第二章 その二

「どうしたの? 急にこんな所に呼び出して」

 収穫祭の準備の手伝いに村に来ていたフォグルは、本祭を夜に控えた今日、ヘイリアを一人村の外れにある森の中へと呼び出した。そこはいつもヘイリアが料理の練習をしていた隠れ家のある場所だ。

 いよいよじゃなと二人に気付かれぬ様こっそりとディザステルとレイナスも後を付けていた。ガストとミスティも来たがったが、お主等ではヘイリアにバレると一蹴されていた。

「私まだお祭りの準備があるんだからね。あんまり時間は取れないよ?」

 明日の収穫祭の事を考えると、分かっていた事とは言え少し暗い気分になるヘイリア。

「リア姉。勝負、しよう」

 一語一語ハッキリと、フォグルは落ち着け落ち着けと言い聞かせながら話す。

「ごめん。今日はそういう気分じゃないの。また今度──」

「今日じゃなきゃ! 今じゃなきゃダメなんだ!」

 断ろうとするヘイリアの言葉を、力強い言葉でさえぎる。

「なんか……妙にやる気ね……? はぁ……分かったわ。そこまでフォグルに言われちゃ断れないわ。やるならさっさと済ませちゃいましょ」

 それでも余り気乗りしない様子ながらも、肌身離さず持っている二振りの短剣ショートソードを構えるとその表情は一変する。

 フォグルも持って来た木剣を両手で構え、油断なくヘイリアと対峙たいじする。

「合図は……フォグル、あなたのタイミングで良いわ」


「で? どう見る?」

「どう、とは?」

「フォグル君じゃ。勝てそうなのか?」

「……贔屓目ひいきめに見て、開始と同時に負けるのう」

「出来れば勝って貰いたいものじゃが……」

真面まともにやればの話じゃ。何やら自信はあり気じゃったぞ。良い策でもあるのじゃろう」

「期待するとしようかのう」


 目を閉じ深呼吸を繰り返すフォグルに油断なく視線を走らせながら、ヘイリアは心の中で独りちる。

(確かに。明日からはもうこうやってフォグルと勝負も出来なくなるかもしれないんだ……)

 夫を迎え、正式にブリッジ家の新たな後継ぎとして村を、村民を守って行く使命がヘイリアにはあった。実際にその役目を担うのは、現村長のレイナスから父ガストに代わり、その次という事になるが、その間祖父や父に付き従って北と南の領地の折衝を学ばなければならない。それがこのフリーレンの村を代々預かるブリッジ家の役割だった。

 それに新婚の新婦が未成年とは言え、他の男と親し気にするのは新郎もいい気はしないはずだ。当面の間はフォグルに構っていられなくなるのは間違いがない。

(それにしてもどうしたのかしら。勝負の前に深呼吸だなんて、初めてじゃない? 顔も何だか少し赤い様だし、なんか緊張でもしてるのかな? 妙に気合入ってたし、取って置きの秘策が飛び出したりしちゃうのかも!)

 ヘイリアは準備に時間を掛けるフォグルに業を煮やす事なく、むしろ楽し気な想像を膨らませる。

 幾ら深呼吸した所で収まらない動悸に、フォグルは落ち着く事を諦め早鐘の様に打ち続ける鼓動を想いに乗せて、心の一歩を踏み出す。

「リア姉! 好きだっ!!」

 絶対に聞き逃したり聞き間違えたりしないよう、シンプルにありのままの気持ちを叫ぶ。

 そしてそれを合図にしてフォグルはヘイリアに仕掛けた。

「ふぇっ!? え? ……ええ? ちょ……ちょっと! まって!」

「待たない!」

 突然のフォグルからの告白に動揺いちじるしいヘイリアは反撃など完全に頭になく、ただ突然の展開にあたふたとするばかり。それでも反射的に動く手足がフォグルの攻撃から身を守ってくれていた。

 当然こうなる事はフォグルの予定通り。動揺しているのは何もヘイリアだけではないが、心の準備のあるなしが今の状態を生み出していた。

 ヘイリアの心を墜として実力を出させない。これがフォグルが取った策だった。

 とは言え、この状態でもまだヘイリアには届かない。

「なんでっ! こんな! タイミングでっ!」

「初めてリア姉に助けて貰った時から! ずっと、ずっとずっと好きだったよ!」

「──うっ……」

 攻撃と口撃を同時に繰り出すフォグルに、ヘイリアの顔はみるみる内に朱に染まり、動きは少しずつ緩慢になっていく。

(──好機!)

