第五章 その一


 ◇ ルーイヒエーベネ ◇


 サンダーク将軍討死。

 その報は、ヴァルムの北外壁門に命からがら逃げて来た一人の兵士によってもたらされた。

 にわかには信じがたい情報に門番は戸惑ったが、次々と必死の形相で押し寄せる兵士達が皆口を揃えてサンダーク将軍の訃報を伝え、討伐軍が壊滅した事を報せた。

 事ここに至ってその情報に嘘はないと判断した門番は直ぐにサニプレイセス公へと伝令を飛ばす。逃げ帰って来た兵士達には将軍の死は口外しない様にと釘を刺したが、その噂は直ぐに街中へと広まって行った。

 街はその死をいたむ者、ベルクヴェルクに対し怒りをあらわにする者、嘆き悲しむ者などで溢れ返った。ただ皆一様に心の中に一抹の不安を抱いていた。これから自分達はどうなるのか、と。

 そんな街の喧騒に負けず劣らず、サンダーク将軍の訃報は城中をも混乱の渦に叩き込んだ。

 サンダーク将軍を喪う事が即ち何を意味するか、その事を一番良く知っているのは他でもない城に居る貴族たちだったからだ。

 サニプレイセス公爵は直ぐに主だった者達を集め会議を開く。誰がサンダークの後釜となって騎士団及び軍を指揮するか、直ぐにも決める必要がった。

 本来であれば騎士団の副団長を代理に立てれば良いのだが、生憎サンダーク以外の上位の指揮官級は全て対ホーホエーベネに投入されており、ヴァルムには居ない。報告によれば西の攻勢が激化していると言う。とても呼び戻せるものではない。

 重臣の一人が発言する。

「クリアード殿が適任かと存じまする」

 サニプレイセス公が言い出しにくかった名前を、その意を汲んで提案したのだ。

「クリアード殿か。剣の腕は立つがまだ若輩じゃぞ? 騎士団は兎も角としても、一般兵達を上手く指揮出るものだろうかのう」

 別の重臣が否定的な意見を述べるが、かと言って他に誰それを挙げる訳ではない。

「階級的にも、クラウディア様の婚約者というお立場も、今のこの城の兵を纏めるに彼以上の者は居りますまい? 指揮云々に関しては、誰もやった事がないのだ。つまりは誰がやっても大差ないと言っても良いのではないか? 少なくともクリアード殿ならその手の知識はお持ちであろう」

 その言葉に居並ぶ面々は押し黙る。

 幾ら考えた所で他に多少でもマシと言える者の名が浮かび上がる事はなかった。

 そしてそれをいつまでも考えている時間の余裕もない。次々と落ち延びて来る討伐隊の兵士達から、ベルクヴェルクの軍が逃げる兵士達を追う形で迫って来ているとの報せがもたらされていたからだ。

「よし。あい分かった! これより一時軍の全指揮権を、近衛騎士長クリアード・アテンドに委任するものとする! よいな!」

 サニプレイセス公の決定に異を唱える者は居なかった。


 知らぬ間に軍の臨時総指揮官に任命された当のクリアードは、フォグルと共に城の最上部から北の方角を望遠鏡で観察していた。

「どうです? 何か見えましたか?」

「ベルクヴェルクの軍と思しき集団が居ますね」

「状況から考えて断定して良いでしょう。どの位の距離ですか?」

「後半日と掛からずに外壁門から目視できる位置まで到達すると思います」

「逃走中の友軍はどうなっていますか?」

 フォグルは望遠鏡の向きや角度を動かして確認する。

「駄目ですね。最後尾とベルクヴェルクの軍の位置が近過ぎます。恐らく最後は逃走兵を無視して門に突っ込んで来るはずです。このまま友軍を受け入れて居ては門を閉じられなくなるのは確実でしょう」

「やはりですか……。しかし目の前で助けを求める友軍を見捨てる訳には……」

 苦悩するクリアードにフォグルは進言する。

「見捨ててでも門を閉めなければ、この城は一日と持たずに陥落します。街もどれほどの破壊や略奪に合うか想定も出来ません。今直ぐにでも門を閉ざすべきかと。この隙に敵の別動隊が市街に潜入して来ないとも限りません。決断は早ければ早い程良いかと」

