第8話「ジェニトーリの悪魔と亜人」

 レベッカ・トンマージはこの村に嫁ぐまで、名字など無くただのレベッカであった。

 母親の名前はカリーナで、淫魔であるサックバであった。なお、この事実をレベッカ自身が知るのは後の話である。


 十二歳の頃までは、モンドレアーレの西側に位置するジェニトーリという、特筆すべき点もない町に住んでいた。


 近所には年齢の近い友達がいて、ほとんど毎日遊んでいた。

 幼い頃は、モンドレアーレでは誰しもが通る道である、歴史上の偉人である勇者フラヴィオのごっこ遊びに興じていた。


 勇者フラヴィオとは、約三百年前に活躍したと言い伝えのある、人間にとっての英雄である。悪い悪魔達を打ち倒し、戦乱の中にあったモンドレアーレを救ったという。


 男の子達はこのフラヴィオの真似事をして悪者をやっつけるという、勧善懲悪ごっこを演じたがっていた。

 一方でフラヴィオが愛したという女性が誰なのかは文献でも不明であったため、ませた女の子は意中の男の子へ、自身がその女性であると言って気を引こうとしていたものだった。


 不思議なもので、当時の私はとにかく男の子からよくモテた。

 そのせいなのか女の子の友達は少なかったが、キアーラ・ガリアルディーニという同い年の女の子は私と仲良くしてくれていた。


 キアーラの髪と瞳の色は、私と同じく紫色だった。ただし同じ部分はその程度であり、他は何もかもが違っていた。

 男勝りな性格で並外れた力持ちで、誰からも頼られるリーダー役。それなのに端整な顔立ちをした美少女であり、誰にでも笑顔を振りまく完璧な子だった。


「ごめんね、キアーラちゃん。私なんかと」

「いいってことよ。レベッカちゃんと私って、髪の色も似てるしなんか姉妹みたいだよね」

「そうかなあ。私はキアーラちゃんと違って、ホントに何もできないよ」

「ううん。レベッカちゃんは優しくて、皆から愛されてるじゃない」


 一緒にいるのが申し訳ないくらいに感じている私を、いつもキアーラは違和感なく褒めてくれた。

 親友でありながら憧れの存在であり、本当に私と同い年なのだろうかと何度も疑問に思っていた。


 幼い頃から年齢を重ねても、キアーラは私と遊び続けてくれた。

 時折、迎えにきたキアーラの父親とも会う機会があったが、仲睦まじい親子だった。父親は私を見るとニッコリと笑いながら話しかけてくる。


「こんにちは。レベッカちゃんは、お母さんによく似て美人さんだね」

「あ、ありがとうございます」


 褒められ慣れていないため、思わず赤面してしまう。

 私をニッコリと見つめるその先に何を見ていたかなんて、幼い私には想像もできなかった。

 キアーラと手を繋ぎながら歩く彼女の父親を見ていると、胸の内に感じたこともない気持ちを抱くことがあった。

 二人の背中を見届けると、足早に家へと向かった。


 ――帰宅すると、ピーマン料理がところ狭しとテーブルに並んでいる。


 これはいつもの光景であるが、いつも通りうんざりする。

 その中にはいつも通りではない物も置かれていたが、あまり気に留めなかった。


 母親であるカリーナがテーブルに着くようすすめてくる。

 紫色の髪と瞳とパッチリとした二重は私がそっくりな部分であり、それに付け加え圧倒的なスタイルも含めると、娘から見てもカリーナは可愛らしい女性だった。ただし母親としてのスペックはあまり高くない。


