第二章 その三

 西のホーホエーベネ州から北のベルクヴェルク州へと向かう間者を昨夜捕まえていたディザステルは、密書の内容から西に大きな動きがあると見て様子を窺いに来ていた。

「妙じゃな……いつもと変わらん様に見えるが……さて……」

 自身を取り囲む様にして複数の気配が近付いて来る。

「これはしてやられたか。フォグルに年寄扱いされるのも致し方ないかもしれんのう。──っ!? そうか! しもうたわ!」

 ディザステルは隠れ忍んでいた場所から飛び出し、一目散に駆け出す。

 それに呼応し、静かに近付いて来ていた複数の気配が一気にディザステルに襲い掛かる。

「邪魔じゃ!」

 ディザステルの前に立ち塞がる様にして襲い掛かる襲撃者達を、一瞬たりとスピードを緩める事無く駆けながら一撃の下にほふって行く。

 かの闘神を相手にする為に送られた刺客たちは一人一人が達人級の腕前であったが、老いてなお敗北を知る事なき闘神の相手ではなかった。一人殺すのに十秒とは掛けずに、都合十人以上は居ただろう刺客を全て物言わぬ屍へと変えてしまっていた。

「無駄な時間を使わせよって! それが狙いなんじゃろうがな!」

 苛立たし気に吐き捨てながら、森の中を東へと駆けて行く。目指す先はフリーレンの村だ。

 数十キロという距離を僅か数時間で駆け抜けディザステルが山の家まで辿り着くと、フリーレンの村の方角からおびただしい量の煙が上がっているのが見えた。

「遅かったか!」

 異様な気配を感じて飛び起きて来たフォグルに、ディザステルはここに居る様厳命する。

「嫌だ! 僕も行く! リアを助けなきゃ!」

「お前では足手纏いだ!」

 今まで一度も聞いた事のない声で怒鳴るディザステルに、フォグルはちぢみ上がる。

 そこに居るのはフォグルの大好きなじいちゃんではなかった。戦いの為に闘い、強さの為に闘う、闘神と呼ばれた人喰いの鬼だった。

「儂に任せておけぃ!」

 怯える孫の姿に、熱くなり過ぎた思考が冷めて行くのをディザステルは感じた。いつもの『じいちゃん』の笑顔をのぞかせ、いつもの様にフォグルの頭をポンポンと叩き安心させてやる。

 自分の弱さを知るフォグルは湧き上がる激情をグッとこらえる。溢れ出す涙をグイっと拭いじいちゃんを真っすぐに見つめる。

「リアを! 村の皆を! じいちゃん!」

「おうとも!」

 愛する孫の激励を受け、至高に至った闘神が村へと駆けつけた。

 ディザステルの目に飛び込んで来たのは、焼かれた家々と火を付けて回るベルクヴェルクの兵だ。目に付いた兵達を片端から始末しながら、ブリッジ家を目指す。

 ブリッジ家からも火の手が上がっていたが、まだ行けると見て取ったディザステルは躊躇なく家の中へと踏み込んで行く。

「誰ぞるか! 儂じゃ! ディザステルじゃ! ったら返事をせい!」

 幾度か大声を張り上げるが、何処からも返事はない。

 火勢の弱い場所を選びながら進み、レイナスの執務室へと向かう。熱で歪み開かなくなった扉をブチ破るとそこには、無惨に斬られたゲイルとミスティ、レイナスが静かに床に倒れ伏していた。

 ディザステルはレイナスだけが僅かに呼吸しているのを見て取ると直ぐ様駆け寄り声を掛ける。

「レイナス! 儂じゃ! 分かるか!」

「……おお……その声は…………すまん…………」

「しくじったのはお互い様じゃ。ヘイリアちゃんは何処じゃ!」

「…………分からん…………北の……さわがし…………かった…………」

「北の広場じゃな!」

「たの…………む…………」

 それだけ告げるとレイナスの体から力が抜ける。ディザステルにヘイリアを託すためだけに何とか気力で耐えて居た様だった。

 ディザステルは友の亡骸をそっと床に横たえると、振り返る事なく北の広場へと向かう。

 ディザステルが北の広場に着いて分かった事は、己の到着が遅過ぎたという事だった。全ては終わった後。村に残っている兵達は家に火を付けて回るだけのためで、僅かしか残ってはおらず、後で尋問して吐かせた所だと夜明け前には全部隊撤収して行った様だった。

