空
「はあ、はあ……さすがに疲れた」
息を切らしながら腕時計を確認すると、針は8時過ぎをさしていた。
呼吸を整えて空を仰ぐと、満天の星が広がっていた。
「綺麗……」
空一面に広がる無数の星。
ここは団地の中でも外れの方のようで、家や街灯が少なくて、星がよく見えるみたいだ。
私はしばらくの間、走った疲れやモヤモヤした感情を忘れて見入ってしまっていた。
すると──
「星、好きなの?」
近くでいきなりそんな声がした。私は驚いて声の方を見る。
声の聞こえた方は空き地になっていて、そこにある貴重な街灯が声の主を照らしていた。
20代くらいの若い男の人。
薄暗い光ではそうはっきりと顔が見えるわけではないが、長い前髪と高めの鼻が印象的な青年だ。
彼はその空き地の中で、大きな白い筒状のものを弄っていた。どうやら天体望遠鏡のようだ。
ここで天体観測をしているらしい。
私から彼までの距離はほんの数メートル。どうして人がいることに気が付かなかったんだろう。不思議に思いながらも、ハッとして頭を下げる。
「すみません、邪魔しちゃって」
「別に。それぐらいなら邪魔でも何でもない」
彼はそう答えたきり、私の方を見ないで望遠鏡弄りを続ける。
さっさとこの場を立ち去って、いい加減家に帰らないと。そんな思いが頭をかすめたけど、やっぱりまだその気になれなかった。
部屋で一人になったら、あのモヤモヤした感情のことを考えてしまう。
だから私は、青年に向かって半分ヤケになりながら言った。
「邪魔じゃないなら、一緒に星を見ていても良いですか?」
断られたら諦めよう。そう思ってドキドキしながら青年を見ると、彼は一つため息をついてからうなずいた。
「別に良いよ。好きにしたら」
「ありがとうございます!」
許可を得た私は、さっきから気になっていた天体望遠鏡を見ようと近づく。
大きくて立派な望遠鏡は、あまり詳しくない私にも高価な物なのだろうということがわかる。
「触らないでね。調節してあるから」
「あ、はい!ごめんなさい」
「その制服、東高校?」
「はい。東高の2年です」
「僕も東高出身。もう10年近く前だけど」
「わっ、じゃあ先輩ですね!ええと……」
彼はちらりと私に目を向けて、「僕の名前なら、シュウ」と名乗る。
「シュウ先輩は……」
「僕は高校生じゃないし、『先輩』はやめて」
「えっとじゃあ、シュウさんは、ここでよく星を見てるんですか?」
「うん」
「ここだと綺麗に星が見えるから?」
「それも、ある」
シュウさんはあまり話好きではないようで、私の質問にどこか煩わしそうに答えている。ここにいても良いとは言っていたけど、やっぱり邪魔だと思われているのかもしれない。
それでも私は、空気を読めないふりをして、めげずに話続ける。
「それにしても星ってこんなにたくさん見えるんですね。知ってる星座とかないかなー……なんて、星座なんて全然わからないんですけど」
「……」
「あっ、でもあれは知ってる。オリオン座だ」
唯一見つけることができた、覚えやすい配置の星座を指さすと、シュウさんが少し声を和らげた。
「そう。それでその下にあるのが、おおいぬ座。もう少し左にズレたところに、こいぬ座」
「犬?」
「オリオン座のベテルギウスとおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンで冬の大三角」
「三角……あ、あの明るい星三つ繋げて三角形か」
おおいぬ座とかこいぬ座と言われても犬の形には見えないけれど、三角形ならわかりやすい。
デネブ、アルタイル、ベガの夏の大三角は中学生の頃習ったような覚えがあったけど、冬バージョンもあったんだ。
「星、好きなの?」
最初に声を掛けられたとき投げかけられた質問をシュウさんが再び口にした。
「好き、ですよ。今日好きになりました」
「何それ」
「だって、意味もなく走っていたいぐらい最悪な気分だったのに、星を見てたらどうでもよくなっちゃったから。星の力ってすごいなって」
最悪な気分。
そう、私はこの上なく最悪な気分だったんだ。
「……彼氏が親友と浮気してたんです。信じられます?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます