第7話「蔑まれる存在」

 深夜、皆が寝静まった頃。


 一つ屋根の下で、二人の男女がそれぞれの寝床で睡眠している。それは朝まで変わることなく、起床の時を迎えるはずであった。


『暇じゃな……』


 心の中でそう呟く。

 イブキとレベッカが寝ている中、どうやら私は起きてしまったようである。

 私という存在は、契約した場合には心の中にいようが休息を必要とする。

 宿主が起きていない場合、視界が開いていないため外で何が起きているのか把握することはできない。


 一旦起きてしまうとなかなか寝付けないのは、悪魔でも人間でも変わらぬ性。

 今日はさして体力も使わなかったので、熟睡できなかったようである。


『独りで瞑想にでも浸るかのう』


 やることもないためそう思い、静かに朝まで過ごすことを決めた。

 その時であった。


 ガサガサ……。


『むっ……?』


 ガサガサ……ガサガサ……。


『なんじゃ……?』


 イブキの体の近くで何か物音がしている。まさか敵襲か。


『イブキ、起きるのじゃ!』


 そう叫んだところで起きないことは知っている。

 宿主が寝ている以上は外にも出られず、私に共有できるのは聴覚のみである。


「イブキ様、起きて下さいませ……フフ……」

『この声は……』


 間違いない、レベッカである。日中の様子からは想像できないくらい、艶やかな声でイブキの耳元へ囁いてくる。


 ガサガサ……ガサガサ……ガサガサ……。


「イブキ様、どうか私のこの身を……」


 怪しげに聞こえる物音に、このセリフ。

 一つ屋根の下で夜の消灯後に起きるこのシチュエーション。


『こ、これは、ま、ままま、まさか』


 噂に聞く、逆夜這いってやつか。


「さあ、イブキ様……」


 男ならば抗うことのできない、その誘い。

 聴覚だけでも分かってしまう、異常なまでに漂う色香。嗅覚もないのにむせ返るような甘いフェロモンが匂ってくる。

 只の人間が醸し出すことは到底できない所業であり、その理由は一つの答えをもって証明される。


『この、淫魔の混血めが! 妾の……妾の……』


 その事実に気付きながらも伝えるタイミングを逃し、レベッカの良さそうな人柄を信頼してイブキは知らぬまま寝てしまった。

 私は相変わらず何をしているのであろうか。初めてではない自己嫌悪に浸る。


「イブキ様、ご遠慮なさらずどうかお好きに……さあ、早く……」

「――コルテッロ【coltello:ナイフ】」


 高ぶりを見せ魔性の声で囁くレベッカに、平坦な声でイブキは答える。

 途端に視界が開け、何が起こっていたのか理解する。


 仰向けに寝ているイブキに、顔を近付け覆い被さるレベッカ。それは、僅かでも動けば唇が触れ合ってしまう距離である。

 彼女自慢の豊満な胸は既にイブキの胸部に密着しており、通常の男性であれば興奮必死の光景に違いない。もしかすると興奮をそのままに手が伸びてそこから云々、なんてことも考えられる。