 唯一見付かった物と言えば、ヘイリアが愛用していた、ディザステル自身が作ってやった二振りの木製の短剣だけであった。そしてそれこそが、ここにヘイリアが居た証でもあった。


 ガタガタと戸を開ける音にフォグルが直ぐに反応する。

「じいちゃん! どうだ…………った…………」

 唯一人戻って来たディザステルに、それ以上の事を聞く必要は無かった。

「すまん……っ! すまん、フォグル! 間に合わなんだ!」

 初めて見る涙を流すディザステルの姿にフォグルは、じいちゃんを責める事は出来なかった。

 ディザステルは村に着いた時にはもう全てが終わっていた事。村人は殺された者、連れ去られた者が居る事。ヘイリアの遺体は見当たらなかったから、恐らく連れて行かれただろう事。村で見て来た事を全てフォグルに伝えた。

 フォグルは直ぐに助けに行こうと主張したが、ディザステルは頑として首を縦には振らなかった。相手は軍である。たった二人で太刀打ち出来る相手ではない。下手に刺激をすれば、それこそ連れ去られた村人達に危害が及ぶ可能性もある。今は暫く様子を見るしかないと。

 フォグルは頭ではじいちゃんが言っている事が正しいと理解していた。ただ、やり場のない怒りと悲しみをどうすればいいのか、それが分からなかった。

 もし、昨日自分が村に残って居れば──。

 もし、自分がもっと強い男であれば──。

 もし──、もし──、もし──。

 どうしようもない仮定ばかりが脳裏に浮かんではフォグルを責めさいなむ。

「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁ………………」

 フォグルはただ、泣いた。

 フォグルに残されたのは、抱えきれない程の後悔と帰り際に渡されたヘイリアお手製の防寒着一式。そして夫婦の証である指輪だけだった。

 その後、村を焼いた炎は昼からの冷たい雨の中で消えて行った。


 ◇ 後日 ベルクヴェルク ◇


「う……ん…………」

 見慣れぬ天井、見慣れぬ壁。固いベッドの上で拘束された自身。目の前には見た事もない男が二人。牢屋の中に入れられている様だ。

 ヘイリアが目を覚まして気付いた事はそれくらいの事だった。

「目が覚めたのなら手間が省けた。付いて来い」

 手前に居る男がヘイリアに命じる。

 現在の状況は分からないが、覚えて居る範囲から考えるに恐らくベルクヴェルクの何処かの街だろう。外が見える窓もない事から、地下牢か横穴を利用した牢だろうと推測する。取り敢えず従う振りをしておく方が良いだろうと判断する。

 ヘイリアは自分がこれからどうなるかよりも、フォグルは無事だろうか。私が居なくなって泣いているんじゃないかと、そっちの方が心配でならなかった。それは自分と同じ様に連れて行かれた村人の事や、殺されてしまった人達の事よりも。

 ぬーん、と難しい顔をして考え込んでしまっていたヘイリアに、男が苛立った声を上げる。

「何をしている! さっさと付いて来い!」

 その声で現実に戻って来たヘイリアは、後ろ手に拘束具、足には重り付きのかせめられているというのに、それを物ともしないかの様に自然な動きでベッドから立ち上がる。この程度の拘束は師匠との稽古で経験済みであった。

 その様子にギョッとした視線を二人の男が投げ掛ける。

 内心の動揺を悟られたくないのか、殊更ことさら乱暴にヘイリアの腰に紐をくくりつけて引っ張る。

「はいはい。そんな乱暴にしなくても……」

 この程度の二人ならいつでもヤれるが、取り敢えず現状を把握したいので大人しく付いて行く事にしようとヘイリアは考えていた。

 その様子にも何か思う所があるのだろう。二人の反応はかんばしくない。むしろいぶかしんでいると言っても良いだろう。

 それもそのはず。普通の女子供であれば泣き喚いていてもおかしくない状況である。まかり間違ってもこんな泰然自若たいぜんじじゃくと言おうか、余裕綽々よゆうしゃくしゃくと言えば良いのか。明日をも知れぬ身の者が取る態度ではない。まるでこの状況には何の危険もないかの様ではないか。

