第五章 その三

「急に静かになったわね……」

 何か嫌な予感がすると、クラウディアがフォグルに不安を漏らす。

「侵入してきた賊が私の予想通りなら、今頃は皆……」

「でも、侵入者用に色々仕掛けを作ってたじゃない?」

 僅かな希望にすがる様にクラウディアはフォグルに問いかける。

「想像通り賊が私の妻──リアだとしたら、あの程度の罠じゃ掠り傷一つ付いていないでしょうね」

 彼女に物理的な罠など幾ら仕掛けた所で無為に過ぎる事を、フォグルは過去の経験から十二分に身を以て知っていた。

「とにかく今は早急に城から脱出しましょう」

「…………ええ。そうね…………」

 死人の様な顔色で何とかそう答えるクラウディアの手を、フォグルが少々強引に引っ張って行く。状況が状況である。今は死んでしまったであろう者の事に使う頭も時間も惜しい。逃走路は早々見つかりはしないだろうが、相手がヘイリアとなれば話は別だ。公爵の寝室の罠でフォグルの存在に気付いて居る可能性は高い。そうなればフォグルがどう逃げるかも推測できてしまうだろう。

 二人は現在フォグルとフロストリードの相部屋がある兵員宿舎と本城を結ぶ渡り廊下を進んでいた。フォグルは自室から持ち出した荷物満載のリュックを背負い、クラウディアの手を引いている。なぜこんな所に居るかと言えば、この廊下に市街の隠れ家へと続く通路が作られているからだ。いわゆる秘密の脱出路である。

 元はクラウディアの寝室に設けられていたのだが、そちらはフォグルが途中で行き止まりに変更。戻ろうとすると作動する罠がしこたま設置されており、知らずに入れば二度と出て来る事は叶わないだろう。

 姫の寝室に脱出口なんていう「そんな如何にもな物はすぐにバレます」とはフォグルの言だ。寝室の他にも、如何にもそういう物が在りそうな所には、見付け難いダミーの脱出路を幾つもこしらえてある。

 フォグルはクラウディアの護衛に就いてから、危急の避難先は私の部屋にとクラウディアに言い含めてあり、この時もクラウディアは一人フォグル達の部屋へ隠れていた。まさか領主の娘が近衛隊とはいえ、一兵士の部屋に供もつれずたった一人で隠れていようなどと真っ先に考える者は居ない。

 特に今回の侵入者は一人だけ。労せずクラウディアと合流したフォグルは、手早くこの先必要になると思われる荷物を纏めると、これまた何の変哲もない、隠す事なく堂々と作られた階段を下りて行く。階段は両脇が段に、中央はなだらかなスロープ状に設計されている。

 階段を下りた先には大きな地下道が一直線に整備されている。幅は五メートル、高さも実に三メートルはあろうかという地下道は、東西の兵員宿舎との渡り廊下に作られており、最寄りの城壁門の内側手前に繋がっている。その城門側の階段のスロープ部を専用の器具を使ってテコの要領で持ち上げると、更に奥に続く道が作られている。その道を抜けた先は城の外へと繋がっている。

 常に灯りが点され明るい地下道はおよそ秘密の脱出路とは思えない作りである。道の両脇には等間隔に幾つもの間口を広く取られ中が丸見えの小部屋があり、現役で食糧の備蓄庫として使われていて、この場所を利用している者達ですらここが秘密の抜け道だと思っている者は居なかった。それもそのはず。元々食糧の備蓄庫だった物を改造した結果がこの抜け道なのだから。

