第21話「贖罪という名の慈悲」
「私は、重い罪を犯した人間です……。いくら城主とはいえ人を殺め、多くの町民を犠牲にしました。イブキ様とルキ様にも、ご迷惑をおかけしてしまいました。ルキ様が止めて下さるまでは、とにかく目の前の人間を殺めることしか考えられませんでした。もうこれ以上の生き恥は、晒したくありません……」
アンナは壁にもたれ座り込んだまま苦しそうに喋り、涙を流す。
それを見つめる私は、声をかけてあげることができない。不甲斐ないことに、何故こんな時に魔法のように解決できる言葉を、持ち合わせていないのであろうか。
私達が出会った時点で、もうこの町の全ては手遅れであることは知っていたはずである。何をしようとも、何もせず過ぎ去ろうとも、悲劇が悲劇として変わることはなかった。
私が想像していたような歓喜なんて訪れるはずがないと、最初から知っていたはずなのに、知らない振りをしていた。
私が悔やんだり悲しんだりしても意味がないのに、それでも、それでも。
こんな仕打ちなんて、あんまりじゃないか。
悪魔が興奮を抑えきれない程の絶望を、こんな健気な人間が背負う必要なんて、どこにもないはずなのに。
「アンナ、一つだけ聞かせてくれ」
話を聞いていたイブキが、唐突に脈絡のなさそうな質問を投げ掛ける。
見つめてくるアンナのしばしの無言を肯定と捉えたのか、質問を続ける。
「この世界は、お前を救ってくれたのか?」
残酷かつ逃げ場のない質問。 彼女は一瞬戸惑うが、すぐに表情を作り直し答える。
「――いいえ、誰も救ってはくれませんでした。運命は、私と幼馴染を引き裂くことを選びました。どれだけ祈りを捧げても、天使様は、舞い降りてはくれませんでした。悪魔は、私達に災いをもたらしました。民は、私を殺そうとしました。そして何よりも、私自身が酷く醜い最も救いようのない存在でした」
そんなことはない、なんて軽々しく言えるような立場でも内容でもない。私も二律背反に耐えきれず、逃げ出そうとした立場である。
それでも、私は思わず言葉を紡ごうとしてしてイブキよりも先に声を発する。
「そんなことはないのじゃ、アンナよ。お主が決意していなければ、この町は今も悪政に敷かれ、民の涙は流れたままじゃった。ラニエロが破った約束への復讐も、何も間違っとらん。町の民どもは愚かじゃ。お主の苦悩なぞ知らぬ存ぜぬで、お主一人に罪を被せようとした。血が流れたのも、いわゆる正当防衛じゃ。お主は何も……」
言葉を紡げば紡ぐ程、アンナの心が私から離れていくように感じる。
涙は止まったものの、それは決して良い意味ではなく、悲壮な覚悟を決めたからに他ならない。
「ありがとうございます。ルキ様はお優しいのですね。それでも、私の愚かさと犯した罪には変わりありません。私は、自分なりの復讐を果たしました。既に生きている意味はありませんし、もう救いがないことは分かりきっています。ですから……」
全てを言い終える前に、イブキが風の剣を彼女の首筋にあてがう。
首筋からはうっすらと血が滲み、生死の感覚を研ぎ澄まさせる。
「イブキ様、これは……」
「ですから、殺してください、か? アンナ、それは許されない」
戸惑う彼女をよそに、淡々と言葉を続ける。
「この世界はお前を救わなかった。もちろん初めから俺たちにも救えなかった。救いがないから自死を選ぶ、それは簡単なことだ」
でもな、と一拍置いて続ける。
「俺はもっと酷く醜い世界を知っている。天使も悪魔もいない、マジーアも使えない、人間が一番悪どい世界だ。そんな世界なのに、楽に死ねないし逃げることも消えることも許されない。それを知っているから、お前が楽に死を選ぶことを俺は許さない」
それはイブキにしか知らない、モンドレアーレの生き物には知ることが許されない世界。
それでも、彼なりにひどく絶望的な世界を生き抜いてきたことだけは、発する雰囲気から理解できる。
「だから、贖え。それがアンナに課せられた、たった一つの許された道だ」
「え……?」
「贖罪という言葉を知っているか? 犯した罪を贖うことだ。アンナは死という手段以外でのみ、それを達成することが出来る」
唐突の提案。
それはアンナの望みを絶ち切るものであり、今の自分を生き恥と評する彼女にとって、それはまさに生き地獄である。
当然、彼女は頷きかねており戸惑い続けたまま、迷いを込めた目でイブキを見つめる。
「アンナ、一つ約束をしよう」
そんな彼女に対し、風の剣を収めた後にイブキは人差し指を一本上げながら、とある誓いを立てる。
「俺はアンナを絶対に救えない。だが、決して裏切らない。それが今までお前が出会ってきた世界との、唯一の違いだ」
「!」
アンナはこれまでにないくらい、目を見開き驚愕した。
所詮は自称旅人で世界も目の前の人間もロクに知らない人間の、独り善がりな提案。拒絶しようと思えばできる簡単な誓い。
「イブキ様、いえ、旅人様……なぜ出会って間もない私にそのような慈悲を……」
それでも、彼女はそれを慈悲と呼び、与えられることへの拒絶ではなく、戸惑いを隠そうとしない。
「お前はまだ間に合うからだ」
「それは、どのような……」
「間に合うと、そう言った。俺はもう手の施しようがない、だからこそ分かる」
それでも、イブキは頑なに贖罪以外の道を与えようとしない。
「イブキ様……申し訳、ございません……」
アンナは天を見上げると、止まっていたはずの涙が再び溢れだす。ただしそれは、先程の涙とは意味が違うことくらい、私でも分かる。
やがてアンナは立ち上がると、無言で深く丁寧な礼を行い、イブキへ向けて謝意を示す。
「何度も言うが、俺はアンナを救える訳じゃない。俺は俺にしかできないことをしに行く。アンナは自分にしかできないことを、考え続けろ」
冷酷にもそう言い放つと、イブキはアンナから背を向けて歩き出す。私も置いてかれまいと、後ろから急いで歩いて付いていく。
ジェレミアはどこへいったのだろうか。埋め尽くさんばかりの死体の中に埋もれてしまっているのだろうか、答えを考える気にはならない。
歩きだした二人は、振り返らず止まることなく一歩一歩進んでいく。
後ろで遠退いていくアンナがどんな表情なのかは、知る由もなかった。
また会えるのであろうか、その答えも誰も知らない。
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