 しかし、現在目に移る光景では全く別の理由で手が伸びている。


 レベッカの後頸部に、イブキが不可視の風のナイフを右手で持ち突き立てている。

 ナイフの先端は後頸部に突き刺さっており、首筋を伝って血が流れてくる。


 レベッカは奇襲に驚きイブキを見つめながらも、痛みに顔をゆがめる。驚きと痛みと艶やかさを混ぜたその顔からは、とても天使を崇拝している淑女には見えない。


「イブキ様。なぜ、私と……」

「交尾をしないか、とでも聞きたいのか? 生憎俺には先約がいてな。男なら誰でも乗っかると思ったか? 案内人のくせに見識が狭いな」


 あからさまな挑発に、レベッカは顔をしかめたまま反応する。


「知ったような口を……」


 レベッカがイブキから体を離そうとするが、ナイフはレベッカの首筋へ更に沈んで行く。


 ぽたり、ぽたり。


 流れるだけでは済まなくなった血は首筋から離れ、イブキの顔面に付着する。


「ぐぅ……」

「諦めろ。おとなしく話をするなら命までは取らない」


 痛みで思わず目を瞑りながら顔を歪めるレベッカに、イブキは忠告する。


「それでも、私は――」

「頼んだぞ、悪魔様。捕まえてくれ」


 尚も抵抗しようとする姿を見て、イブキは不可視の風のナイフを引き抜きながら秘密兵器を投入する。

 心の中から黒い渦を描き、やがて一つの場所に集中し、それは私を形成する。

 覆い被さっているレベッカの背後に立ち、目を細めながら見下ろす。


「淫魔の混血の売女の外道よ。どういう了見で妾の愛しのパートナーに触れておるのじゃ? その薄汚い体を離すのじゃ。フォルテ【forte:強】」


 アイウートのマジーアを使い、自身の筋力を増強させる。

 片手でレベッカの首根っこを力任せに掴み、そのまま反対側へと放り投げ壁に叩き付ける。


「あぁん!」

「パートナーからのリクエストじゃ、いい加減応えんとな。マネッタ【manetta:手錠】」


 痛みに悲鳴を上げるレベッカへ、容赦なくマジーアを仕掛ける。土により生み出された手錠は彼女の両腕と両足を縛り付け、壁へと磔にした。

 もはや逆転の芽は摘まれたことを理解したレベッカは、磔のまま脱力し俯いた。

 私はというと、手に付着した血液を舐め取りながら、この女をどう処理するか考えていた。



 ―――――――――――――――――――――――



「――こやつは、混血の生物じゃ。中でも悪魔と人間のハーフで、そやつらは亜人と呼ばれておる」


 磔にされたレベッカを眺めながら、私はその正体についてイブキへと教える。考えた末に、まだこの世界で遭遇していなかった亜人への説明材料にした。


「亜人か。またしても異世界転生のド定番か」


 昨夜の恵石の件を思い出したのか、イブキはどこか懐かしそうな口調でそう呟く。


「相変わらずその定番とやらの意味を測りかねるが……とにかく、こやつは亜人じゃ。その中でもこやつの悪魔の種族が――」

「サックバ、つまり淫魔のハーフよ。どう、これで満足? 契約者への亜人講座は済んだ?」


 レベッカは、開き直ったような様子であり投げやりな口調で、冗談混じりに自身の正体を打ち明ける。日中の真面目で信心深い様子ではなく、先程までの艶やかな様子でもない。

 何もかも諦めたかのような態度。これは達観、という言葉が適切そうである。


「こやつのこの態度の変わりようは何なのじゃ……」

「私の素はコレなの。で、普段は演技。悪魔様はご不満? そりゃそうでしょうね。高貴な悪魔様から見たら、私は下劣中の下劣のサックバの、そのまた底辺のサックバのハーフなわけだから」


 私は半ば呆れながら呟くが、レベッカはあっけらかんとしている。


「さっきから随分と自分を卑下しているが、やはり異世界テンプレ的な感じで、亜人は差別でもされてるのか?」


 途中で意味不明な単語を挟みながら、怪訝そうな顔でイブキは尋ねてくる。


「イブキ、あんた旅人のくせに無知で無神経ね。いったいどこ出身よ? 亜人ってバレたら表を出て生きていけないなんて、モンドレアーレの常識よ」

「レベッカを悪く言うつもりはないが、サックバは悪魔の中でも特に忌み嫌われる種族でな。全員が女性で、目的が悪魔もしくは人間の交配相手を探すために一生を費やす。更に交配相手を効率よく獲得するために、異常なまでに性的魅力が発達した種族じゃ」


 今度はレベッカが呆れたような様子で、イブキへ毒を吐く。

 レベッカとイブキをフォローするために捕捉しようとするが、サックバに対する悪口に終始してしまう。


「そうね。つまりサックバのハーフってことは、人間の父親が欲望に負けた結果産まれた哀れな子どもってことと同意義よ。夫婦の間に愛なんてないわ」


 レベッカはまるで他人事のように、どこか遠くを見つめながらサラリと言ってのける。


「そうか。それじゃ本題に入るがいいか?」

「別に大した反応は期待はしてなかったけど、あんた本当に無知で無神経ね。事後で打ち明けた男たちは、大体同情か熱弁してくれんだけど……」


 そこそこに悲しい境遇を背負った女性の話を聞き流し、自身の要件を要求する。

 相変わらずこの男はスイッチが入らないと冷たいな。この流れで進んでいくと、今回は過去の感情経験の出番は無いのであろうか。


「俺を襲った理由はなんだ? 別に気紛れってわけじゃないだろ。利害が一致するなら、協力はする」

「あら、無知で無神経でも理解だけは早いのね。そういう便利な男は助かるわ」


 イブキの目を見据えながら、レベッカは一瞬で真剣な顔と目付きに戻り、目的を吐き出すために時間をかけて息を吸う。


「私、この村が欲しいのよね」

「それはどういう意味じゃ?」


 息を吐き出しながら、自身の野望を吐露する。

 予想だにしなかった言葉に、思わず私が反応する。一方のイブキはこれといった反応はせず、軽く頷いた。


「そこは悪魔様が突っ込むのね。意味も何も言葉通りの意味よ」

「意味は分かるが理由にはなってないだろ。お前の過去を洗いざらい話せ」

「あらー、全部話さないと協力してくれないのね」


 苦笑しながら「まあいいけど」と呟き、彼女の口から亜人としての半生が語られることになった。

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