第六章 その一

 ベルクヴェルクによるヴァルム攻略戦は僅か一日という短期間での決着を見た。ベルクヴェルクの勝利は、ひとえに先行して城へと潜入、領主以下指導者層を討取った事にるものだ。先の会戦で将軍サンダークを討取り、単独で城を制圧したヘイリアの勲功は計り知れない物である。

 るべき柱をうしなった軍は統率を失い瓦解。何とか立て直そうと奮闘した騎士団もその士気の低下はいちじるしく、程なくして降伏を受諾した。

 ベルクヴェルクは、これからどうなるのだろうかと怯える市民達を安心させるかの様に、市民達への暴行、略奪などは一切行う事無く、整然と隊列を組んで城へと入って行った。

 このルーイヒエーベネには両州の領民を満たすのに十分な食料の産出がある。これから統治する新たな領民に対し、不必要な反感を買うような事は避けるのは当然の事だった。

 終戦から一週間ほどが経ち、カルトから重臣たちがここヴァルムの城へと移り、兵達は城の荒れた部分の修理や、敵味方問わず死者の埋葬などに尽力していた。

 そして今、ゲイルは新たな居城となる城の謁見の間──カルトの城の物とは倍以上の広さがある──にて、この度の戦役の最高功労者、及び領主一族の最後の生き残りと対面していた。

 ──ヘイリアとクラウディアである。

 ヴァルムの謁見の間は吹き抜けの二階構造になっており、一階からは二階の様子が容易には窺い知れない様になっている。これは二階に伏兵を忍ばせておくための物である。また、一階の左右の壁、及び領主の椅子の後ろの幕にも伏兵が忍ばせられる設計となっており、いザという時の為の備えがしっかりと施されていた。

 クラウディアはドレス姿へと身形みなりを整えさせられ、ゲイルの前にひざまずかされている。緊張した面持ちながらも、キッとゲイルを睨みつけていた。

 その横にはヘイリアが短剣──木製でない。真剣の物だ──を二振り、腰の後ろに帯剣したまま立っている。こちらは面倒臭そうな表情を隠そうともしていない。

 クラウディアを挟んで反対側には、フォグルも居た。クラウディアと同じ様に跪いているが、こちらは畏れ多いと言うかの様におもてを下げている。

 二人ともヘイリアが連れて来たのだった。

 当然フォグルと片時も離れる気などないヘイリアだ。「レディを護衛も付けずに歩かせるつもり?」とフォグルがクラウディアの正式な護衛であったのを良い事に、こうして謁見の間まで連れ込んで来たのだ。

 ゲイルは一瞬いぶかし気な視線をフォグルに送ったが、仮面を外したままのミラージュ、いや、もうヘイリアで良いのだろう。その男が何者であるのか何となく察しが付いていた。さっきからゲイルを目の前にしながら、チラチラとフォグルの方に視線を遣っているのを見れば分からないはずもない。今のミラージュ、いやヘイリアは剣鬼の顔ではなかった。

 ゲイルは何かを諦めた様子で、ふぅと一つ溜息を零す。

 逆にそんなヘイリアの態度にイライラを募らせているのは、相変わらずのウインデル将軍だ。それを隠す気が無い辺りも実に将軍らしいと言える。

「今日ここに呼んだのは他でもない。何せ俺自身初めての事でな、色々と準備に手間取った」

 ゲイルはクラウディアの視線を真っ向から受け止めながら口火を切る。

「クラウディア嬢には俺の妻となって貰う。いいな?」

「……嫌ですと言ったら?」

「言うのは勝手にすればいいさ。だが、貴女が俺の妻になるのは決定事項だ。そこに貴方の意思は関係ない。分かっているだろう?」

「…………ええ…………そうでしょうね」

 ゲイルは唯一人残されたルーイヒエーベネの正当な継承者であるクラウディアを妻として迎える事で、ルーイヒエーベネを併呑へいどんする権利を得ようと言うのだ。その為だけにクラウディアを生かして捕らえていると言っても良い。

 武力による強制的な併合も可能ではあるが、それでは後の禍根となり治世に悪影響を残す事となる。それを幾ばくでも緩和する方策があるのなら、それを選ばないという選択肢はない。ゲイルは常に次世代、次々世代のまつりごとを念頭に置いて臨んでいた。

 クラウディアもゲイルとの婚姻をかたくなに拒否したらどうなるか、想像できない歳ではない。自身の感情とは関わりなく受け入れざるを得ない。敗戦の責任は、唯一の生き残りであるクラウディアが取らなければならない。領民の犠牲を一人でも減らすために。それが領主の一族として生まれ、育ってきた者の責務でもあった。

「……聞くまでも無かったな。失礼した」

「ふん…………」

 純白の煌びやかなドレスに着替えさせられ、勝者ゲイルの前に引きずり出されると聞いた時点でこうなる事は分かっていた。いや、生け捕りにされた時点で覚悟はしていた。これも貴族の宿命だと。

「では早速だが式を始めて仕舞おう。市民達へのお披露目はまた後日に予定している」

 ゲイルがそう言うと、奥から一人の司祭が現れる。

 その司祭が式の進行を務める様だ。

 ゲイルは椅子から立ち上がるとクラウディアの傍に歩み寄り、立ち上がらせる。ゲイルが椅子から離れたのを見計らい、椅子が片付けられる。

 司祭が椅子の置いてあった上座に立ち、その正面にゲイルとクラウディアの二人が向かい合って立つ。ヘイリアとフォグルはその位置のまま、二人を少し離れた場所から見守っていた。

