第四章 その一
◇ 進リープ歴四五六年 秋 ◇
ルーイヒエーベネでは暗い話題が続くなか、領主サニプレイセス公爵から一つ明るいニュースが発された。
今年成人を迎えたクラウディアと近衛隊長クリアードの婚姻を、来月州都ヴァルムにて行われる収穫祭で執り行う事を決定したのだ。
大方の予想通りではあったが、市井の人々は貴重な明るい話題に
容姿端麗、品行方正、文武両道、と天から二物も三物も与えられたクリアードの人気は高く、「これでルーイヒエーベネの将来は安泰だ」と口々に噂し合った。それは皆が内心抱いている不安を少しでも払拭しようとするかの様に。
西のホーホエーベネの脅威は年々衰えつつあるも未だ去る事は無く、北のベルクヴェルクは依然として食糧の略奪を繰り返している。それらに場当たり的に対処する他ないルーイヒエーベネは、決定打を打てないままズルズルと年数を重ねていた。
それも後数年の辛抱と見ているルーイヒエーベネの首脳陣は、それまで如何に領民達の不安と不満を取り除くかに腐心していた。
今年も収穫期を迎え、例年の如くベルクヴェルクからの略奪軍が北部地域を丁寧かつ迅速に荒らし回っているとの報せを受け、サンダーク将軍が臨時招集した千の兵を率いて対処に向かう所であった。
サンダーク将軍に率いられる兵の士気は高いながらも、毎年の一戦も交える事無く終わる追撃戦にどこか緊張の糸が緩んでいるのが窺える。どうせ今年も追い回すだけ追い回して、逃げて行くのを見送って終わりさ、と。それをしっかりとこなせば報奨金がたんまりと出るのだから、士気が低かろうはずが無かった。
城の中庭に兵を整列させていたサンダークに、サニプレイセスとクリアードが近付く。
「激励に参ったぞ」
「これはサニプレイセス様。わざわざこの様な所まで御足労いただき恐悦至極。クリアード殿も忙しい中感謝する」
「いえいえ。式次第や儀礼の練習にも飽きていた所です。私も騎士の端くれ。こういった所の方が心安らぐというものですよ」
「カッカッ! 違いない!」
クリアードの言葉に同意するサンダーク。堅苦しい式典など面倒なばかり。切った張ったの方が得手な二人は笑い合っていた。
「オッホン! この州を担うお主等二人がそんな体たらくでどうする。平和になればそういう面倒事ばかりになるのだからな? しっかり務めてもらわんと困ってしまうわ」
「ははっ、そういった事はクリアード殿にお任せするとします」
「あっ! サンダーク様! それはズルいですね! 絶対逃がしませんよ?」
「逃げる!」「逃がさん!」「やれやれ……」と子供みたいな遣り取りをする大人達に、呆れた様子で声を掛けるクラウディア。
「兵士達の前で何を馬鹿な事を言い合っているのですか」
クラウディアのツッコミに失笑を漏らす兵士達。兵士達の肩の力が少し抜けた様に見えた。どうやらわざとやっていた様だ。
姫付きのフォグルを伴って現れたクラウディアはそれまでのやんちゃ振りは鳴りを潜め、成人した今では立派な淑女然としていた。
フォグルは三人に敬礼し、後は大人しくクラウディアの陰に控える。
「サンダーク様。御武運をお祈り申し上げます」
そう言ってクラウディアは優雅に一礼すると、そっとサンダークに近付き抱擁を交わしつつそっと耳打ちする。
「今回の出征は特に気を付けてくださいと。フォグルが申しておりました」
「承知した」
兵士達に気取られぬ様に返事を返すと、何事もなかったかの様に離れる。
当のフォグルも素知らぬ顔だ。
サニプレイセスはサンダークとクラウディアの遣り取りが済むのを見届けると、両手を掲げて兵士達の注意を自分に向けさせる。
「これより戦場に向かう勇敢なる戦士達に! 戦神の御加護あれ!」
サニプレイセスの
「総員出立!」
「「「「おう!!」」」」
サンダーク率いる千余の兵はベルクヴェルクの略奪兵討伐へと向かって行った。
