第13話「理由と準備」

 イブキの感情経験から抜け出した私は、疲労感と共に冷や汗をかいていた。実際に汗は出ていないが、そう表現せざるを得ないくらいの光景であった。

 同時に、アンナへ興味が湧き多少の肩入れをする理由を理解してしまった。どちらも父親同士のエピソードであり、絶望の経緯が似ていることである。


『イブキよ、お主はアンナを救う気なのかのう?』

『そんなつもりは……ああ、アンタの能力を使ったのか。父親が殺されてることが勝手にバレるとか、本当に厄介だな』


 私の質問に、面倒くさそうに答える。その間にも表の世界での会話は進行している。


「イブキ様。その晴らす機会というのは、具体的にはどのような方法になるのでしょうか?」

「そうだな、それを説明するためには一日時間が必要だ。悪いが今日はどこかに泊まりたい。俺は旅人だから宿無しだ」


 生身ではない期間が長い私はすっかり忘れていたが、イブキは生身の人間なので、外の土で野宿というわけにはいかない。

 宿の確保も私がリードしなければならないにも関わらず、手持ち金も土地勘もない私には実は確保が不可能であった、という事実はパートナーには秘密である。

 これは決して、裏切りなどではない。


「では、この森の途中に私の家がありますので、そちらまでご案内させていただきます。いずれにしても、本日は私の家で一泊した後、城主様の所まで伺う予定でしたので」


 渡りに船、という日本の諺を教えてもらったエピソードをふと思い出した。彼女のおかげで、私の宿確保能力の無さが露呈せずに済んだのである。


「そうか、それについては素直に礼を言う。ありがとう」


 こうして、アンナ・セラフィーニ宅へと一泊することになった。


 ―――――――――――――――――――――――



 アンナ宅は、これといった特徴はない。土を水で加工し押し固めたような物が積み上がった平屋であり、ドアもない。

 中に入ると、部屋は一つのみで、ベッドが二つだけ置いてある。簡易的なキッチンがあるものの、宿泊以外の機能を有していない。


「イブキ様、これといったおもてなしができず、大変申し訳ございません。こちらはただ生活するだけでして、後は生け贄の方が宿泊される以外の目的がない故、このような家となっております」


 アンナは律儀に謝罪する。私からすれば、謝罪どころか感謝を申し上げなければならないところである。

 次の町に行くまでに、宿泊問題をどうにかせねばならない。


「いや、寝床があるだけ感謝しなければならない。むしろ勝手に上がり込んで謝罪しなければならないのはこちらの方だ」


 そう思ったところに、律儀に感謝と謝罪を述べるイブキ。先程の身勝手な態度はどこへ消えたのだろうか。

 本来は契約者の心の中を読めるはずなのに、それができないためにただの実況者へと成り下がっている次第である。


「ところで……」


 イブキが話題を変える。


「ジェレミア、先程から気になっていたのだが、その格好は何だ? この町での正装か?」


 ジェレミアの服装の理由を尋ねる。

 そうそう、それそれ。私も聞きたくて仕方なかったことである。もしかして以心伝心で相思相愛なのであろうか。


『イブキ……やはり妾とお主は、パートナーなのじゃな』

『黙れ。アンタと対話をしながら外で会話をするのは思っている以上にしんどい上に相思相愛でないのはアンタの能力で分かるはずだから金輪際口にするな』


 一息にまくし立てられ一蹴される。

 もしや感情経験を覗き見してしまった逆恨みか。あれはたまたまドアが開いていたから、家政婦的に見えてしまっただけである。


「いえ、それは、あの、えと……」

「申し訳ありません、イブキ様。ジェレミアはあまり正確な記憶が無いのです。気付いたらこの町にいたそうで、五年程前からポーヴェロで暮らしております。この服装は、どうやらジェレミアなりの正装だそうです」


