第三章 その四

 ◇ 同年ベルクヴェルク州 ◇


 土地の大半が鉱山で占められている──いや逆だ。ここら一帯の鉱山を纏めて管理するために作られたのが、このベルクヴェルク州であった。

 標高は高く、山は岩肌ばかりで碌に作物は育たない。だが、州内で多種多様な鉱石や原石が豊富に産出される。特に良質の鉄が取れる事で名高く、数多くの鉱夫と職人が集い、彼らを目当てとした商人や商売女が集まり、ルーイヒエーベネからは食料を売りに来る行商が多数訪れ、猥雑ながらも国一番の活気を見せる、そんな州であった。

 だが状況は一変した。世界規模の冬の訪れと共に、自給出来ていた乏しい食料は皆無となり、南のルーイヒエーベネに完全に依存する事となった。他州に食料を回せる程余裕があるのはルーイヒエーベネのみであった。

 国庫からも食料の備蓄は無くなり援助は打ち切り。国を見限ったのは何もベルクヴェルクだけではなかった。

 領民の現在と未来を守るために、ベルクヴェルクはルーイヒエーベネを攻めるより他なかった。ルーイヒエーベネから食料の支援を受ける程に、それはベルクヴェルクの民に対する未来への負債であり、今現在喉元に突き付けられた剣ともなる。

 身動きが取れなくなる前に決断し、行動した。

 州境の村、フリーレンの襲撃である。

 フリーレンとの繋がりは長く、村の住人はベルクヴェルクの民の誰かの友であり、家族であった。出来る限り村人を傷付けない事、以後の生活を保障する事を条件に多大な反対を押し切っての作戦だった。

 結果、村は亡びベルクヴェルクの砦へと生まれ変わったが、村人の殆どは大きな怪我もなくベルクヴェルクへと連行。多少の不自由はあれどそこでの暮らしを保障されている。

 以後ベルクヴェルクは砦を橋頭保きょうとうほとし、必要な食料を略奪するようになったのだった。

 それから三年の月日が流れていた。


「報告を聞こう。ミラージュ」

 石造りの城の一室。領主であるゲイル・ベルクヴェルクの執務室に、三人の男女が居た。

「今年は村人たちが協力的だったのもあって、楽に集めて来られたわ」

 ゲイルにミラージュが答える。

 ミラージュは目元を隠す為の仮面を着け、細身の長剣を腰に一振吊り下げている。領主の前だと言うのにかしこまった様子もなく、むしろ椅子に腰かけているゲイルを見下ろすかの様であった。

「貴様! 何だ、その態度は!」

 そう怒鳴り声を上げるのは、ベルクヴェルクの将軍ウインデル・アイアン。代々ベルクヴェルクに仕えて来たアイアン家の当主。壮年の騎士である。

 ゲイルの横で、今は護衛としてその場に居る。

「私はあなた達の部下になった覚えはないわ。こうして協力はしてあげてるけどね」

「余り生意気が過ぎると、彼等の扱いについて考える事になるぞ?」

 ウインデルの脅しに、ミラージュは静かに睨み付ける。

「そしたら私はあなた達を殺して、こんな所からはさよならするだけよ」

「そんな事が──」

「──出来ないと思ってるの?」

 ミラージュは然程広くもない部屋とは言え数メートルはあった距離を、歴戦のウインデルに指先一つ反応させる間もなく詰め、その喉元に長剣を突き付ける。

「下がれウインデル。一々彼女を挑発するな。ミラージュも乗っからないでくれ。俺の胃に穴を開けるのはさぞ楽しいかもしれんが、これでも忙しい身なのでな」

 ゲイルは顔を合わせる度に直ぐ切った張ったの喧嘩を始めようとする二人に苦言を呈す。

 主に言われ渋々と言った体で下がるウインデル。それを受けてミラージュも剣を納める。

「こうして食料の略奪を始めてからもう三年だ。お前らの意見を聞きたい」

 ゲイルとしては出来るだけ早くルーイヒエーベネを攻め落とし、安定的な食料を確保したいと考えているのだが、軍事に回せる程食料に余裕がないのも実情だ。一度でも攻略に失敗すれば食料は不足し、領民は飢え、二度目のチャンスはないだろう。