「仲間を見捨てたとあっては、士気の低下はいちじるしい物となろう。それで果たして勝てる……いや、戦えるのか?」

「勝つ必要はありません。真面に戦える必要すらありません。市民から従軍経験のある者を徴兵すれば十二分な数が揃えられます。そして、敵の兵糧は私達とは違いどう見積もって僅かしかないのは想像が付きます。それ故の短期決戦でしょう。数日、長くて一週間も耐えればそれで私達の勝利となるでしょう。ただそれは敵も承知の上、何か手を講じている筈です。それだけが気がかりな所ですね」

「分かった。サンダーク様亡き今、私が公爵様に進言して来るとしよう。しかし、今この時この城に君が居てくれて良かったよ。私一人では頭では分かって居ても決断する事は難しかっただろう」

「多少なりと隊長のお役に立てたのなら、大して興味もなかった兵法書を祖父に読まされた甲斐があったと言うものです」

「大いに助かっているよ。全く、頼りない隊長で済まないな。──では行って来る」

 そう言ってクリアードが階段を降りようすると、一人の兵士が駆けあがって来る。

「クリアード様! こちらに御出ででしたか!」

「何事か?」

「サニプレイセス公がお呼びです。直ぐに謁見の間にお越し下さい」

「承知した。直ぐに向かおう」

 言葉通り急ぎ謁見の間へと向かったクリアードに、正式に臨時総指揮官への任命が告げられたのだった。


 総指揮官となったクリアードは城に残る騎士団を北に半数、残りを三つに分割し東西南に配置。それと同時に緊急で従軍経験のある者を徴兵し外壁の防衛へと当たらせる。城の警備は僅かな一般兵のみになってしまうが、外壁を突破されればどの道同じ事だと割り切っていた。

 門に着いた騎士団員達は渋る門番達を押し退け全ての門を閉ざすと、外からは「助けてくれ!」「中に入れてくれ!」という悲痛な叫びが聞こえて来る。そこらから反発の声が上がっても、頑としてそれを受け入れる事は無かった。

 クリアードの素早い指示のお陰もあり、ベルクヴェルクの軍が敗走してくる友軍と一緒に市街へ雪崩れ込んで来ると言う最悪の事態は防ぐ事が出来ていた。ベルクヴェルク軍は門が閉じられているのを確認すると、ルーイヒエーベネの兵を追うのを止め弓矢の射程外に停止。陣容を立て直す動きを見せていた。

 そこまでの動きを団長室でフォグルを急遽臨時の副官とし報告を受けていたクリアードは、先ずは上手く籠城の形に持って行けた事に安堵していた。

 後はこの状態を長くて一週間、維持する事だ。ベルクヴェルクとは違い、ヴァルムには優に半年以上は籠城が可能な食料が備蓄されている。

 伝令の遣り取りを密にし、相手の動きに直ぐに対応できるようにし注意を怠る事もない。

 伝令が出払い、団長室にクリアードとフォグルの二人になるとつい弱音が零れる。

「これで本当に上手く行くだろうか……」

 クリアードの命令一つ、失敗一つでヴァルムに住む十万を超す市民の命が危機に曝される。成功したとてそれは逆にベルクヴェルクの兵達の命を奪うに等しい。その重責がクリアードの肩に重く圧し掛かっていた。

「大丈夫です。必ず上手く行きます。行かせます」

 そんな風に声を掛けクリアードを励ます事は簡単だ。だがフォグルにはそんな気休めになるかどうかも分からない言葉を投げかける事は出来なかった。例えどんな言葉を紡いだ所で、フォグルにはクリアードの背負う重荷を肩代わりする事は出来ないのだから。

 だから事の成否には触れず、この先の戦術について話を振る。

「敵は現在北外壁門前に布陣。数は凡そ一万。対してこちらの兵は徴兵した市民兵を含めて五千。北門に配置されている数は内三千です。籠城戦という事を考えれば然程不利な条件ではありません。相手には長期戦を仕掛ける糧食はなく、地下道を掘ると言った様な手間な攻城策は出来ません。隊長が敵将ならこの状況でどうやって攻めますか?」