 挙動不審で上手く答えられないジェレミアに、まるで母親のようにフォローするアンナ。

 よくよく考えたら、イブキに殺人ならぬ殺魔を懇願してからロクに喋ってないよな、コイツ。


「そうか。いや、俺としては少し思うところがあるんだが、まあいい。明日は長い一日になるし、早めに寝るか」


 ジェレミアの態度は気にならなかったのか、早めの就寝を提案した。


「そうですね、早く就寝いたしましょう」


 これ以上の追及を逃れたジェレミアとアンナも都合が良かったのか、イブキの提案に賛同した。


 ――翌日早朝。

 誰よりも早く起床したイブキは、アンナ宅から少し離れた森林内に移動していた。


『ようやくアンタを国外追放できるな。さっさと俺という国から出ろ』

『な、なんじゃその言い草は……とっとっと』


 イブキの追放宣言で、言葉を言いかけていた私は強制的に外の世界へ放り出される。おかしい、こんなはずではなかった。

 実のところ不平等契約であり、有利なのは悪魔側であった私のはずなのに、何故イブキ主導で追い出されたのか。

 この扱いは、契約上でも悪魔を頂点に導くために必要だと判断されているのであろうか。だとしたら悲しいことこの上ない。


「な、なんじゃなんじゃ。妾にもっと優しくできんのか、パートナーじゃぞ。力を持ってるのは妾じゃぞ!」

「そうか。時間もないし、アンタの契約を履行するために追い出したんだから、とっとと本題に入るぞ」


 心の中からの出方が悪かったのか腰を打ち、地面に這いつくばりながら涙目で文句を垂れる私に対し、イブキは流しつつ会話を進める。

 いったい悪魔はどっちなんだ。


「俺に使えるマジーアを教えろ。アペティートとかいう悪魔を殺すために必要だ」

「いたた……それは御安いご用じゃな」


 痛みのする腰をさすりながら立ち上がる。

 小僧、私のマジーアを舐めるなよ。異世界転生の醍醐味、チート級の力を授けて立場と身の程を明らかにしてやる。


「妾の最強のマジーアを、いきなり教えてやろうぞ。記憶と力は無くしたが、これが史上最強のマジーアであることは記憶してたのじゃ。見てるがよい」


 私は右腕を前に突き出す。イブキの表情がちょっぴり変わる。これは私への好感度ポイントが上昇しているな。


「ウルティマ・マーノ【ultima mano:最後の手】!」


 その瞬間、私の史上最高空前絶後酒池肉林な威力を持ったマジーアが、辺り一帯を無に葬った。

 なんてことはなく、突き出した右腕は空を切り、何も起こらなかった。

 そう、何も。


「え、え、え、え? そんなはずはないのじゃ、これはなにかの……」

「なるほど。悪魔界の重鎮であられるルキ様のご冗談のセンスは、さすが財宝と富を司っているだけありますな。私イブキ、感服でございます」


 失敗、それはイブキと私の立場と身の程が清々しいまでに明らかになった瞬間である。契約を履行しようと思考を重ねるイブキに、何も与えられない私。

 私は都合の良い悪魔どころか、使い勝手の悪い悪魔に降格してしまった。

 イブキが私の名前を呼んだように聞こえたが、どう考えても極上の皮肉でしかない。


「そんなよく分からない妄言のような呪文はいい。エレメントの中でもヴェントを教えてくれ」

「――風か。承知した、と即答したいところじゃが、理由だけでも教えてくれぬか?」


 地の底まで落ちていた気とやらを取り直して、理由を確認する。決して恥ずかしさを隠しているわけではない。


「他のマジーアは目に見える。となると、発動してから相手にぶつけるまでに目視されて回避されるリスクが高まる。人間の俺が真っ向勝負で挑んでも不利だ。一方でヴェントは威力こそ落ちるかもしれないが、目視できない分回避されずに殺しやすい、と考えた。以上が理由だ、違うなら言ってくれ」


 イブキは理路整然と答えてみせた。私の初回特典マジーアと説明を聞いて、ここまで組み立てたのか。

 地球の日本は平和な国だったはずだが、本当にこの男は何者なのだろうか。


「いや、ほぼイブキの説明通りじゃ。妾はこれからお主にヴェントの力を授ける。じゃがしかし、一つだけ追加させてくれ」


 そう、これは先程の最強魔法とは違い、有益な提案となる。名前を聞いたときに記憶は甦っていた。その事実が最高のアドバンテージを生む。


「妾は、アペティートの知識を持っておる。奴の具体的な能力は……」


 その追加事項に、イブキは真剣な眼差しで時折頷きながら聞き入ってくれる。


「成る程、その知識は素直に感謝せざるを得ない。そうとなれば、時間も少ない。早く準備するぞ」


 全ての説明を終えた後、イブキはそう答え、準備に取り掛かる。その後、アンナとジェレミアが起床するまで訓練は続いた。


 私はというと、ひたすら背後から手を突き刺す練習をしていた。

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