「三度です。三度も略奪を行いながら一度も槍を交える事無く終わっています。ルーイヒエーベネの連中も『またか』と油断している事でしょう。儂は今が好機と見ます」

 ウインデルがゲイルにそう具申する。

 しかしミラージュはその意見を否定する。

「私もウインデル将軍の意見に賛成──だけど、だからこそまだ待った方が良いと思うわ」

「何故そう考える?」

 ゲイルの問いにミラージュが答える。

「私と将軍が考え付く程度の事を、あのサンダーク将軍が読めないとは思えないわ。何せ闘神と戦って生きている程の人物ですから」

「三度目の正直……か。確かに逆に警戒されている可能性すらあるな」

「むぅぅ……」

 面白くなさそうにウインデルはうなるが、サンダークを良く知る彼こそミラージュの意見がもっともだと理解していた。

「後何年待てば良い? 此方こちらにもそれ程の時間的猶予はないぞ?」

 自領だけならまだ何とかなるが、西のホーホエーベネが持たないだろう。そうなればルーイヒエーベネが西の抑えとして置いている軍が此方に差し向けられる。それで詰みだ。

 ミラージュも西の窮状は重々承知している。そちらにも多少なりと回せるように、多めに略奪して来てもいた。

 ミラージュは今は離れ離れとなってしまっている夫を思い浮かべる。彼ならどうするだろうか、と。そもそも現在行っている略奪も彼が使って来た策の応用でしかない。

「そうね……あと二年。二年後の収穫期、でどうかしら?」

「二年か……それ以上は西が持たんか……」

「二年先送りにした程度で、奴の警戒が緩むとは思えんが?」

 ミラージュの意見に何か文句を付けたいウインデルが口を挟む。

「でしょうね。でも、兵士達はどうかしら? 彼ほどの警戒心を五度目も維持出来てるかしら? 厳に警戒せよと命じられていたでしょう今回の三度目を透かされた兵士達は、『どうせ今回も略奪だけして帰って行くさ』とたかくくるでしょう」

「いいだろう。では決行は二年後の秋とする。電撃戦になるからな、準備は抜かりなく行っておけ」

「はっ!」

「当然よ」

 話は終わったと部屋を後にしようとするミラージュにゲイルが声を掛ける。

「あー……話は変わるが、事が済んだら俺の妻にならないか?」

「なら私に一度でも勝って見せる事ね。私への挑戦権を賭けたトーナメントなんかやってるみたいだし、それにでも参加すれば?」

「お前に勝てる奴なんか過去にも未来にも居るとは思えんが……。勿論俺を含めてな」

「そうでもないわよ? あの人は私を負かして妻にしたんだもの」

「そう言えばそうだったな……。そんな化物を敵には回したくないものだ」

 それは無理でしょうね。という言葉をミラージュは飲込んで、もう付き合う気はないと手をヒラヒラと振りながら部屋を後にした。

 その後ろ姿をウインデルは憎々し気な目で睨み付けていたが、姿が見えなくなった所で表情を改め主君たるゲイルに向き直る。

「上手く行きますかな……」

「巧く行かせるしかないさ」

「そうですな……。……それはそうと、早く妻をめとってお世継ぎをお作り下され。あの小娘以外で」

「わーかってる。分かってるさ。もう親も兄弟も居ない俺だ、跡継ぎの必要性は重々承知している」

 だが、とゲイルは続ける。

「あんな女を見てしまってはな。他の貴族女などかすんでしまう」

 そんなゲイルに落胆の表情を浮かべるウインデルだったが、ある事を思い出す。

「そう言えば、ルーイヒエーベネには成人前の姫が一人居たはず」

「おい。まさか……」

「色々と都合も良いではないですか。占領後が楽になりしょう」

「確かにそうだが……」

「二年後までに妻を貰われて居なければ、そうしていただきますからな」

「…………ふぅ。分かった。それで良い」

 