 怯えも、恐れもしない囚人に、逆に二人の男の方が薄気味悪さを感じて居る程であった。


 ヘイリアが二人に連れられて来られたのは、予想の上を行く場所だった。

 謁見の間である。

 とは言うものの、余り華美な装飾などはなく、質の良さそうな絨毯と領主が座るための椅子が置いてある程度。広さもどうだろう、五十畳程だろうか。ヘイリアは謁見の間などには生れて始めて来るが、想像していたよりも狭いなと感じた。事実、他の城の物に比べても随分とこじんまりとしていた。それは現領主であるゲイル・ベルクヴェルクの方針に沿ったものであった。

 二人は領主の前にヘイリアを引き立てひざまずかせると、紐を短く握ったまま背後から見張っている。正面に領主。その両脇には護衛の騎士。更に両サイドには重臣と思しき面々。それらに視線をぐるりと巡らしていると、後ろから軽く小突かれてしまう。

(城の牢って事は、州都カルトかぁ。随分遠い所まで連れて来られちゃったなぁ)

 それにしてもとヘイリアは考える。

(こんな所に私を連れて来て何の積りだろ? 一網打尽いちもうだじんにして欲しいのかしら?)

 ヘイリアはいつでも動ける様に意識を戦闘態勢に切替つつ、呼んだ以上は何か話があるのだろうからそれを聞いてから暴れても遅くはないだろうと誰かが話始めるのを待つ。口を開いたのはゲイルだ。

「名は何という?」

「……ヘイリア・ブリッジ」

 返答をする様促される前に勝手に答えたヘイリアに周りの大人達は苛立ちを見せたが、「よい。一々面倒だ」とゲイルが許可する。

 ブリッジ家は根絶やしにしたと報告があったが、こんな所で生き残りが見つかろうとはゲイルにも思いもよらぬ事であった。ただ今は別の用事で召喚していた。そのためには生きて居てくれて丁度良かったと言っても良いだろう。

「ウチの兵士を一人で五十人も斬ったらしいな?」

「木剣で、ですけどね」

「誰に師事していたのか?」

「ディザステル=ピース」

 ヘイリアがその名を告げると、謁見の間が騒然とする。ゲイルの表情にも驚きが浮かんでいた。

「彼は弟子は取らない主義だと聞いたが……?」

「そうですね。私以外には居ないんじゃないですか?」

 自分が弟子になれたのだって、才能以上にフォグルの伴侶にと考えての事だったのだろうとヘイリアは考えている。それは二重に幸運な事だった。

「それが真実なら、どうだ? 俺の下で働く気はないか? その強さ、眠らせておくには惜しい」

「お断りします」

 一切の逡巡しゅんじゅんなく、ヘイリアはゲイルの申し出をキッパリと断る。

 村を襲った連中の下で働くなど、虫唾むしずが走る思いだった。

「まあそう直ぐに結論を出す事もないだろう。村を襲った奴等の下に付くなど反吐が出るというのも分かるからな。俺としても出来れば縁も所縁も深いフリーレンに手荒な真似はしたくなかったんだが……、そうも言っていられない状況なのでね」

