第五章 その二
一方クリアードはサニプレイセス公爵と合流。二人を公爵の傍に付け護衛をさせ、自身は賊が来るであろう公爵の寝室の扉と正対する。自身の周囲には入り口を狙って構える弓兵を四人配置。他にも複数箇所の隠し部屋に兵を伏せている。
公爵の寝室は近年フォグル指示の下改造が施され、入り口の扉を開けると幅一メートル程の狭い通路が三メートル程続く。天井までも二メートル程と低く、上方向と左右への回避行動を阻害し、前後から矢などを浴びせ掛ければ侵入者を容易く仕留める事が可能である。万一それを回避したとしても第二第三の罠が仕掛けれらている。外からの侵入にも対策は施されており、その全貌を聞かされた時はサンダークさえ引き気味にフォグルを
(まさか本当に役に立つ時が来るとはね)
内心で苦笑しながら精神を研ぎ澄ましていくクリアード。剣の腕ならばルーイヒエーベネ
クリアードはこれから
あらゆる手を使ってでも、ここで必ず仕留める。
向かって来る賊は仮面を付けていると言う。報告にあったサンダーク将軍を
サンダーク将軍の無念を思えば、賊への容赦など微塵もない。
寝室にいる誰もが口を開く事なくその時が訪れるのを待つ。
外の騒ぎは未だ収まる気配はなく、怒号と悲鳴が交差している。
公爵の寝室は外界から隔絶されたかの様に静まり返っており、外の喧騒が良く響く。
待ち構える兵達は緊張のあまり手が震えそうになっている。同僚の心臓の音まで聞こえて来そうに思えて来る。ゴクリと飲み込む唾が、カラカラの喉に少し沁みた。
チリン
どれ程待っただろうか。廊下の床に仕込まれた仕掛けが、賊の接近を簡潔に報せる。
クリアードは数時間程も待った様な心持だったが、実際には公爵と合流してから三十分も経ってはいなかった。
剣を握る手には無駄な力は入っていない。
いつも通りに実力を発揮出るだろう。
ガチャ──。
余裕の表れだろうか、無造作に寝室の扉が開いたかと思うと、情報通り仮面を着けた剣士が尋常ではない速さで寝室へ突入して来る。
「撃て!」
クリアードの合図で一斉に賊へ向かって矢が放たれる。一点を狙わず逃げ道を塞ぐ様に。
賊はそれに気付くと正面を向いたまま一旦後ろに下がって回避しようとするが、背中が壁にぶつかる。背後に壁などある筈もないのに、だ。フォグルの仕掛けの一つ、可動式の壁であった。寝室の扉の正面の壁は後ろから押す事によって動き、寝室の入り口を塞ぐ事が可能となっていた。賊が寝室に入ると同時、後ろに控えていた兵がその壁を動かし逃げ道を塞いだのだった。
部屋から逃れての回避が出来ないと知るや、賊は狭い通路の中で器用に長剣を振るい全ての矢をいとも容易く弾き落としてしまう。
その余りに卓越した技量に兵達がどよめく。クリアードもこの様な状況でなければ見惚れていた事だろう。
「構うな! 賊が倒れるまで射続けよ!」
クリアードの号令で、二射三射と連続で矢を射かけ続ける。狙いもそこそこに、手数で押し切る算段だ。
次々と襲い来る矢を、賊は至って冷静に見切り、命中する矢だけを切り払って行く。
十射、二十射を超えるに至り、極度の緊張から来る疲労で矢が射られる間隔は開き始め、狙いも粗くなっていく。賊にはまだ呼吸の乱れすら無いというのに。
三十射に至ろうかと言う所で賊が動いた。
飛んで来た矢を切り払うのではなく、弾き返して来たのだ。それも正確に射手を狙って。
「ガッ!」「グッ!」「ゲッ!」
瞬く間に四人の内三人が、自らの射た矢で眉間を貫かれていた。
それを確認する迄もなく賊は素早く前に踏み出す。
「させるかっ!」
クリアードは賊が
すると、隘路の出口──賊の前方だ──に突如壁が出現した。
ドスゥン! と大きな音を立てて天井から落ちて来た壁が賊の侵攻を阻む。
前後左右を壁に囲まれ完全に袋のネズミとなったはずの賊に対して、壁の落下に連動して隘路の天井が落とされる。
天井を吊っていた鎖が滑車に擦れるガラガラガラという音と共に、再び重量物の落下するドォォォンと腹に響く様な音が寝室を震わせる。
クリアードは
一分、二分と過ぎ、変化がない事を確認し、生き残った弓兵に罠を上げる様に指示を出す。
自身は隘路の出口に立ち、まだ警戒を解いては居なかった。
弓兵はハンドルを回して先ず壁を巻き上げて行った。
特に変化なし。
続いて天井を上げて行く。
直ぐにも圧死した賊の死体そのものか弾け出た血が確認できる筈だったが、血の一滴すら無い。あるのは散らばった矢の残骸だけだ。
(どこに逃げたと言うのかっ!?)