 隠し部屋、或いは隠し通路を探す捜索者の裏を掻いたこの抜け道は、捜索の優先度は相当に低くなるだろうというのがフォグルの想定であった。

 だが、その想定を覆す者が居た。

 地下道を歩く二人の耳に、コツコツコツと階段を下りて来る足音が一つ、聞こえて来た。

 フォグルは観念した様に足を止め、背負っていた荷物を降ろしクラウディアを背後に庇う。

「急いでも間に合わないのっ!?」

「丈夫に作ってありますので」

 非常に重いため、開けるのに少々時間が掛かるのが難点なのだった。

「取り敢えず地上に出れば助けを呼べるんじゃない?」

「そうですね。ですがそれは止めておきましょう」

「どうしてよ!」

「無駄に犠牲が増えるだけですから」

 努めて冷静にフォグルは告げる。

 相手がヘイリアであれば、この城の雑兵が何人、いやさ何十人居た所で大した意味はない。

 むしろ自分が戦うのに邪魔ですらある。

 足音は地下へと続く最後の一段を踏んだ。

 賊──ヘイリアはその視線の先にフォグルを認め、胸の内に歓喜を爆発させていた。

 フォグルも仮面で仮装したヘイリアの姿を見るや、気付かぬ内に頬を一筋の涙が濡らしていた。

 そんなフォグルの様子をクラウディアは複雑な面持ちで眺めていた。生別れの妻と再会出来た事を喜んであげたい気持ちと、他の女を自分以上に大事に想っている事に対する嫉妬。そしてその女に命を狙われているという恐怖。クラウディアの心は千々に乱れていた。

 だが一方で、クラウディアは安堵もしていた。賊がフォグルの妻だと言うなら──それも感動の再会だ──十分に説得は可能であろうと。

 先に落ち着きを取り戻したのはフォグルだった。ヘイリアに声を掛ける。

「五年振り……かな? リア。助けに行けなくてごめん」

「気にしなくていいわ。フォグルはあんまり強くないんだから。そんな無茶しなくて良かったわ。むしろ私の方こそあなたを見つけるまでこんなに掛かっちゃった。ごめんなさい」

 二人は互いに互いを助けられなかった事を謝ると、初めはゆっくりと、そして高まる情動と連動する様にスピードを上げ、ぶつかり合う様に激しく抱締め合った。

 そのまま暫く熱い抱擁を交わし、見つめ合うと自然と唇を重ね合わせる。

 どれ程の時間そうしていただろうか。

 何時間とそうしていた様に感じるが、流石にそんな事はないだろうと僅かに残していた冷静な部分が熱に浮かれた脳にツッコミを入れる。

 ふと離れたヘイリアの目が、今頃になってやっと居心地悪そうにしているクラウディアの姿を認識する。フォグルの姿を認めてから今の今までフォグルしか目に入って居なかったのだ。

「ねぇ……フォグル……」

「何だいリア?」

「あの女は何かしら?」

 凍てつく様な視線と声でフォグルに語り掛ける。

「公爵の娘。クラウディア様だよ」

「へぇ……。そんなお嬢様がなんであなたの傍に居たのかしら?」

「俺、クラウディア様付きの近衛だからね。当然だよ」

「ふぅぅぅぅん…………。じゃあ──殺すわ」

 サラッと告げられたヘイリアの言葉にクラウディアは怯えた様子を見せるが、フォグルはそれを冗談だとでも思っているかの様に笑顔のまま否定する。

「だーーめ」

 フォグルはそっとヘイリアの手を押さえる。

 ヘイリアは簡単に振り解けるであろうその手を振り解く事は無く、されるがままにしておく。代りにフォグルにそっとささやく。

「私より、その女の方が大事なんだ?」

「どっちが大事かって事なら、勿論リアだよ? でも、あの人はダメ」

「ふーーーーーん」

 随分と面白くなさそうな顔をするヘイリア。

「まあ良いわ。フォグルに免じて今は殺さないであげる。ところでフォグル。なんでこんな裏切り者達の味方してるのよ?」

「リアこそ村を襲った張本人たちの手下になってるなんてね。ベルクヴェルクの連中なんて斬捨てて来るんじゃないかと思ってたんだけどな」

 フォグルはリアの問いをはぐらかす様に話題を逸らす。

「こーんなか弱い乙女を捕まえて、酷い言い草! それに別に手下じゃないしっ! フォグルを探す手伝いの対価として少し働いてあげてただけよ。それももう必要ないわけだし、ここが終わったら次はアイツらコテンパンにしてやるんだから!」

 どこのか弱い乙女が一人で城に乗り込んで壊滅させるんだという野暮な事は黙っておく。

「で? さっきの質問に答えて貰ってないんだけど? 何でフォグルは、ルーイヒエーベネなんかの味方をし・て・い・る・の?」

 誤魔化されないぞと顔をぐいぐい近付けながらヘイリアはフォグルに詰問する。

「リアを探す為に決まってるだろ」

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅん……。それにしては随分お嬢様と仲良さ気でしたがー?」

