第6話「ストゥルットゥーラ」
レベッカ宅に戻る頃には、すっかり夜になっていた。
家の中に入ると、レベッカはキッチンへと向かう。よく見るとかなり年季が入っており、コンロ部分の回りの木々は所々黒くなっている。
「イブキ様、早速夕飯をお作りいたしますが、いかがなさいますか?」
「悪いが、頼む」
「承知いたしました」
そういえば、イブキにとっては異世界初めての食事タイムである。思い返せば、ポーヴェロではアンナ宅で水しか飲ませてもらえなかった。
手料理を振る舞うのが、私にとっては小癪な女であるレベッカという事実に、嫉妬を隠しきれない。
「それでは、この服装では少々窮屈ですので、着替えて参ります。暫く目を外しておいていただけると、幸いです」
そう前置きするとアンナは隣の寝室に行き、イブキの目が届かない位置で着替えを始める。
『イブキよ。お主は、あの女の手料理が異世界初めての食事で良いのか?』
先程の嫉妬内容をほぼ原文のままでぶつける。
『構わない。むしろアンタは料理できないのか? 富と財宝司ってるなら、食材や料理の知識があっても不思議ではないが?』
『そ、それは……元々富と財宝には食材に関する知識は入ってなくてのう』
『だろうと思ったよ。仮にアンタは力を全て取り戻しても、今とそこまで変わらないんじゃないか?』
『さすがに変わるわい! 小馬鹿にしおって。だいたい、妾は目の前のレベッカがどんな女なのかも知っておるのじゃぞ。それはのう――』
「イブキ様、お待たせいたしました。これから夕食をお作りいたします」
またしても、奇跡的なタイミングでレベッカがイブキに声をかける。
修道服から、寝間着として白色のシュミーズドレスに着替えていた。
全体的に透き通るような白い肌は、思わず近くで見とれてしまう美しさである。
修道服の時には確認できなかったが、紫色の髪は綺麗なポニーテールであった。髪と瞳の一体感により、何とも言い難い色気を放っている。
ドレスそのものはゆったりとしているが、それでも修道服よりは体のラインが判別できてしまう。
胸部には、はち切れんばかりに育ちきった二つの脂肪の塊が付いている。これは、私よりも大きいな。どう見ても契約違反にあたる大きさである。
脚はスラッと綺麗なラインを描き、その美しい脚線美の前に息を飲みすぎてもはや詰まりそうである。
私が男であったら、間違いなく今夜はワンチャン狙っていたところである。
「そうか、ありがとう」
にも関わらずイブキはテーブルに着くと、夕食の完成をじっとおとなしく待っていた。口説く気配すらない。
これはおかしいな。自称イブキ探偵の私としては謎を解き明かさねばならない。
『まさかとは思うが、イブキは女に興味が無いと申すか?』
『いや、普通に女性が好きな男性だ。レベッカにはそういった感情を抱かないだけだ。だいたい、他の女性と関係持ったら終わりって契約なのに、レベッカを口説けとでも言うつもりか?』
『いや、そういうことではなくてのう。不本意極まりない心情ではあるが、レベッカのあの姿を見たら、大抵の輩はワンチャン狙うじゃろう? それなのに、お主はピクリとも反応しとらん』
『ワンチャンってなんだ。悪魔界の重鎮とやらがパリピ極まりない発言をするな』
『さらにまさかとは思うが、その反応。イブキはもしや齢三十にもなって童――』
「イブキ様、夕飯ができました」
あり得ないくらい奇跡的なタイミングの連続で、レベッカは夕食を完成させてしまった。
ふざけるな、あともう一歩でパートナーの女性経験歴を確認できたというのに。
手際よくレベッカは配膳していき、テーブルに夕食が並べられる。
昼間にも出たイブキ命名のベネ茶と、山菜らしきものが練り込まれたパンという、質素な食事である。
「それでは、今日というこの日に受けた祝福にも、天使様への最大級の感謝を。明日を生きる喜びにも、天使様への最大の感謝を。いただきます」
「いただきます」
クレメンツァ流の挨拶を披露するレベッカと、ごくごく普通の挨拶をするイブキ。お互いがそれぞれに食事をする。
クレメンツァでは、食事は天使様からのお恵みという発想から私語は禁止されているそうであり、無言のまま食事は進んでいく。
『このパンは、シンプルながら興味深いな。知らない場所で知らない飯を食うのが、異世界を旅する唯一の楽しみになりかねないな』
『妾としては、イブキがいた地球とやらの食事の方が、興味があるがのう』
表向きは行儀良く無言で食べていても、心の中ではマナー違反を平然としていることについては、二人の内緒である。
『ところで、レベッカはマジーアを使ってなさそうだったが、どうやって料理してたんだ?』
会話をせずに済む状況を良いことに、イブキは勝手に心の中で質問コーナーを開いている。
『ああ、そういえば説明しとらんかったのう。それは、
『成る程な。それにしても、けいせき? 普通に魔石でいいような気もするが……魔法がある異世界モノでは、もはや定番中の定番だな』
『どの辺りが定番なのか分からんが、キッチンのあそこに赤い石が置いてあるじゃろ? あれはフオーコの恵石じゃ』
私にそう言われたイブキは、ふとキッチンの方を見る。確かイブキの世界ではコンロとやらが置かれているであろう位置に、拳くらいの大きさの赤色の恵石が置かれている。
『ポーヴェロではあんな物は見なかったが……』
『恵石はそう珍しい代物ではなく、クレメンツァにあることもさして不思議なことでもない。じゃがのう、ポーヴェロはその恵石を買うことすらできんくらいの貧しさではなかったのかと思うのじゃ。もしくは買える余裕があっても購入するツテがない、とかのう』
