第七話 「人形の知恵」

一人客間に案内されたエステルは静寂に包まれた空間で、まるで人形のように動かずに座っていた。その視線は向かいの壁紙にむけられている。


「人間はなぜ、壁に花を描くのか……」と呟いた瞬間、ドアが開く。

甘い香水の匂いと共に、若い男性が滑るように部屋に入ってきた。ベルモント家次男、アルカディアだ。


「やあ、美しき御方。私はアルカディア。この屋敷の当主の息子さ」と彼は艶のある声で語りはじめる。

エステルは感情の乗っていない声で答えた。

「私はエステル。剣です」

アルカディアは一瞬困惑した顔をしたが、すぐに艶めかしい笑みを浮かべる。


「剣だって?なんて面白い冗談。確かに君の美しさは、生きた芸術品のようだが」とアルカディアはエステルに近づく。そして、その銀色の髪に手を伸ばした。

エステルは微動だにせず「触れられるのは好みではありません」と冷たく言い放った。

「そ、そうか……ところで、君とあいつ…レイとは、どういう関係なんだ?」

「私の主です」


エステルが淡々と答えると「ふーん」と、アルカディアの目が欲望に満ちて輝いた。

「だったら、主を変えてみないか?彼なんかより、私につけば素晴らしい生活を約束できる。この屋敷でも高い地位を与えてやる」


言葉の意味がわからず、エステルは首を傾げる。

「私が主といるのはレンが主だからです。それに剣に素晴らしい生活は必要ありません」

アルカディアの表情が一瞬歪んだ。

しかし、すぐ取り繕うように「君は本当に面白い。だが、考えを改めてほしいな」とエステルの肩にポンと手を置いた。

やはりエステルは微動だにしないが、再度冷たく言い放つ。

「手を離してください。さもないと、その手が無くなりますよ」


無表情の威圧にアルカディアは手を引っ込めると、諦めたように椅子に腰掛ける。

「ふむ、少し休憩しよう。とりあえずお茶でも飲んでくれ」と目の前にある、香り高い紅茶をエステルの前に押し出した。


「結構です」と答えるエステルに、アルカディアは首を横に振る。

「いや、飲んでくれ。客人にお茶を出すのが、この屋敷の礼儀なんだ」

アルカディアは更にティーカップを押し出すと「人の好意は受け取るものだよ」と締めくくった。


「そういうものですか。ならば私も理解しなければいけませんね」

それが常識ならばと、エステルは差し出された紅茶を受け取った。そして一気に飲み干す。

その途端、アルカディアの顔に邪悪な笑みが浮かび、スッと立ち上がった。


「ふはは!ざまあみろ!今の紅茶にはたっぷり毒が入っていたんだぞ!」

急に狂ったように笑い出す彼の行動が、エステルには不思議でならなかった。

「そうですか。人は本当に奇妙ですね。毒を飲んだら、なぜ笑うのでしょう」


あまりに変化のないエステルを見て、アルカディアの笑いが徐々に止み。彼の顔から血の気が引いていく。

「おい。お前飲んだよな?なら、もう床に転がっているはずなのに。何故だ?」

「なるほど。私を殺したくて毒を入れたのですね。ようやく理解しました。それなら……」とエステルはゆっくり立ち上がり、言葉を続けた。


「あなたは敵だということですね」

「くそっ!なら直接殺してやる!この化け物め!」


狂気に満ちた表情でアルカディアは剣を抜いた。しかし、エステルの動きはそれより何倍も速い。アルカディアが剣を振り上げる間もなく、彼女は彼の腕をつかみ一瞬で床に叩きつけていた。