見送る人々は、今年も無事の帰還をと祈りを込めて見送るのだった。
◇ ベルクヴェルク ◇
「伝令! 伝令!」
一騎の早馬がフリーレンの跡地に作られた砦へと駆け込んで来る。
直ぐに指揮官室へと通された伝令は荒れた呼吸のまま膝を付き報告する。
「ルーイヒエーベネ州都ヴァルムよりサンダーク将軍が出立した
指揮官室でその報告を受けるのは、ベルクヴェルクの領主ゲイルとウインデル将軍、あとはヴァルムに向け急報を報せる使者が出たのを確認し、略奪を一旦切り上げて戻って来ていた仮面の剣士ミラージュといういつもの三人である。
伝令兵の報告に三人はいよいよだなと、表情が引き締まる。
「数は?」
口を開いたのはゲイルだ。
「
その数字に三人の表情が険しい物に変わる。
「去年までの倍ではないか!」
「警戒はされているという事か……。それとも、それだけ兵に余裕が出来たのか……」
「どちらにした所で、所詮たったの千よ。いえ、むしろそれだけの数を城の外へと連れ出してくれたのだと考えれば、チャンスでもあるわね」
これまで北部地域での食料調達の際に戦闘要員としてミラージュが使った兵は、凡そ二百から三百。ミラージュ達が村々から調達した食料を運ぶ輜重部隊は都度千を超え、襲うタイミングに合う様にフリーレン砦から合図を待たずに送り出させていた。そのためミラージュの率いる戦闘部隊は常に身軽に北部地域を駆けまわる事が可能となっていた。
そのミラージュの部隊に対処するために送られて来るのが、サンダーク率いる五百程度の兵だった。
ミラージュはサンダークと鉢合わせすると直ぐに撤退する事を繰り返して来た。
サンダークも元々ベルクヴェルクに送っていた程度の略奪に留まっていた事と、人的被害が皆無に等しい事から、逃げるミラージュの兵を無理に追撃する事は無かった。あくまで侵略者にキチンと対応しているぞというアピールの為だった。
その兵を今年は倍の千にしたというこの意味を、三人はどう解釈したのか。
「確かにな。ミラージュの言う通りだ。どの道、今回を逃せば我々にもう後はない」
ゲイルはスッと椅子から立ち上がると、伝令兵に指示を出す。
「西の盟友に伝えよ! 『収穫の時期来たれり。祭りに遅れる事なき様に』と!」
「ははっ!」
ゲイルはベルクヴェルク領主の印が押された封書を伝令兵に手渡す。
「行け!」
「はっ!」
伝令兵は封書を仕舞うと、直ぐ様走り去って行く。
「それじゃ、先陣は私が切るわ」
「兵はどうする?」
「いつもと同じで良いわ。扱いなれてる数の方が戦い易い」
「分かった。俺達は例の場所へ先回りしておく。お前がこの作戦の要だ。抜かるなよ?」
「あなた達こそ上手くやって頂戴よ? 分かってるわね?」
「ああ」
「それなら良いわ」
指揮官室を辞したミラージュは手早く戦支度を整え、自室を後にする。
見慣れた顔触れの兵達、今回は三百を引連れ砦を後にした。
「行ったか……。ここからは時間との勝負だ。俺達も出るぞ!」
「ははっ」
ゲイルとウインデル将軍は都合一万を超える軍を率いて出陣して行った。
◇ ルーイヒエーベネ ◇
「報せが在ったのはこの辺りだったな?」
ヴァルムを出立して三日。サンダーク率いる千の軍は報せのあった村の近くまで来ていた。村人を刺激しない様本隊は離れた場所で待機。村には十名程の偵察部隊を代表として派遣する。
戻って来た偵察部隊によると、村の様子は例年通り。手早く食料の受け渡しを終わらせると、略奪兵達は東へ向かって行ったとの事だった。
相変わらず人と、食料以外の財には手を付けない徹底振り。そして奪って行く量も住人達を飢えさせない様に気を遣っているかの様だ。
毎年こうなのだ。続けて略奪するための手管であろう。
(やはり今年もいつも通りだな……)