『あの町はロクな城も立てられなかったし、外部との交流が本当に無さそうだからな』
ポーヴェロでは説明できる機会のなかった恵石。モンドレアーレでは比較的常識的な物体である。
確か転生者には、家電のような物と言えば理解しやすいはずである。
フオーコは、石から定量の熱を発する仕組みであり、さながらIHコンロである。用途の中心は物を加熱することであるが、結婚式で燃え盛る愛を象徴するために、二人が高く掲げるという用途もある。
アックアは、定量の水が雑巾のような容量で絞り出てくる。飲み水に洗い物に料理にと、生活全般を支える大切な恵石である。
テッラは石から定量の土が出てくる。これだけ言うと固めた砂を砕く程度にしか思えないが、石の体積からは考えられないくらいの土が出てくる。
ヴェントは石から風が出てきて物を浮遊させるため、ドライヤーでピンポン玉を浮かすようなイメージに近い。
こう書くとまるで万能の道具に聞こえるかも知れないが、マジーアと比較すればあくまで多少の恩恵である。
ここで説明した以外の機能は持っておらず、原則として戦闘用には使えないことも家電と同様である。
イブキの質問コーナーに付き合っている内に、互いの夕食が終わっていた。
「ごちそうさまでした」
互いに同じ言葉を交わし、レベッカは食事の後片付けを始める。
もう会話しても問題ないと判断したのか、イブキはテーブルに着いたまま質問コーナーの相手を変える。
「レベッカ、昼間ウンベルトが言っていたこの村の仕組みって何だ?」
「それはですね――」
レベッカが言うには、クレメンツァは厳格な身分制度の上に成り立っている。上から順に、司教、村長、村主任、農業人、雑務人といった具合である。
司教は祈りの取りまとめを行い、天使の降臨の中心を担う。特別な力を持っていなければ資格そのものがないため、才能が全てらしい。
村長は村の取りまとめを行う。昼間に会ったロレンツォはこのポジションである。
村主任はそれぞれの区分けされた地域の取りまとめを行う。
農業人は文字通り農業に励み、雑務人はその他の雑務をこなす。
ちなみに、司教は数十年もの間空席らしい。詳しい理由はレベッカも与り知るところではないとのこと。
この身分制度については、司教以外は村長の意向で全ての配置が決定される。
当然権限はかなり大きく、村の皆は村長の顔色を伺いながら生きているのである。
「こう説明すると、ロレンツォ様があたかも意地の悪い人間に見えてしまいますが」
「いや、その捕捉は大丈夫だ。昼間のご機嫌な様子を見てるからな。それよりも、今の説明だと足りない部分がある。案内人と宿泊人とやらはどこに行った?」
そう指摘すると、レベッカの表情はやや曇ったものになる。
「案内人と宿泊人は、身分制度のどこにも属しておりません。天使様のお導きに従い、訪問された方々への奉仕を許されるのみ。ですので、それらを含めて、二つの役職を身分として説明することは許されておりません。そのため、ロレンツォ様が申し上げた祈りにも原則参加はできません」
こき使われて、村の仕組みからも外される。天使を崇拝している村の所業とは到底思えない。
「有り体に言えばただのハズレくじだな」
「いえ、私はそうは思っておりません。ですが、村の皆様が担当したがらないのは事実でございます」
そう言い切るレベッカの表情に、先程までの曇りはない。
イブキがその様子について目を細めながらじっと見つめた後、目の大きさを戻しながらコメントする。
「ロレンツォがレベッカを評価している理由が分かった気がするな。ハズレくじのポジションを嫌がることなく、粛々とこなしているからだ」
「イブキ様といえど、そのご意見には賛同しかねます。私は望んでこの職務に臨んでおります」
「ついでに言えば、レベッカ以外に案内人や宿泊人になった人達は、何かしら脛に傷を持っているということか?」
「その表現についての回答は控えさせていただきますが、何かしらの出来事を抱えていることには間違いありません」
「成る程。天使様の祝福も万能じゃないって訳だな?」
「……」
イブキの嫌味に対し、レベッカは無言を返す。悪魔の私でも、さすがにその言い方はどうかと思うぞ。
そういえば久しく忘れていた。我がパートナーは少々コミュニケーション能力に難を抱えていたことを。
レベッカはそのまま洗い物を終えると、そそくさと就寝の準備を始める。イブキは頬杖をつきながら、つまらなそうにその様子を見ていた。
やがて布団が敷かれると、素っ気ない口調と様子でレベッカは就眠をすすめる。
「準備が整いました、イブキ様」
「ありがとう。それと、さっきの言い方はさすがにすまなかった。謝罪する」
「イブキ様が謝罪することなどありません。むしろ、イブキ様のご質問に対し上手くお答えできず、大変申し訳ありませんでした」
レベッカは軽く礼をしながら謝罪する。
いえいえ、こちらこそ他人の心に共感や理解のできない社会不適合者で申し訳ありませんでした、と不遜のパートナーに代わり心の中で謝罪しておいた。
「それじゃあ、そろそろ寝ることにする。おやすみ、レベッカ」
「おやすみなさいませ、イブキ様」
お手本のような笑顔を見せて、寝室へと向かうイブキへ軽く手を振る。一連の流れとその姿はまさに、案内人の鏡であった。
――イブキが寝息を立てたことを確認すると、レベッカは窓から夜空を見つめる。目はうっとりとしており、どこか現実ではない何かを見ているようである。
「イブキ様は、悪魔から私への祝福なのですから……」
誰にも聞こえないその呟きを、見事に夜空へ消して見せた。
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