 司祭はルーイヒエーベネやベルクヴェルクが所属するこのクライメット王国で広く信仰されている愛の神への宣誓を行い、二人はあらかじめ用意されていた指輪を互いの左手の薬指に嵌め、誓いの口付けを交わす。ベルクヴェルクの重臣たちが見守るなか、式次第はつつがなく終了した。そこに愛など存在しなくとも。

 この時をもって、クラウディア・ルーイヒエーベネは正式に、ゲイル・ベルクヴェルクの妻クラウディア・ベルクヴェルクとなったのだった。

 そしてそれは、クラウディア・ベルクヴェルクに新たな継承権が生まれた事をも意味した。

 ゲイルに親兄弟、ましてや子供も居ない事が──、

 かねてよりウインデル将軍が懸念していた事が──、

 まさにこの時、災いしたのだった。


 最初に動いたのはウインデル将軍だった。

 持っていた背丈ほどの長さの槍の柄尻を床に叩き付ける。

 静まり返っていた広間に、カツーンと音が響き渡る。

 それを合図に、二階には弓兵、一階には槍兵が姿を現し、全ての狙いがヘイリアへと向けられる。そして一切の躊躇なくウインデルの号令が響き渡る。

「掛かれぃっ!」

 ゲイルはクラウディアを抱き寄せ安全な場所へと退避。二階から一斉にヘイリア目掛けて矢を射かける。一階の槍兵も上階からの矢を恐れる事無く一斉に突き掛かる。

「得意の長剣があれば少しは戦えたかもしれんがな! 貴様にはここで死んで貰うっ!」

 ウインデルは必殺を期して事に及んだが、そこには大きな勘違いがあった。

 ヘイリアが得手としているのは長剣ではない。短剣による二刀流である。ベルクヴェルクでは只の一度も短剣を振るう姿を人目に触れさせる事のなかったヘイリア。その真価を知る者はこの場に居なかった。フォグルを除いては。

 ウインデルの号令と共に素早く腰の二刀を抜き放ったヘイリアは、襲い来る全ての矢、槍が見えて居るかの様に、二刀を以て僅かずつタイミングのずれている矢の軌道を順番に逸らして別の矢に当て、更にそれを連鎖させる。二刀の一振りで数十本はあろう全ての矢がヘイリアの体を掠めもせず、空しく床を叩く。

 矢に遅れる事数瞬、八方から突きこまれる槍もまた空を貫く。

 ヘイリアは冗談の様な身のこなしで、突きこまれた槍の上に立って見せていた。実力の差を見せつけるかの様に。

 一方のフォグルはと言うと、石造りの床にペタリと貼り付くように身を伏せていた。

 その光景に兵達は人ならざるモノを見た様な恐怖に囚われてしまった。ウインデルですら一瞬茫然としてしまったほどだ。

 だが冷静な者も居た。

 ゲイルである。

 元々ヘイリアの強さに惚れ込んで味方に引き入れた男だ。その戦いぶりに神々しさを感じる事はあれど、思考が停止する様な事はない。

「横の男だっ! ヤツを狙え!」

 ゲイルの指示で二階の弓兵部隊は、手を震わせながらもフォグルに狙いを付け素早く矢を放とうとする。

「それは困る!」

 ヘイリアの様に雨の如く降り注ぐ矢を回避するすべなど無いフォグルが、もっともだが受け入れられるはずもない事を叫ぶ。

 と同時に、床に伏せている間に押し込んでおいた床の一部を素早くスライドさせる。

 カチリ。

 と何かが外れる音が、小さくフォグルの耳にだけ入る。

 ゴゴォォォォォン!

 と大きな音を響かせながら二階の床とその下の床が纏めて落とし穴と化していた。

 あっと声を上げる間もなく、二階の弓兵たちは全て謁見の間の下の階まで落下していった。

「なっ…………何だとっ…………!?」

 愕然とするウインデル達を余所に、フォグルはうつぶせのままヘイリアに声を掛ける。

「じゃ、後はよろしくー」

「まっかせなさい!」

 ヘイリアが伸身の宙返りをして短剣を振るう。寸分違わず同じ様に槍の穂先に着地すると、穂先が床にストンと落ちる。

「あ…………? へ…………?」

 全ての槍が一瞬にして只の棒と化した事に気付き茫然とする槍兵達。そんな事にはお構いなく、ここぞとばかりにヘイリアが槍兵に斬り掛る。

 懐に入り込まれてしまっては、長い棒は迎撃するにも、味方を援護するにも邪魔な存在でしかなかった。

「構うな! 味方ごとやれっ!!」

 と過激な檄をウインデルが飛ばす。

 その間にも一人二人、三人四人と、次々とヘイリアの手で斬り倒されて行く。

「くそがっ!」「ちくしょう!」「うああああああああ!」

 恐怖に煽られ、やけくそ気味に棒切れと化した槍を振り回す。

 それがさらに混乱に拍車を掛けた。

 個々人が思い思いに棒を振るったせいで、棒同士が干渉し合うのは当然の帰結であった。

 そうこうしている内にも更に五人、十人と討取られ、都合一分と掛からずに二~三十人は居たであろう槍兵の全てがヘイリア一人の手で斬り倒されていた。

「残ってるのはもうあなた達だけかしら?」

 ヘイリアは息一つ乱す事なく居並ぶベルクヴェルクの重臣たちを眺めまわす。

「ば…………莫迦な……」

 ワナワナと震えるウインデルにヘイリアが楽しそうに声を掛ける。

「こんなはずじゃなかったって? ざーんねん。こっちとしては予定通りよ」

「どういう事だ……?」

 大きくは無いが確かに聞こえる声でゲイルが問う。

「あなた達が邪魔になった私を始末しようとした様に、『私達』も邪魔になったあなた達には今日ここで消えてもらう積りだったって事よ」

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