「とにかく時間が無いと言うのが難しいね。外の兵で攻めるなら力押ししかない。外に締め出されている兵を盾にすれば案外上手く行くかもしれないね」

「他の門に兵は回さないのですか?」

「回すのなら城から見えない位置で別動隊を出して奇襲させる。こんな敵から丸見えの位置で兵を分けるのは下策も良い所だろう」

「他にはどうします?」

「一番良いのは内部工作だろう。門が閉じられる前に工作員を送り込み、中から門を開けさせるなどすれば良い」

「私もそう考えます」

 そうして二人でアレコレ敵の立場からどう攻略するかを考えていると、自然その応手も見えて来る。そうしているとクリアードの気も少しは紛れた様で、その瞳には力が戻っていた。

 二人は現状致命的な見落としは無いだろうと踏んでいた。工作員は入り込んでいるモノと想定している。彼等は市民か兵を装って門を開けさせようするだろう。何なら力尽くで門を開けようとするかもしれない。だからこそ今この時だけは騎士団に直接門を管理させている。

 まさか工作員が直接城に乗り込んで公爵の暗殺を目論んでいよう等とは、可能性としては脳裏をよぎったが不可能であるとして切り捨てていた。

 だがそれは現実に起こりつつあった。

 それに気付いたのは耳の良いフォグルであった。

 遠くから聞こえる断末魔の悲鳴だ。

 団長室の窓から城壁門に目を遣ると、門番と何者かが争っていた。いや、ほぼ一方的に門番が斬り殺されて行っていた。

「どうしたっ!?」

「敵襲です!」

「数は?」

「ここから見えるだけだと二人です!」

「たったの二人だとっ!?」

 そこでフォグルはシッとクリアードに合図を出す。

 耳をそばだて、フォグルは周囲の音に集中する。

 複数個所からの悲鳴。階下からの怒号と多方向に向かう足音。どうやら敵は全ての門を同時に襲撃したと考えた方が良さそうだとフォグルは判断し、クリアードに伝える。

「全てに同程度の人数を当てたとしても、僅かに十人前後。幾ら城の警備が手薄になっているとは言え、その程度の人数でどうにかなるとでも思っているのか……?」

「それか、城の襲撃は陽動で、警備の為に騎士団を呼び戻した所で……という事も考えられるかと」

「確かに。その方が有り得そうに思う。ならこのまま残っている兵で事に当たるとしよう」

 そうして賊への対処方針を決め、直ぐに指揮を取ろうと腰を上げた所に伝令が飛んで来る。

「クリアード様に申し上げます! 敵兵一名が城内に侵入! 鬼神の如き強さで手に負えません! 至急増援を!」

 その報告に厳しい表情を浮かべるクリアード。

「分かった。侵入した賊には私が直接当たろう。どうせ狙いは公爵様だ。そこで待ち伏せする。門を襲った賊へは、城内へ入れない様に防衛に徹するように」

「はっ!」

 伝令はクリアードの指示を受け直ぐに取って返す。

 クリアードはガシっと立掛けてあった自らの愛剣を手に取る。

「陽動は陽動でも、こう来るとはな。舐められたものだ。それだけ腕に自信があるのだろうな。フォグル! 君は万一に備えて姫様を安全な所へ! 城から出るかどうかは君に任せる!」

 そう言い残しクリアードは公爵の許へと急ぎ駆けて行った。

 フォグルもこうしてはいられないと、クラウディアの部屋へ向かって走り出していた。

 侵入してきたと言う兵が誰なのか、フォグルには確信に近い予感があった。こんな無茶な作戦を実現させるのは彼女しか居ないと。そして、彼女がこれから起こすだろう惨劇への悲しみと、彼女に会えるという喜び。二つの感情がフォグルの胸の中でグルグルと渦巻いていた。

 ただ、フォグルに迷いはなかった。

 フォグルの最優先は彼女と共にある事。

 その為に、この時の為に今まで生きて来た。準備もして来た。これは正に絶好の機会であった。

 何を犠牲にしてでも彼女をこの手に取り戻す。

 フォグルは決意を胸に秘め、クラウディアの私室のドアを開くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る