「そりゃそうだよ。俺に一番協力してくれていたのが姫様なんだから。俺の予定では外勤に配属してもらう積りだったんだけど、将軍がじいちゃんの知り合いでね。一番安全な所に配属されちゃって……。それで姫様と協力して色々手を回して貰ったりしてたんだ。勿論最初は直接ベルクヴェルクに行こうとしたんだけど、じいちゃんに止められちゃってね」

「まあフォグルじゃ直ぐに捕まるのが関の山よね」

 うんうんと頷くヘイリアに、フォグルは反論の余地が無かった。

「でもこうしてやっと再会できたんだ。もう絶対離れない」

「私だって、絶対離してあげないんだから」

 再び二人は口付けを交わす。

「じゃあ」

 と二人は同じタイミングで口を開く。

「俺に」「私に」

「協力してくれるよな」「協力してくれるわよね」

 ──暫し訪れる静寂。

 同じ様な言葉でありながら、全く違う意味を含んだ二つの言葉。

 二人の間の空気が一転、ピリっと張り詰める。

「リアが、俺に、協力してくれるんだろ?」

「冗談。フォグルが私に協力すれば良いのよ?」

「はは。リアこそ冗談が上手くなったね。ベルクヴェルクは手先だけじゃなくて口先も器用だったとは、知らなかったよ」

「ふふ。フォグルの冗談は相変わらず笑えないけどね」

「ははははは」

「うふふふふ」

「「あはははははははははははははははははははは……」」

「勝負だ!」「勝負よ!」


 じゃあちょっと準備するからと、フォグルは一旦降ろした荷物を漁りに行く。

 どれにしようかな~とさっきまで揉めてた様子だったのが嘘だったかの様に、ご機嫌な様子で荷物を漁るフォグルに、恐る恐るクラウディアが声を掛ける。

「大丈夫なのっ!? あの人凄い強いんでしょ? フォグルじゃ相手にならないでしょ」

「ですねー」

「ですねー。じゃないわよ! 勝てる算段があるのよね? ね?」

 ヒソヒソ声で怒鳴って来るクラウディアに、真面目な顔してフォグルは答える。

「ないですねー。昔っから罠特盛で仕掛けても勝てたためしがないって言うのに、ここはその罠もないですし。実力ではご存じの通り」

「駄目じゃない!」

「駄目ですねぇ。まぁでもやる前から負ける積りはありませんよ」

「……因みに戦績は……?」

「一勝……何敗でしょう? 三桁は優に負けてますね。むしろその一回以外全部負けてますので」

 朗らかに笑うフォグルに、ダメだこりゃと手で顔を覆うクラウディア。

「でもですね、その一勝は一番最新の結果ですから。これは連勝もありえますよ!」

 と五年前の勝利を『最新』と言い切るフォグル。嘘ではない。

「という訳で、ちょっと姫様も付き合って下さい。姫っぽい感じで私に合わせて下さい」

「何がどういう訳なんだか分からないけど、わかったわ」

 もう荷物は漁り終えたのか、バッグの口を閉じて横にどける。

 では行きます、とクラウディアにだけ聞こえる声で合図を出すとフォグルが仕掛ける。

「御心配は要りません姫! 必ずや私があの者との勝負に勝ち、姫を守って見せましょう!」

 突然芝居がかった口調で柄にもない事を言いだすフォグルに、クラウディアは一瞬キョトンとしてしまったが、これがそうかと気付き気持ちを切り替える。

「私の身などどうなろうとも構いませぬ。貴方が無事ならばそれで良い。ですが、貴方が戦うと言うのなら、期待しても宜しいですね?」

「必ずや姫の御期待に添って御覧に入れましょう。この剣に誓って!」

 持っていた剣をクラウディアに捧げ、誓いを立てる。クラウディアは受け取った剣に祝福を授け、それをフォグルへと与える。うやうやしく剣を受け取ると、クラウディアの手に感謝の口付けを行う。文言は違えどルーイヒエーベネでは良く見られる叙勲の儀式の流れであった。

「ちょっと! いつまでやってんのっ!!」

 さっきまでフォグルと同じ様に、五年振りの勝負に表情が緩みまくっていたヘイリアだったが、フォグルとクラウディアの仲睦まじそうな遣り取りに表情は引き攣り、嫉妬の炎が燃え盛っていた。

 そんなヘイリアの様子に、立ち位置的にどうしてもヘイリアが視界に入るクラウディアは、殺気だけで殺されるんじゃないかと思う程の恐怖を覚えて居たが、ヘイリアの圧力を背中で感じているフォグルは「もう一押しかな」と考えていた。