「ああ、申し訳ありません。反射的に動きました。あら?腕が折れましたか……脆いですね。剣(わたし)よりも折れやすい」

床で自分の腕を抑えて、うずくまるアルカディアを、エステルは不思議そうに見下ろしていた。

その直後。急に屋敷の中がバタバタと騒がしくなった。あっという間に鎧を来た騎士達が、ゾロゾロとエステル達のいる客間に駆け込んでくる。


「騎士団だ、全員動くな!」

他の騎士とは雰囲気の違う、煌びやかな胸当てを身に付けた団長らしき男が叫ぶ。

だが彼の目は床に倒れたアルカディアと、その上に立つエステルを交互に見やった。一呼吸置いてエステルを見る。「なにがあった?」

「この方が私に毒を飲ませ、その後で剣で切りつけようとしたので、止めました」


団長は困惑した表情を浮かべる。「毒だと?それは本当か?」

「はい。ただ、私は剣ですので毒は効きませんが」とエステルが何の変哲もない様子で説明すると、団長は益々困惑した顔を浮かべた。

「なんだと?」

いったい何を言ってる?という顔をした後、団長は、ふと扉の方に視線を向けた。誰かが階段を降りてくる足音が聞こえる。


やがて、レイが警備に捕まれながら、当主のカレドニアと共に客間に現れた。部屋に入ったカレドニアは状況を一瞥し、何かを察したかのような気まずそうな顔を見せる。

だが、すぐに団長を見ながら、レイを指さした。「何事か知らんが、ちょうどいい。この男は泥棒だ。今すぐ逮捕してくれ」


団長がレイとカレドニアを交互に見る。「泥棒だと?我々を呼んだ理由はそれか?」

他の騎士団員達が、それぞれ目配せしながらザワつき始めた所で、レイが叫んだ。

「違う!泥棒はしてない!それよりあんたらが調べてた事件の犯人こそ、この男なんだ!」

団長の表情が険しくなる。「なんだ暗殺の話か?確かに調べてはいるが、証拠はあるのか?」


カレドニアが団長とレイの間に割って入った。

「そんなものがあるわけない!」その顔は焦りとも怒りともとれる。

どうしたものか、といった感じで団長は自分の部下達に視線を流した。

すると唐突にエステルが前に進み出た。「証拠はあります」


全員の目がエステルに集中する。彼女は自分の口元を指さした。「私は毒を飲まされました」

言って、彼女は紅茶カップを手に取ると、口の中からそのカップの中に少量の液体を吐き出した。「これが証拠です」

無表情で言うエステルに、団長は目を見開く。「これが?毒だってのか?ならば、なぜお前は無事なのだ?」と当然の疑問を口にする。


エステルは真顔で「私は剣ですから」と答えたが、そこはレイが慌てて割って入った。

「つまり、彼女は特殊な体質なんです。毒が効かないんですよ」

団長は首を傾げる。「そんな事が?まぁわかった。これが本当に毒物かもわからんからな。証拠として持ち帰り、詳細に調査する」


団長がカップを持ち去ろうとすると、カレドニアが再び割って入った。「待て!それはただの...薬だ!そうだ、彼女の体調を気遣って...」

するとエステルが感情の無い声で提案した。

「それなら、あなたが飲んでみてはどうですか?」

部屋中が静まり返った。カレドニアは言葉を失い、その場に崩れ落ちた。


床に転がっていたアルカディアも、状況を理解すると観念したように項垂れた。

その様子に団長は大体の事情を察したらしく、部下たちに指示を出す。

「カレドニアを拘束しろ。屋敷内を徹底的に調査する」


そんな混乱の中、「お兄ちゃん!お姉ちゃん!」と叫びながら客間に駆け込んできた少女がいた。オリンピアだ。

彼女を見たレイは、全てを理解した。

「ありがとう、君が騎士団を呼んでくれてたんだな」


オリンピアはコクリと頷く。その様子を見たエステルはレイに「これで終わりですか?」と淡々とした口調で確認した。

レイは無意識にエステルの頭を撫でて言う。「ああ、やっと終わったよ。お前のおかげだ、エステル」

エステルが首を傾げると「私は毒を飲んだだけです」と無感情な声を発した。

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