 ◇ 翌月 ルーイヒエーベネ ◇


「サンダーク様!」

「そんなに大きな声を出されずとも聞こえております。して、何用でしょう?」

 朝の合同訓練を終え、団長室に戻り執務に取り掛かろうとした矢先に、ドタドタドタと走り込んで来たクラウディアが開口一番大声で名前を呼ばわるのに、サンダークは「これは何か面倒な事になりそうだぞ」と考えていたが、おくびにも出さず務めて冷静に応答する。

「よい案があります!」

 と何の前振りもなく唐突に放り込まれるボールを、サンダークは明後日の方向へ投げ捨てる。

「分かりました。では文書に纏めて提出してくだされ。他に用が無ければお引き取りを。これから執務がありますので」

 そう言ってクラウディアを回れ右させて扉の方へと背中を押す。

「ちょちょちょ……ちょっと待って!」

「何か他に御用が?」

「ないけど! ないけどもっ! 何で私の素晴らしい案を聞こうとしないのっ!」

「聞かないとは申しておりませぬ。書面で提出していただければ後で拝見いたしますと申しております」

「それはつまり、聞きたくないって事じゃないっ!」

「はっはっ、それはクラウディア様の曲解というもの」

 クラウディアの起こす面倒事には関わりたくないとばかりに、サンダークは一切聞く耳持たない姿勢で、グイグイと背中を押して行く。

「う~~……。分かった! 正直に言うわ! 本当は私の案じゃないの!」

「では、誰の案なのですかな?」

「フォグルのよ!」

 その名を聞いてクラウディアの背中を押す力がふっと消える。

 もう少しで部屋から力づくで追い出される所であった。

「はぁ……良いでしょう。彼のというなら興味はありますので」

「フォグル! 聞いてくれるって!」

 クラウディアが外に向かって声を掛けると、少しだけ申し訳なさそうにフォグルが顔を出す。

「構わん。入りなさい」

「失礼致します!」

 敬礼をし入室する。

「で、何を聞かせてくれるのかね?」

 かの闘神の孫だ。彼から授かった知識、智慧、何でもいい。この州にとって益となる話であれば。

「来たるベルクヴェルクとの戦いに向けて、罠を仕掛けたいと存じます」

「かの州と戦をすると決まったわけではないが?」

「いいえ。必ず決戦になるでしょう。そうなれば、今のルーイヒエーベネでは太刀打ち出来ない事は、将軍も御承知だと考えているのですが、違いますか?」

「…………お見通しか。そう遠くない内に、そうなるであろうな。ホーホエーベネが力尽きるのが先か、我らが攻め滅ぼされるのが先か。どう見ておる?」

「我らが先と見ております」

「……お主もそう思うか……儂にもっと力があれば……な……」

「将軍が居て下さるから、ベルクヴェルクもこんな回りくどい手段を取っていると考えれば、十分な功績かと」

「部下からの称賛は素直に受け取って置こう。して、罠に掛けると言うが、具体的な案はあるのか?」

「お任せ下さい」

 昼から始まったフォグルとサンダークの密談は、日付が変わっても続いていた。

 その詳細は二人だけしか知らない。

 公爵にもクラウディアにも知らされる事は無かった。

 そして──

 翌月から、フォグルによる『お城大改造計画』が進められる事となった。

 フォグルの真意が、サンダークに伝えられる事のないままに。

 フォグルの真意を知るのはただ、クラウディアのみであった。


 三州が秘密裡に最終決戦に向け準備を進めるなか、嵐の前の静けさの様な緊張を孕んだまま平穏な二年が過ぎて行ったのだった。

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