そのまま天井が上がって行き、入り口を塞いでいた筈の壁が斬り裂かれているのを見た瞬間──。
クリアードが総毛立つ程の剣気!
無意識に動いた手が剣を真正面から体を庇う様に斜めに構えを変える。と同時に、ガギィン! と激しく金属同士がぶつかり合う音が響き渡る。その幸運を引き寄せたのは、クリアードの不断なき研鑽の賜物であったろう。
(何っ!? 動きが全く見え──)
「ぐっ……!」
剣が打ち合うと同時に賊は、最初からそうなると予想していたかの様な無駄の一切ない動きでクリアードの腹を「邪魔」とばかりに蹴り飛ばして道を開けさせる。そうして出来た間隙から素早く隘路を抜け出すと、一直線に公爵を狙いに行く。
何とか食い下がろうとするクリアードの剣は空を切るが、護衛の近衛隊員二人が賊の前に立ち塞がる。
(一瞬で良い! 何とかその賊の動きを止めてくれ!)
公に付けた二人は近衛隊の中でも指折りの実力者。一合でも受け止めてくれれば背後からクリアードが賊を斬る事が出来る。図らずも挟み撃ちの形となった今が、ピンチでもありチャンスでもあった。
だが賊は只の一瞬も止まる事無く、迎撃に出た二人の剣をスルリと躱してそのまま二人の間を
「ヒィィィィィィ!」
あまりの出来事に悲鳴を上げて逃げ出そうとする弓兵を責める気力は、もうクリアードには残って居なかった。
しかし賊は戦意を完全に喪失した兵すら見逃す気はないとばかりに、駆け出した弓兵に向かって地面に落ちた近衛兵の剣を蹴り飛ばす。
「ゲェッ!」
蹴り飛ばされた剣は弓兵の心臓を背中から貫き絶命させる。
賊がクリアードを抜いてから僅かに十秒にも満たない時間で、全てが終わってしまった。
軍の要であるサンダークは既に無く、今こうして賊の手で領主であるサニプレイセス公爵が討たれた。まだ外壁とそれを守る兵達は健在である。しかしこれを知られれば、もうルーイヒエーベネの兵達は戦う事は出来ないだろう。そんな兵達を纏め上げる力は、クリアードには無い。事実上の敗戦が、決まった瞬間であった。
だが──。
クリアードは剣を構えた。
今更この賊を斬った所で、負けが覆る事はない。
それでも……。それでも……っ!
この賊をこのまま生かしておく事が──、
この賊に降伏し命乞いをする事など──、
どうして出来ようかっ!
「私の名は、クリアード・アテンド。貴様は?」
湧き上がる激情に声を震わせながら、これが貴様を殺す者の名前だと、殺意を籠めて名乗りを上げる。そして貴様の墓標に刻む名を教えろと。
「ミラ……いえ、ヘイリア。ヘイリア・ブリッジよ」
その名を聞いたクリアードはハッとする。
「……フリーレンの……」
「そうよ。あなた達が見捨てた……ね」
ヘイリアは剣を片手で握ったまま構える。
「私は……私達を見捨て、領主の義務を果たさなかったあなた達を断罪する!」
そう叫ぶと同時、ヘイリアは剣がクリアードに襲い掛かる。
賊がフリーレンの者だと知り、激情が一気に冷え切って行くのを感じていた。
そのため、クリアードの反応が僅かに遅れた。
そしてその遅れは、まさに致命的な物となる。
格上の相手に対して意識を一瞬でも逸らしてしまえば、迎える結末は一つしかない。
ヘイリアの剣はクリアードの剣に触れる事無く、その心臓を貫き通していた。
「ガッ!」
血を吐き絶命するクリアードに、ヘイリアは
ここに至るまでに、城に残っていた目ぼしい貴族連中は既に始末している。そしてここで領主サニプレイセス公爵も討ち果たした。
ルーイヒエーベネからの助けが来ると信じ、無念のまま死んでいった村人たちの復讐をヘイリアは果たしたのだった。
しかしその事にヘイリアは、満足も後悔も、ましてや燃え尽きた様子もなく、次に取るべき行動を考えていた。
目的の一つを果たした今、これからは一番の優先事項に集中できる。ヘイリアの意識は既に別の所にあった。
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