今回も三年目と同じ様にフォグルからの陳情を入れ、十人一組の偵察部隊を二十組用意している。それを十組ずつ交代で周囲を常に偵察させていた。
今の所全ての部隊から「異常なし」との連絡が上がって来ていた。
全ての偵察部隊が帰陣するのを待って東へと移動を開始する。
情報を頼りに一つずつ村を訪れて行くが、今年も完全に後手に回っている。
これもいつもの事だと深く考える事は無かった。
三つ、四つ、五つと村を回る毎にいつもと同じ遣り取りが繰り返される。サンダークは常に偵察を周囲に飛ばし警戒を怠る事は無かったが、兵達の気の緩みは見えない所で徐々に、そして確実に広がっていた。
そうして略奪軍を追う事、最初の村を訪れてから三日。
偵察部隊の一つから初めて「異常なし」以外の報告が上がって来た。
「略奪部隊と思しき敵部隊を発見! 数は凡そ二百! ここより北東五キロ程の位置を東に移動中!」
「でかした!」
例年通りなら会敵すればフリーレンの砦へと撤退するはずである。だが、そうならない場合も想定し、兵達には戦闘態勢を取る様に指示を出す。
更に偵察部隊を増員。十人十組を更に一つ増やし、計三百人体制で周囲を徹底的に監視させる。
サンダークとフォグルは、あの略奪軍を囮にしての伏兵があるのではと予想していた。
それがいつ、何処で、どんな形で行われるか。歴史に登場する様な天才軍師ではない二人には、地理的に兵を隠し易そうな場所を選定するのが精々であった。
そのため、偵察を増やす事で少しでも早く伏兵を発見しようというのである。
今回例年の倍の兵を動員したのも、増員した五百を全て偵察に回すくらいの積りであったからだった。
ベルクヴェルクの略奪部隊を追い掛けている最中も引っ切り無しに偵察を出し続ける。むしろこの追撃中こそが危険だとサンダークは考えていた。
前方に出していた偵察部隊から敵略奪部隊がこの先にある村に入った様だと報告が来る。
それとほぼ時を同じくして、前方から幾本もの煙が立ち上がるのが見えた。
方向、距離共に、先に報告があった場所と考えて間違いないだろうと結論付ける。
ついに動いた──。
サンダークは改めて気を引き締める。
敵略奪部隊が村に火を放つ。何の積りかは分からないが、これまで一度としてなかった行動だ。
出来れば様子を窺いたい所ではあるが、焼け出された村人達を見殺しにする訳には行くまい。罠と承知の上で突入するしかサンダークには選択の余地は無かった。
「偵察部隊は村周辺の偵察を徹底せよ! 本隊はこれより村の中に突入する! 儂が指揮する三百はベルクヴェルクの穴掘り野郎共を蹴散らしに行くぞ! 残りは村人の救助に当たれ! 良いな!」
「「「「「はっ!」」」」」
「かかれぃっ!」
サンダークの号令一下、おおおおおおおおおお! と喚声を上げながら一斉に村に突入してく。
サンダークは火に包まれる家々の間を馬で駆け抜けながら、敵略奪部隊の姿を探す。
見通しの良い中央広場と思しき場所に出て、サンダークは周囲をぐるりと見回しある違和感に気付いた。
「──っ! そうか、村自体が──」
サンダークが全軍撤退の合図を出すより早く、鋭い
何処から仕掛けて来るかと全方向に注意を配るが、敵襲の気配はない。しかし、今の合図が何もない訳がない。
この場に留まるのは危険だと直ぐに判断し、敵に僅か遅れを取ったものの迅速に撤退の合図を出して村の南側から飛び出る。
しかし、サンダークの目に飛び込んで来たのはより絶望的な光景だった。
いつの間に、何処から現れたと言うのか……。
それも三百を超える偵察の目を掻い潜って。
目を疑う光景だったが、現実としてそれは起こっていた。
サンダーク率いる千の兵はベルクヴェルク一万の兵によって完全に包囲されていた。
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