第12話「悲劇の感情経験」

『ここは……どこじゃ?』


 私は目を覚ます。辺りを見回してみる。自身の意識とは別に、体が動いている。

 この感覚は、確かゲームとかいうイブキが住んでいる世界の遊びの、一人称視点のようである。違うのは、自身では操作不可能であり、CPUの如く決められた動作しかしない点である。


 しかしまあ、常々転生者と仲良くしていた私でなければ、この光景を理解することは容易ではないであろう。

 もし仮に無知な悪魔が同じ景色を見ようものなら、理解の範疇を越え機能停止するはずである。

 そう考えるとある意味でこれは、擬似的な異世界転生の一種のようなものである。


 イブキの心の中にいながら、この事態が起きている意味。

 それはつまり、私は、俺だ。これは過去のイブキの映像である。どうしてこうなったのかは分からないが、感情経験の世界へとやってきた。

 この展開は私が望んでいたことであり、本来は私が他人の心の中に入り込んだ時に、自由に使える特殊スキルの一つである。


 私、ではなく俺はいつも通り会社に忍び込んで、テレビでゲームをしていた。私から見れば何のゲームなのかは分からないが、とにかく楽しそうである。


 近くの部屋で男の声がする。数は恐らく二人。どうやら穏やかな様子ではないようで、お互いに怒鳴りあう声が聞こえる。

 しばらく口論が続いたのだろうか。次は怒鳴り声に交じって、物がぶつかる音がする。鈍い音から鋭い音など、様々な音が聞こえてくる。


 とうとう体の主は声と音が気になったようだ。

 近くの部屋の方面を見つめると、渋々ゲームを中断した上で離席し、部屋から出る。立ち上がると私が覚えている視点よりも低いため、この映像の時期は最近ではないと思われる。

 服装もこれは確か、黒い学ランとかいうのを着ているようだ。するとこちらの世界の基準では、映像のイブキは学生時代とかいうやつか。


 部屋から出ると、廊下を少し進んだ先にもう一つの部屋があった。その前に立つと、怒鳴り声と物音がより大きく漏れてくる。「神福コーポレーション 社長室」と書かれたプレートのある扉のドアを開けようとする。

 開けた瞬間、怒鳴り声と物音は止まった。


 その部屋は、質素な部屋であった。

 まず目の前に広がるのは、黒を基調とした絨毯に、木目調の壁。そして来客用と思われる黒のテーブルに、革張りの茶色いソファーが二つ、テーブルを中心に二対で置かれている。

 更に視点を先に向けてみると、今は夕陽が差し込んでいる大きな窓があり、その前に茶色いアンティーク調のテーブルとイスが二つずつ置かれている。


 それぞれのテーブルに付いているプレートには、「神月 栄二」「福富 幸三郎」と書いてある。自身の顔が写った写真を入れた、写真立てが置かれている。どうやら社長はこの二人のようである。


 しかし、それよりも注目しなければならないのは、声の主であった二人の男性のことである。


「そ、そ、そ、そんな……お、お父さん……ふ、福富のおっちゃん」


 イブキがやっと絞り出したかのような声で、どもりながらも二人の名前を呼ぶ。映像だけを見ている私にも、驚愕と恐怖と焦燥の感情が伝わってくる。


 それもそのはず、なぜなら社長室は血の海で染まっていたのである。


 先程説明した室内の物体には、全て血が飛び散っていた。

 室内は物を投げ合ったのであろうか、物が破損し散乱していたが、血と比較するとそれは些細なことにしか過ぎなかった。


 来客用のテーブルには、一人の男が血まみれで倒れている。鋭利な物で何回も突かれたようで、全身に刺し傷が残っている。特に背中の傷が痛々しい。

 背臥位で倒れており顔が見えないため、私にはこの男が神月栄二なのか福富幸三郎なのかは分からない。しかし誰が見ても分かるのは、この男は明らかに死んでいるということである。


 そしてその男を見下ろすかのように、もう一人の男が返り血を浴びた姿で立っている。こちらに背を向けてはいるが、黒いスーツは血にまみれており、右手にナイフが握られている。

 状況から推測するに、この立っている男が殺人犯に違いない。


「イブキくん……」


 その男はイブキの声かけに気付き、ゆっくりと振り向き、そう呟く。その顔には驚愕の表情が貼り付けられており、目は見開かれている。

 その顔と、社長用のテーブルにある写真立ての写真を比較してみると、この男は福富幸三郎であることが理解できる。


 それらが意味する答え。


「福富のおっちゃんが、なんでお父さんを……?」


 殺されたのはイブキの父親、神月栄二である。

 状況を理解した彼の目からは、徐々に涙が溢れてくる。自らの父親を、いきなり父親の同僚に殺される理不尽。唐突に父親を失う喪失感。

 筆舌に尽くしがたい強い悲しみの感情が、私の胸にも突き刺さる。


「おっちゃん、答えてくれよ。なあ、おっちゃん。黙ってねえで答えろよ!」


 耐え難い理不尽から少しでも解放されるべく、殺人犯を糾弾する。しかし、無言の福富から答えが返ってくることは永遠になかった。

 いつしか平常時の表情を取り戻していた福富は無言のまま、ポケットから折り畳み式の携帯電話を取り出し、1を二回押し0を一回押した。


「すみません、警察ですか? 実は今……」


 淡々と自身の殺人を自白した福富は、警察の到着までその場に立っていた。イブキもその場から動くことができず、福富が警察に連行された後も、しばらく立ち尽くしていた。

 何故イブキも連行されなかったのかについては、暫く映像がボヤけていたため真相は闇の中である。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。既に窓には陽が射すことはなく、その先には暗闇が広がっていた。

 そんな折、ふと声が漏れた。その一言がきっかけで、止まっていた涙が再び溢れだす。


「何でだ……」


 喪失感による悲しみから、理不尽への憎しみへ。涙が溢れきった後に流れ出したのは、憎悪の感情。

 ごぼり、と音を立ててそれは心の中で溢れだし、やがて心の全てを支配した。


 永遠に返ってることも、理解することも叶わない、ただ一つの問い。それが心の中で無限に繰り返される。


 何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ何でだ。


 その一言一言が刃となり、己の心を正確に突き刺す。


『ぐぅ……イブキ、もう辞めてくれ……嫌じゃ……こんな暗いところ……』


 ただの映像であり、そんなことを言っても誰も聞いてくれないし止まってくれないのは重々承知しているはずなのに、突き刺された感情があまりにも苦痛で、不意にそんな言葉が出てきてしまう。

 絶望を愛する悪魔ですら、拒否反応を感じずにはいられない映像。それはこの絶望の感情経験は、ほんの一片にしか過ぎないことを意味する。


 ひとしきり同じ言葉を繰り返した後、最後に違う一言が反芻され、その感情経験の映像は真っ暗になり、終わりを告げた。


 何で、俺なんだ。

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