「またピーマンなのー」

「レベッカ、好き嫌いしないで食べないと、大きくなれないわよー?」


 思わず嫌そうにため息をつく私に対し、カリーナはありふれたセリフを投げ掛けてくる。

 そんなセリフだけで食べられるものか。


 ジェニトーリ産のピーマンはモンドレアーレでもナンバーワン、というフレーズはカリーナからも他の町民からも散々聞かさている。

 それが事実なのかはさておき、色々な場所に輸出していることからジェニトーリといえばピーマンらしい。

 一番残念なのは、私が大のピーマン嫌いということだ。ジェニトーリの名産がピーマンというのは、本当に災厄としか言い様がない。


 それでも背に腹は変えられない。仕方なくテーブルに付くと、カリーナと一緒に嫌々食べることにした。


 炒められたピーマンを口に入れる。

 ひと噛みすると、独特の食感と共に口の中に苦さが広がってくる。

 まずい。これを美味しそうに食べる人の気が知れない。

 私の表情を見たからだろうか、カリーナが食べながら声をかけてくる。


「レベッカちゃん、美味しくないの?」


 ひとまず無視をする。

 大体咀嚼しながら声は出せない。そして美味しくないと答えたところで、健康に良いから云々と理屈をつけて食べさせてくるだけだ。

 かといって幼い自分に望む料理を作る能力もない。ピーマン料理が出る度に仕方なく食べるしかない、というのが短い人生経験での結論だ。


「ねえねえレベッカちゃん、今日は誰と遊んだの?」

「キアーラちゃんと」

「またキアーラちゃんと? 他に仲良い子はいないの? 好きな子はできた?」

「別に」


 面倒くさいな、もう。


 私が他の女の子から疎まれている話しなんかしようものなら、嫌な意味で食い付いてくるに決まってる。そんな話しはしたくない。

 好きな子と言われても、よく分からない。大体カリーナには夫がいないが、そう言うアナタは好きな人がいるんですかと逆に聞きたい。

 とにかく私と遊んでくれるのは、今も昔もキアーラだけだ。


「そういえばね、レベッカちゃん。今日お誕生日でしょ」


 食事が終わり一段落した頃、カリーナが声をかけてくる。

 そういえばそうだった。今日で八歳になる。


「お母さんね、レベッカちゃんが欲しいかなって思って、プレゼントにペンダントを用意したの」

「えー、ありがとー!」


 カリーナからの思いもよらぬプレゼントに対し、素直に喜ぶ。

 ジェニトーリのもう一つの特産品である、ペンダントだ。詳しくは知らないが、木々を加工して作り出すそれは、近隣では上級品と持て囃されているらしい。


「はい、これ。誕生日おめでとう」

「うん! ……え?」


 カリーナがテーブルの上に置いてあったペンダントを渡してくる。

 嬉々として受け取ったペンダント。よく見ると、ペンダントトップは半分に輪切りにされたピーマンの形をしていた。


 なんだこれ。


「ジェニトーリの名産品二つを掛け合わせてみたの。ちなみにね、このペンダントトップが半分なのはね、ペアだからなのよ」


 そう言うと、テーブルにもう一つ同じペンダントが置かれていることに気付いた。


「本当に愛せる人ができたら、それを渡してあげなさいね」


 やっぱり、私の母親はズレている。

 料理のセンスもそう、プレゼントのセンスもそう、言葉選びのセンスもそう。


 さすがに小さい私でも、そのペンダントの意味くらい分かる。

 八歳の女子に渡すべきものではない。成人となる十八歳以降の女性に渡すべき代物だ。

 もっと言うと、カリーナの首元にも同じペンダントがある。私がいるということは、渡した相手がいるはずなのに一体どうしたのか。


「うん、分かった」


 頭の中では色々な考えが巡るが、ここで話してもカリーナは上手く処理できないだろう。

 大人しく受けとると、食器の後片付けに加わった。


 ――それからしばらく経った、十歳の何でもないある日のこと。


 友達との遊びが終わった私は、いつもより早く家に帰ってきていた。

 家の中に入ると、何とも言い難い雰囲気がした。


 上手く言語化できないのがもどかしい限りだが、家中からむせ返るような人間の雰囲気がしているのだ。

 その正体を探るべく部屋を探し回っていると、やがて答えにたどり着いた。


 寝室のベッドで、男女が寝ていたのである。

 私はその様子を扉から恐る恐る顔だけ出して、観察していた。


 二人とも裸で、その体を密着させている。

 女の人は、私の母親であるカリーナ。男の人はキアーラの父親ではなかったか。お互いの体は揺れており、どうやら二人は仲睦まじい様子であった。


 どういうことだ。


 ドクン、ドクンと思いがけず心拍数が上がる。

 心臓が口から出てしまいそうで、思わず口を手で塞ぐ。

 次にキーンと耳鳴りが起き、辺り一体の音が何も聞こえなくなる。

 そのせいで体の平衡感覚を失い、思わずよろけそうになる。

 呼吸のペースが早くなる。上手く息継ぎができない。

 目の前が少しチカチカしてくる。あの部屋で、何が起こってるんだ。

 映像が、どんどんとボヤけていく。その中で、頭の中だけが駆け巡る。


 キアーラの父親には、妻がいるはずだ。確か、生涯を誓った夫婦は他の人を愛してはいけなかったのではないか。

 それなのに、そのはずなのに――。


 そう思った一瞬で、本能的に脳がその映像を受け入れることを拒否した。


 反射的に体が動き出し、その場から走って逃げ出した。

 あの部屋から離れろ、離れろ、離れろ。どこまでも、どこまでも、どこまでも。


 息が切れ、足がちぎれそうになっても走り出す体は止まることを知らなかった。

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