第22話「神月伊吹の所心表明」
完全にアンナが見えなくなったところで、私はイブキの心の中に戻り対話をしていた。
『この世界には、法律や裁判やらはあるのか?』
『イブキがどの程度を望んでいるのかは知らぬが、あるにはある』
『その言い方だと……』
『モンドレアーレで統一された法律などない。それぞれの町でそれぞれの法律があるだけじゃ。裁判なんかもやっとる所とそんなもんやらずに対処している所があるのう』
以前に対話した転生者が、この世界は異常だと吐き捨てていた。
転生前は法律関係の仕事をしていたらしいが、その国では統一された法律とやらがあるらしい。全くもって摩訶不思議である。
曰く、皆が共通のルールを理解しそれを遵守し、破った者には平等に厳正なる裁きと共に罪が下される。
そうすることで平和が保たれるはずなのに、それが無ければどう保たれるのか、という理屈らしい。
この世界で生きる我々としては、そちらの方が異常である。
むしろこの世界では、天使や悪魔の種族ごとによって考え方は異なり、人間はそれに追従するしかない。
仮に法律というものがあっても、両者がそれを覆せばその瞬間から無意味になる。我々悪魔としても、そんな人間が生み出した都合を遵守するつもりなど、毛頭ない。
人間のルールに追従しているのは、そうしなければ生き残れない悪魔のみである。
両者の圧倒的な力の前に人間は、祈りを捧げるか契約するか息を潜めるしかない。
そうなると法律とやらを考えるよりも、今挙げた生き方をどう間違えずに選択するかを考えた方が、人間は生き延びやすい。
そのロジックを前述の転生者に説明した結果が、この世界は異常という結論である。
『――すると、ポーヴェロには法律も裁判も無さそうだな』
『そうじゃな。アペティートが考えることがこれまでの法律で、倒された後にアンナがやったことはあくまで形式的な処刑じゃ。更にこの貧しさを考えると……』
『裁判する余裕も場所もない。そもそもラニエロを裁くこともアンナを罰することもこの町にはできなかった』
『しかし、そのどちらも可能にしたのが、イブキの業績じゃ』
改めてイブキの功績を強調した上で、ジェネレーションギャップならぬワールドギャップを埋めてみせる。
その上で、対話しなければならないことを思い出す。
『時にイブキ、お主が結末から見たものは、なんじゃ?』
『その話しか』
町へ到着する前に話していた展望。
そこからどれだけ乖離しているのか、聞かないわけにはいかなかった。
『――この世界に来て、アンタと契約して、力を手に入れた。何かを変えられると思った』
考える時間を費やした後に、ぽつりぽつりと話し始める。
それはまるで、異世界での己の立ち位置を確かめるように。
『俺は力を行使したいと望んだ。違う結末が待ってると思い込んでいた』
冷静な口調はここまでであった。
ごぼり、と。心の奥底からあの音が漏れ聞こえてくる。
途端に口調が一変する。
『あの世界とは違うと思ってたのに! 何も変えられないんだ! 何でこんなことしたんだ!』
情動に身を任せ、ありったけの力で叫ぶ。町を出るまでの冷静沈着な様子は微塵も感じられない。
『イブキ! お主の行いは決して間違っとらんぞ! 嘆き悲しむアンナを救おうとした心意気は、決して誰からも責められるべきではない!』
イブキが夢の中で責められている理由は、町の末路を見て薄々気付いてはいた。
恐らくアンナに復讐の機会を作ろうとした時から、本人なりにこの末路も想像していたはずである。
『救う? 俺は復讐の手伝いをしただけだ。転生前の俺の人生において、復讐はいくら望んでも掴み取れなかった。だから俺は、アンナが復讐を果たせば少しでも報われると信じてた! それなのに……』
それ以上言葉が続かない。さすがに心が読めない私でも理由は推測できる。
力を行使しても誰も救えなかった、力を持つことの虚しさを受け止めきれない。
自分の期待を裏切られた、裏切られる事実そのものに耐えきれない。
アンナと対峙したときのイブキが抱えていた絶望は、この二つに他ならない。
つまるところ、異世界であるモンドレアーレはイブキに期待通りの結果など与えなかった。
『無力なんだ、俺は。次こそは違うと何度願っても、それは変わらなかった』
ようやく絞り出した言葉。表情は分からずとも、イブキの心は泣いている。
私の役割は、そんなパートナーを悲しみの淵から救うことである。
『じゃが、イブキはアンナを自死に追いやらなかった。それでもまだ、何も変えておらぬとほざくか?』
『そうか? 何が贖罪しかないだ、偉そうに。俺は他人にそんなことを言える立場か? 贖い切れない罪を背負った人間がよく言うよ』
『イブキ、落ち着くのじゃ』
『アンタがそう言っていられるのも今のうちだ。俺の過去を全て知れば、絶望するのはアンタの方だ』
『妾が絶望を好むのは事実じゃが、イブキが嘆き悲しむ姿など見とうない』
『悪魔のくせに、善人ぶるなよ。俺は咎人だ』
『イブキ!』
私が宥めようとするも叶わず、自己嫌悪の奥底に沈んでいく。
『結局はどこの世界も同じだ。誰よりも信じたくてたまらないのに、でもまた裏切られて……最期は、俺の最期は……』
一呼吸置き、最後の一言を言い放つ。
『――どこまで行っても救いようがない』
自分自身を崖から突き落とす、無慈悲な結論。
『忘れてたよ、ルキ。心の中で好き勝手喚いて悪かったな』
珍しくルキと呼んでくる。
望んだ呼び名ではあったが、同時に望まぬ言葉が続いてくることも、短い付き合いの中でそれとなく察知できるようになった。
『俺は所詮、哀れな人間だ。無力なのは当然。――笑ってくれよ、悪魔様。それに、俺はこの世界を自由に生きていける身でもない。ルキとの契約無しには生きていくことを許されていないんだ』
どれだけ絶望まみれであっても、イブキは一人の人間である。
死に動揺し、慣れぬ世界に疲弊し、不安でつい他人の手を取りたくなる、どこにでもいるような人間。
ただし世界の誰よりも特別なのは、やはり絶望まみれなことであり、まみれているはずなのに、一人の人間でいることの異常性である。
歪みに歪んでいるはずなのに、そこから逃げることは許されず、立ち向かえど救われない、終わらぬ責め苦。
限界の無き混沌。
イブキの心をあえて言語化するのであれば、そう呼ぶしかない。
そして、その混沌が導き出す一つの答え。
『だから、俺はルキとの契約を守ること以外に、この世界で生きていく理由を作らない』
それは余りにも虚しい誓いであり、本当の意味での契約履行への決意でもあった。
本来は悲しむべきなのかもしれない、断るべきなのかもしれない。
無論、そんなイブキに力を授け、どうにかしてあげたい気持ちがあるのは事実である。
しかし、私はどうしようもなく悪魔というケダモノなのである。
イブキと共に世界を歩む中で、どれ程の感情経験を知ることができるのか、更にどれ程の絶望を味わうのか、そして私はどれ程独占できるのか。
心の芯の芯まで興奮が突き抜け駆け巡り、無限に循環する。
最低、外道、人でなし。心の中でそう戒めた上で、慰めの言葉を選択する。
『そんな暗いことを言うでないぞ。妾は、イブキの唯一の味方なのじゃから』
そう答えながらも気付けば舌なめずりをしながら、特等席でパートナーの心をじっくりと味わう準備をしていた。
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