第二章 その一

◇ 進リープ歴四五一年 ◇


「ふぅ……ふぅ…………はぁぁぁ……。やっと着いたぁぁぁ」

「リア姉! おそーい!」

 初夏を迎え緑が力強く生茂おいしげり、通る者など二人しか居ないため整備など全くされていない、元々有って無きが如き道が完全に山の一部と化してしまっている。下草は腰ほどもあり、足を取られる等と言う段階をとうに通り越している。そんな山道をフォグルが先導して道をこしらえ、ヘイリアはそのあとを付いて登って来た。

 ヘイリアがフォグルの家を訪れる様になったのは十歳になった頃。フォグル達が村に来たその帰りに、一緒に付いて行ったのが最初だった。道らしき道などろくになく、獣道に毛が生えた様な山道を歩く事およそ六時間。着いて早々に疲労からの眠気で気付けば朝だったのは、今では良い思い出となっていた。

 今のヘイリアは村からフォグルの家まで三時間ほどで来られる様になっていた。しんどいのは相変わらずだが。昔と違う所は、赤い狼煙のろしを上げるとフォグルが村まで迎えに来てくれる所か。家族も師匠せんせいも、どう説得しても一人では行かせてくれなかったのだ。

「疲れている今がチャンス! とうっ!」

「胸焼けするほど甘い!」

 山を登り終え、ホッと一息ついて気が抜けた瞬間を狙ってフォグルが斬り掛って来るのを、ヘイリアは腰の左右に差してある二振りの短剣を瞬時に抜き放ち迎え撃つ。勝負は一瞬。フォグルが木剣を振り下ろす勢いを利用して柄尻つかじりを叩いてすっぽ抜けさせると、もう一方の短剣をフォグルの首元に突き付けて勝負あり。

「カッカッ! 全然駄目じゃのう。フォグル。ヘイリアちゃん、遠い所いらっしゃい」

 一部始終を眺めていたディザステルがヘイリアを歓迎する。

師匠せんせい! お邪魔してます!」

「はぁ~……。今日も駄目だったあ」

「だってあんた、もうこれで何回目よ。家に来る度に『今がチャンス!』って……。もう不意打ちでも何でもないじゃない」

「だって、少しでも疲れてる時でも狙わないと、勝負にもならないじゃん」

「だからって……もう少し工夫をしろ! 工夫を!」

「うー……次までに何か考えて見るぅ……」

「その意気よ!」

 フォグルとヘイリア。顔を合わせれば一戦交えるのが二人の慣習であり、遊びであり、稽古でもあり、心の交流でもあった。

 フォグルは十二歳、ヘイリアは今度の秋に十五歳となり成人を迎える。

 フォグルはヘイリアが成人になるまでに、何とかヘイリアに勝たなければならないと頑張っていた。

 ヘイリアはこと剣の腕において、最早フォグルでは一合と交わす事は出来ず、ディザステルさえも打ち負かしてしまう程に成長していた。何でもありとなると、まだまだ一度も勝てた事はなかったが。

 フォグルとヘイリアの対戦成績は、それはもう惨憺さんたんたるもので、フォグルの全戦全敗であった。特にここ二年は、負け方がワンパターン化して来ており、ヘイリアにも若干呆れられて来ていた。それ程までに実力に開きがあっても、フォグルとヘイリアは勝負する事を止める事はなかった。


 十を過ぎた頃から、もっぱら獣を捕まえて来るのはフォグルの仕事になっていた。それはディザステルに一つ認められた証でもあり、ディザステルの裏の仕事が以前より忙しくなったせいでもあった。

 今日も勝負を終えた後、フォグルはいつも通り夕食に使う獣を獲りに山へ入って行った。

「フォグルって狩りは上手なのになー」

 ヘイリアはフォグルを見送ると、誰にともなく呟く。

「ん? 狩りの腕はまあまあと言った所じゃな。武芸に比べれば悪くはないのじゃがな。フォグルの奴が得意なのは罠じゃよ」

「へぇぇぇぇ……。それにしては私には罠仕掛けて来ないわね」

「ヘイリアちゃんは罠を罠と気付かずに破壊しておるからのう」

「あ……そうなんだ……テヘ」

 自分の勘違いを笑って誤魔化す。

「さて、それじゃあ夕飯の準備まで時間もある事じゃし、稽古……するのじゃろ?」

「はい! 宜しくお願いします! 師匠せんせい!」

師匠せんせいは止してくれと言っておるじゃろうに」

 そうは言いながらも、満更でもなさそうなディザステル。体をグッグッと伸ばしてほぐし、スッと無造作に構える。無手だが、武器を使わないのではない。周りにあるありとあらゆる物がディザステルの武器だった。