 そう言うと、ゲイルはヘイリアにベルクヴェルクの現状と、未来予想を語って聞かせる。

 ルーイヒエーベネを手に入れない限り、滅びか隷属のどちらかしか道はない。領主として取りうる道は実質一つしかなかったのだと。

 語られた内容はヘイリアにも納得のいく話だった。だからと言って許せる訳ではないが。

「条件があるわ」

「聞こう」

「連れ去った村人達の生活の保障。それと私はあなた直属の独立兵とする事。ルーイヒエーベネが攻めて来た場合、私がそちらに付く事を認める事よ」

 軍の命令は聞かない。そのうえはなから寝返りを許可しろという無茶苦茶な要求に、列席していた一人の男が声を荒げる。

「ふざけた事をぬかしおって! 自分の立場という物を教えてやる!」

「控えろウインデル!」

 ウインデルが剣に手を掛けた所でゲイルが止める。

 ウインデルはヘイリアを忌々し気に睨んだまま、剣の柄から手を離し口をつぐむ。

「ウインデルの言う事ももっともだ。……が、先の二つは認めよう。最後の一つはダメだ」

「じゃあ条件を変えるわ」

 ヘイリアはあっさりと前言を撤回する。言って見ただけでまさか二つも通るとは思っても居なかった。

「三つ目のを、夫の味方をするのを認める事、でどうかしら?」

「ほう……。もう結婚しているのか」

 ゲイルが感心した表情を浮かべ、ヘイリアの後ろに立つ男に無言で指示する。

「確かに右手の薬指に指輪をしております」

「…………そうか。ならば仕方あるまい。それも許可しよう」

「ゲイル様!」

 ウインデルが異を唱えるが、ゲイルはそれに取り合わない。

「それで良いか?」

「……そうね。あなた達が反故にしない限りは、あなた達を手伝ってあげるわ。もし一つでも破った場合は、災厄が降りかかると覚えておきなさい」

「分かった。肝に銘じておくとしよう」

「いいや! 儂はまだ納得いっておりませんぞ!」

「話は付いた。まさか闘神の弟子を味方に出来るとはな。思った以上の収穫だった」

 ウインデルの抗議を全く受け付ける様子のないゲイルだったが、ヘイリアの方からウインデルに乗っかる。

「私は構わないわよ? やってあげても。あなたも私の実力をその目で確認しておきたいんじゃないの?」

 一つここで実力差を分からせておく事で、今後色々とやり易くしておくつもりであった。

「確かにそうだが……」

「あの小娘もああ言っておるのです! どちらが上かキッチリと教えてやらねばなりますまい!」

「……ふぅ。しょうがない。許可しよう。但し、あくまで模擬戦だぞ? いいな!」

「はっ!」「ええ」

「枷を外してやれ」

「必要ないわ。こんな程度のおじさん、このままで十分よ」

「な……舐め腐りおってぇぇぇぇぇぇ!」

 ウインデルは帯剣していた剣を抜き放ち、そのままヘイリアへ斬り掛る。

「あっ! 馬鹿!」

 それを見てゲイルは直ぐ様止めようとしたが遅かった。

 ヘイリアはそれを簡単気に躱しながら立ち上がる。

 ウインデルもこの初撃は躱される前提であった。剣を振り切る前に軌道をL字の様に曲げ、立ち上がったばかりのヘイリアの膝上を狙う様にして薙ぎ払う。このタイミングで回避しようと思えば後ろに下がるか跳ぶかしかない。が、ヘイリアの足には重り付きの枷がある。回避は不可能であるとウインデルは読んでいた。

 ヘイリアはウインデルがそう来るだろうと思っていた。仮にそう来なかった所で、これから訪れる結果に大した違いはないのだが。

「よっ!」

 軽い掛け声と共に、ヘイリアは重りごと足を振り上げたかと思うと、浮き上がった鉄球を上から踏み付けウインデルの振るう剣に叩き付けたではないか。

 床と鉄球に挟まれた剣は簡単に砕け、用をなさなくなる。

 剣と一緒に床に倒れ込んだウインデルの首に、ヘイリアは足枷から鉄球へと繋がる鎖を軽く添える。本来ならこのまま鎖で相手の首の骨をし折る所だが、模擬戦というていなので所謂いわゆる寸止めという所で止めている。

「勝負あった!」

 そう宣言しゲイルが直ぐ様割って入り、ヘイリアはスッと引き下がる。ウインデルも直ぐに立ち上がる。どちらも怪我などはしていない様だった。

 前言を証明して見せたヘイリアは平然とした顔をしている。面目を潰されたはずのウインデルだったが、意外にもその後は大人しくしていた。何やら一杯食わされた感じが拭えないヘイリアだった。ただ、周囲の反応は大きく変わって居た。

「ウインデル将軍をああも容易く……闘神の弟子というのも満更嘘ではない様だ」と。

 枷を全て外されたヘイリアは、逃げるでも暴れるでもなく、自然体でゲイルと向き合う。

「これから宜しく頼むぞ」

「ま、村の人達の生活費分くらいはね」

 あ、そうそうとヘイリアは付け加える。

「あなたに手を貸す私はヘイリアじゃない。……そうね。ミラージュと名乗る事にするわ」

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