 一気に畳み掛けようと強く踏み出すフォグルに、ヘイリアの感情が爆発する。

「わ……わたしだって! フォグルが好き! 好きよ! でも! わたしはブリッジ家の人間だから! だからっ……!」

「知ってる!」

「何を……っ!」

「知ってるんだ! でもそんなの関係ない! 僕は! 誰にもリア姉を渡さないっ!」

 振り下ろされる木剣は、さながらいつもの二人の勝負の流れ。二年間繰り返され続けた流れは、ヘイリアに自然といつも通りの動きを再現させる。柄尻を打ち上げ、フォグルの手から木剣を弾き飛ばす。そしてそのまま短剣をフォグルの首に添えて勝負が決まる。そういつもの流れだ。

 今日、この日、この時の為に、フォグルが二年と言う歳月を掛けて積み上げて来た罠だ。

 動揺著しいヘイリアの剣からは、いつもの鋭さが失われている。

 そしてどう動くかが完全に分かっているヘイリアの攻撃を避ける事は、流石のフォグルであっても造作もない事だった。

 完全に勝利の流れ通りに動いていたヘイリアがフォグルの動きに気付いた時には、その隙は致命的な物となっていた。

 フォグルは木剣を弾き飛ばされたその手で、振り下ろす勢いのまま次に繰り出されるヘイリアの両腕をがっしりと掴んでいた。

「しまっ……!」

「させない!」

 ヘイリアは瞬時にフォグルを蹴り上げ距離を取ろうとするが、フォグルはすかさず掴んだ両腕をグイと手前に引っ張ってバランスを崩させヘイリアと密着する。

 それでも何とか逃れようとヘイリアは藻掻くが、単純な力では鍛えられたフォグルには敵わない。

「ねえ、リア姉。昔の約束……覚えてる?」

「……約束?」

「うん……。勝負で勝ったら結婚してくれるって言ったよね?」

 そう言われて思い出した。

「……そんなの子供の時のままごとみたいなモノでしょ……」

「でも、約束は約束だよ」

 密着した状態のまま、フォグルはじっとヘイリアの目を見つめる。

 至近距離で見つめられたヘイリアは、思わず視線を逸らしてしまう。

「リア姉……ううん。リア。好きです。何度だって言うよ。僕はリアが大好きです。結婚して下さい」

「うううぅぅぅぅ…………」

 ヘイリアの瞳から思わずポロポロと、涙が零れる。

 嬉しくて。そしてそれを受け入れられない自分が悲しくて。

 ヘイリアは泣いた。

「無理よ……。だって……」

「だってじゃない! 僕と結婚はしたいの? したくないの?」

「したい……したいよぉ……」

 泣き崩れるヘイリアは、剣の怪物ではなく只の年頃の乙女であった。

「じゃあ、しよ? 実は……もう話は付けて来てあるんだ」

「へ?」

「どうせ近くに居るんでしょ! じいちゃん!」

 フォグルに呼ばれてしまったので、近くの木の上から観戦していた老爺二人がシュタッと歳に似合わず身軽に飛び降りて来る。

「カッカッ! バレて居ったか。流石は儂のフォグルじゃ」

「ホッホッ。久しぶりに良い物が見られたわい」

 隠れて覗き見していた事を悪びれるでもない老人二人の登場に、ヘイリアは口をパクパクさせていた。

「おじいちゃん! 見てたのっ!? えっ!? どこから!?」

「最初から全部かのう? なあ? レイナス」

「フォグル君の熱い告白に、隠れておるのも忘れて思わず『いいよ!』って返事しそうになってしまったわい」

 ほがらかに笑う二人の老爺に、事情を察したヘイリアは顔を赤くしてうつむきがちになったかと思うと、拳をギュッと握り締め震えていた。そしてその顔が再び上がるとそこには、剣鬼が居た。

