。

 痺れを切らしたのか、赤髪男が先に正面から仕掛けてくる。


「ピラストロ【pilastro:柱】」


 奇襲時に見せてきた技である。

 フオーコで作り上げた炎柱を、容赦なく私達にぶつけてくる。


「オンダ【onda:波】」


 対抗策として、イブキがアックアで波を生み出し、炎柱を消し去る。

 広範囲で引き起こした波は炎柱を消すだけには止まらず、勢いはそのままに赤髪男へ覆い被さる。

 赤髪男は後ろ跳びに避けてみせるが、地面にぶつけられた波の飛沫が視界を遮る。

 一瞬の隙ではあったが、私が赤髪男に気付かれず背後に回り込むには充分な時間であった。


「マッサ」


 アンナも使っていたテッラの土塊を用いて、赤髪男に殴りかかる。

 余計な時間はかけずに一撃で気絶を狙う。物がぶつかる音が聞こえ、間違いなく直撃していることが分かる。


「むう?」


 音がしたはずなのに、土塊と赤髪男の間には数十センチ程の隙間があり、直撃していない。

 全体重をかけていた私は無防備になり、赤髪男の反撃に備えることができない。


「コルポ【colpo:打撃】」


 赤髪男が私に向かって正拳突きを繰り出す。

 今度はヴェントで生み出された空気砲のような、強烈な打撃を繰り出す。

 私は避けきれずに腹部に直撃を食らい、十メートル程度先まで吹き飛ぶ。


「ぬぅ……」


 それはいわばボディーブローと同じである。まともに一撃を喰らった私は思わずその場でうずくまり、胃液を吐き出してしまう。


 クソッタレめ。

 マジーアとはいえ所詮は風の力。悪魔の私にとって致命傷ではないが、相当に痛い。鈍痛が腹部に広がっている。

 早く立ち上がらなければ。脳からはそう命令が下るが、体が言うことを聞いてくれない。


 その間にも、赤髪男が野獣の目付きでこちらを睨みながら、近付いてくる。

 反撃できないわけではないが、痛みのせいで力加減ができる確証がない。うっかり殺してしまえば、元の木阿弥である。


「止まれ、フルスタ【frusta:鞭】」


 私を仕留めることに夢中になっていた赤髪男の背後から、イブキがヴェントで形成した鞭をしならせ、襲いかかる。

 目視はできないが、風の流れと鞭をしならせた時の特有の音が存在を認識させる。


 パシンッ。


 鞭がぶつかる音がする。そのまま巻き込んで捕らえるつもりである。

 それにも関わらず赤髪男は傷ひとつ付いておらず、余裕の表情でこちらへと歩いてくる。


「まさかチート能力でも持ってるのか……」


 イブキが呆然と呟く。このままではなす術がない。


 十メートル程度あった距離もあっという間に縮まり、赤髪男が至近距離まで迫ってくる。

 どうしたものか。もう一発耐えてみせるか、殺戮覚悟で反撃するか。

 悪魔の癖に慣れない中途半端な思考回路を巡らせたせいで時間を浪費し、結局赤髪男の攻撃を防げそうにない状況に陥る。


 もう一撃ぶちこんで来る気か。思わず痛む腹部に力が入る――。


 パチンッ。


 辺り一面に小気味よい、乾いた音が響き渡る。


「な、なんじゃ?」

「まさか悪魔様を助けるとはねー。亜人史上最高の功績じゃないかしら?」


 いつの間にか起床していたレベッカが駆け付け、赤髪男に強烈なビンタをお見舞いしていた。

 私をチラリと見ると、快活な笑顔を見せる。


「ごめん。さっきまで寝てましたー。それで、この赤髪ボウヤは誰なのよ?」

「君は、誰なんだ?」

「質問に質問なんて、もしかして友達いないの、キミ?」


 赤髪男は先程までの横柄な態度は鳴りを潜める。どこか怯えたような目でレベッカを見つめる。

 それでも、相変わらずコミュニケーションは成立していない。


「さっき亜人って言ったか? 君の名前は? 何でここにいるんだ? 君は死んだはずじゃないのか?」

「なんなのこいつ、キモいんだけど……」


 赤髪男の一方的な態度に対し、レベッカは明らかに引いている。


「まさか、君は地獄から戻って来たのか? 俺に罪を意識させるためにか? それとも、天使様は舞い戻らせたのか?」

「あのー……私現世から引っ越したことないんだけど。どなた様かと間違えてない? ついでに私はレベッカ・トンマージですけど」


 レベッカが名乗ると、赤髪男は更に雰囲気を変える。真剣な眼差しに変わり、顔付きも人間本来のものに戻っていく。まるで憑き物が落ちたかのように。


「俺は……いや、私はジュスト・メノッティ。クレメンツァの消し去られた希望です」


 メノッティの名字――。

 瞬間、三人の脳内に衝撃が走り互いに目を見合わせる。

 それは、物語が大きく動き出す音であった。

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