 そこで素早く一計を案じ、ダメ押しの一手を放つ。

 トントンと、ヘイリアに見えない様にして、フォグルは自分の額に口付けをする様クラウディアに要求する。

 立場を考えれば大変に不遜、不敬であるが、そんな事を気にする様な間柄ではなかった。

 そうと察したクラウディアは「ヒィィィ」と内心悲鳴を上げながらも、流石は公爵令嬢と言った所だろか、内心などおくびにも出さずにフォグルの要求に応えて見せる。

「フォグル。面を上げなさい」

「はっ!」

 クラウディアの前でかしずいていたフォグルは、クラウディアの言葉に従う。

「私の勇敢なる騎士に。勝利の栄光のあらん事を」

 クラウディアがフォグルに祝福を授ける場面を、まざまざと見せつけられるヘイリアの怒りは、遂に頂点を越える。

 

 プッチーン


 そんな音がフォグルには聞こえて来るようだった。

 開始の合図もなしに、ヘイリアが怒りの衝動のまま動く──。

「リアっ!!」

 それを見もせず鋭く叫ぶフォグル。

 その声でハッと我に返るヘイリア。

 攻撃態勢に入っていた所に無理矢理急制動を掛けたため、流石のヘイリアも体勢を大きく崩していた。

「開始の合図は! 俺の先制攻撃って決まってるだろ!」

 と言いながら、隙だらけのヘイリアに対して振り向きざま、クラウディアに奉げた剣をほっぽり出し、用意していた二振りの短剣で左右から挟み込む様にして斬り付ける。

 しかしヘイリアはそんな大きく崩れた体勢ながらも、フォグルの攻撃を的確に迎撃する様体が反応している。

 が、そこでヘイリアは気付く。

 気付かない訳がない。

 フォグルが握る、二振りの木製の短剣に!

 咄嗟とっさに、無意識に打ち払おうと動いていた腕を止め、短剣を傷付けない様にと回避を選択。後方に大きく飛び退すさる。その行動が更に状況を悪化させると分かっていても、そうせざるを得なかった。

 そしてフォグルは、ヘイリアがそうするだろうと知悉っていた。

 フォグルは短剣を振る勢いを利用して、ヘイリア目掛けて両の短剣を投げ放つ。

 狙いあやまたず、正確にヘイリアを捉えた二本の短剣を、ヘイリアは即座に持っていた長剣を手放す事で、傷一つ付けず、しかも柄を掴んでキャッチして見せる。

 前に突き出した二本の腕は、飛来する短剣を捕まえる動作のせいで攻撃に移るためには一度腕を引く必要がある。

 その一手の隙を作る為のフォグルの罠であった。

 フォグルは短剣を投げると同時にヘイリアとの間を一気に詰める。ヘイリアの手放した剣を素早くキャッチ。逆手のままヘイリアにぶつかる様にして斬り掛る。

 ヘイリアはフォグルの動きに合わせる様に膝を繰り出し、吸い込まれる様にフォグルの鳩尾へと突き刺さる。フォグルではこれに耐えられないだろう。

「ぐうっ……」

 しかしフォグルはヘイリアの予想に反し苦悶の声を漏らしながらも、更に一歩踏み込んでヘイリアを力任せに押し倒す。

 フォグルの加速をそのまま威力に変えた膝蹴りは、生半可な痛み、苦しみでは無い筈。まさかそのまま押し込んで来るとはと、ヘイリアの知るフォグルより随分と強くなっていた様だった。

 床に押し倒され、フォグルに馬乗りで押さえ付けられながらも、ヘイリアは何だか嬉しくて仕方がなかった。勝負としては厳しい状況だが、自分の予測を上回る程にフォグルが強くなっていた事が、純粋に嬉しかった。

 フォグルは尻でヘイリアのお腹に乗っかりながら、両膝でヘイリアの腕を押さえる。

 空いている両手でぶつかった時に落とした剣を拾い上げる。

「これで俺の勝ち……だね?」

 フォグルは勝利を宣言し、ヘイリアは──

「そうね──」

 ヘイリアの返事と共に、五年振りの勝負が決着した。


 この決着の数十分後、クラウディア・ルーイヒエーベネによって降伏が宣言されたのだった。

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