「殺すぅっ!!」

 恥ずかしさ余って殺意へと昇華し、老爺二人に斬り掛ろうとするリアをフォグルが背後から羽交い絞めにする。

「うううぅぅぅぅぅ! 放せー! ちょっとあのジジイ共を冥途に送り届けて来るだけだから!」

「そんな事は後で好きなだけすると良いよ。それよりも! 返事、聞かせてよ」

 返事って何の? 何て聞くまでもない。一瞬で大人しくなったヘイリアにフォグルは告げる。

「もう一度言うよ? リア。僕と、結婚して下さい」

「…………はぃ…………よろしくお願いします…………」

 今度は素直に、コクンと一つ頷き、フォグルの言葉を受け入れた。

 その言葉と同時にフォグルは、ヘイリアを正面からギュッと力強く抱締める。嬉しさの余り思わず。初めは驚いたものの、ヘイリアもそっとフォグルを抱締める。

「ひゅーひゅー。火傷してしまいそうじゃ」「いやー実に目出度めでたいのう! 目出度いのう!」

 脇でやんややんやと騒ぎ立てる、子供みたいな老爺二人がとても邪魔だった。

 暫くそうやって抱き合っていたが、ディザステルに

「フォグルや。まだやる事が残っとるんじゃないか?」

 と言われ、ハッと思い出す。

 名残惜しそうにヘイリアを離すと、勝負の邪魔にならない様、万一にも勝負の最中に壊れない様離れた所に置いておいた荷物を取りに行く。その中から一つの小さな箱を取り出しヘイリアの前に差し出す。

「開けて見て」

 そう言われヘイリアが小箱を開けると、銀製の指輪が二つ、納められていた。

「コレって……もしかして……?」

「僕が作った取って置きのプレゼントだよ」

 ヘイリアがまた泣きそうになりながら二つの指輪を見つめていると、レイナスがサッとその小箱を掠め取って行く。

「あっ!?」

「お願いします」

 驚くヘイリアとは対称的に、レイナスに頭を下げるフォグル。

「うぉっほん! では、これより略式の結婚式を村長レイナス・ブリッジの名に於いて執り行う物とする。フォグル君はまだ成人ではないから正式には認められないが、誓いは本物である。フォグル君が成人すれば自動的に正式な夫婦となる。けして『ごっこ』ではないと心しなさい。二人とも、良いな?」

「はい」「……はい」

「フォグルよ。汝、伴侶たるヘイリアを守り、支え、生涯共にある事を誓うか?」

「はい。誓います」

「ヘイリアよ。汝、伴侶たるフォグルを守り、支え、生涯共にある事を誓うか?」

 突如始まってしまった結婚式に流される様に戸惑いを隠せないヘイリアだったが、心は決まっていた。

「…………はい。誓います」

「では指輪を相手の右手の薬指に。この誓いに偽りなき証として」

 レイナスから手渡された指輪を、二人はお互いの指に嵌める。

「これで誓いは正義の神の守護を得た。では最後に、口付けを以て神への感謝を捧げよ」

 やっぱりそうなるよね! とヘイリアは心の中で「きゃあああああああああああああ」と絶叫しながら顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 フォグルも大概ヘイリアと同じ様な心境だったが、男の僕がリードするんだ! と一歩踏み込むと、俯くヘイリアの顎にそっと手を添え優しく上を向かせ、唇を重ねる。

 二人の人生で最高に幸せな瞬間であった。


「何じゃ。もう帰るのか?」

「西の方が少し騒がしい様での。ちと様子を見て来る。本当なら今年は来ん積りじゃったのじゃが、どうしても外せん用事が出来たからのう」

 非公式ながらも正規の式を終えたフォグルとヘイリアをディザステルはチラリと見遣る。とても幸せそうな二人についつい頬が緩む。

 ディザステルとレイナスの会話が聞こえた様で、フォグルが声を掛けて来る。

「じいちゃんが帰るなら僕も帰るよ」

「お主は泊まって行っても良いのじゃぞ? 折角の初夜じゃと言うのに」

 ディザステルの言葉に『初夜』の意味を知るヘイリアは顔を真っ赤にする。その辺の事にはまだまだ疎いフォグルにはピンと来ていない様だった。

「じいちゃんを一人で帰らせる方が心配だよ。リアにはいつだって会えるしね」

「年寄扱いしよってからに。まだまだお主より動けるわい」

「はいはい。じゃあ暗くなる前に帰ろう」

 フォグルがディザステルと山の家に帰ろうとすると、ヘイリアがフォグルに駆け寄る。

 振り向いたフォグルに、不意打ちの様に別れの口付けを交わすとそっと離れる。

「明日、また会える?」

「うん。明日また来るよ」

「じゃあ」「また明日」

 バイバイと互いに手を振ってフォグルとディザステルは帰って行った。その後ろ姿が見えなくなるまで、ヘイリアはその場で見送った。

 そして……その明日が来る事はなかった。

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