 それに対してヘイリアは、昔ディザステルにこしらえて貰った二振りの木製の短剣を今でも愛用している。腰に吊るした短剣の柄に手だけを掛けるが、抜かない。抜いてしまうと手が塞がり、選択の幅が狭まるのを嫌っての事だ。

 先に仕掛けるのはヘイリアだ。ディザステルは余裕の表情でそれを迎え撃つ。

 一息で彼我の距離を詰めると、小さくしゃがみディザステルの脚を刈りに行く。それに前蹴りで応じて来るのを利用して一気に跳び上がり、宙返りの要領でディザステルの背後に回り込もうとする。

「ほっ!」

 ディザステルは蹴り脚を緩める事無く、そのまま蹴り上げつつ履いていた靴を器用に宙に居るヘイリアの顔目掛けて放ってやる。

 ヘイリアが咄嗟とっさに靴を手で払い除けた隙を逃さず、回転途中のヘイリアの襟元をむんずと掴むと、蹴り上げた脚を振り下ろす反動を生かして地面に叩き付けようとする。

 ヘイリアは投げを掛けられながら、襟元を掴む手に斬り掛ると、ディザステルの手はあっさりとヘイリアを解放する。解放されたヘイリアは空中で体勢を整え着地を決める。両者は再び正面で向かい合っていた。

「どんどん来なさい」

「はい!」

 実戦形式の稽古はそのまま、ヘイリアが起き上がれなくなるまで続けられた。


「じいちゃーん! リア姉! 帰ったよー!」

 陽が傾き始めた頃にフォグルが今日の収穫である兎を持って帰って来る。

 声を掛けて家の中に入ると、持って来た野菜と睨めっこしているヘイリアと、それを心配そうに見守るディザステルの姿があった。

 稽古以上に集中しているヘイリアは、フォグルが帰って来た事にも気付いていない様だった。

「ふぅぅぅぅぅ…………はあっ!」

 鬼気迫る表情から発せられる謎の気合と共に繰り出される二本の包丁。

 ディザステル謹製の包丁の切れ味は抜群であるのに加え、それを振るうのは剣の怪物ヘイリアだ。野菜如き片手で固定せずとも狙い通りに切る事など造作もない。ヘイリアのイメージ通り、寸分違わずに切り刻まれている。

 その後も次々と今日使う野菜達をスパスパスパッと、それはもう見事に切り刻んで行く。

「ふぅぅぅぅぅ…………。あら? フォグル、帰って来たんなら声掛けてよ」

「掛けたよ! リア姉が聞いてなかったんだろ!」

「? そうだったっけ? 料理に集中してて気づかなかったわ」

「リア姉のは何か違う気がする」

「家だと何故か練習させてくれないのよ。お母さんなんて『ありがとうリアちゃん。流石! 上手に切れてるわね~。だけどもう絶対お母さんの近くで料理はしないでね』って言うのよ! 全くどういう意味かしら」

「そのまんまの意味じゃろうなぁ」「そのまんまの意味だよ」

 フォグルとディザステルの気持ちも、ミスティと同じ気持であった。

 だがこれも未来の嫁──と二人はそう思っている──の為と、二人は黙ってヘイリアに料理の練習をさせていた。

 初めはちゃんとした切り方を教えたのだが、「なんかしっくり来ない」との事であっさり却下されると、以後は包丁二刀流による野菜の精密加工術に磨きを掛けている。

 味付けはミスティ仕込みなので、特に心配する要素はなかった。

 ヘイリアはフォグルから兎を受け取ると、手早く解体して肉を食べやすいサイズに切り分けて行く。当然これも二刀で器用に行われた。

 ヘイリアは諸々もろもろの下処理を段取り良く済ませ、鍋に水を入れ湯を沸かす。

「あとは煮込んで味を調えれば完成っと」

「何じゃまた鍋か」「僕はリア姉の作る鍋好きだよ……それしか食べた事ないけど」

「他の料理はまだ練習中なんですぅー! 二人とも料理が出来るからって簡単そうに言うんだから!」

 家では料理させて貰えないヘイリアの普段の練習場所は、もっぱら村の外れの山の中。試食係兼料理の道具やら材料やらの荷物持ちに、フェアー、クーリア、ファイの三人が良く駆り出されていた。

 成人して最初の収穫祭で村の外の人間と結婚する。その相手は本人に知らされる事はなく、家長が選んで来るのがブリッジ家の慣例であった。収穫祭の前に成人を迎えるヘイリアは、今年の収穫祭がそれに当たる。そのため、剣の修行の時間を削って花嫁修行にも時間をいているのだ。

 その時ヘイリアの脳裏に浮かぶのは、未だ見ぬ理想の夫像ではなく、いつも笑顔で隣に居てくれるフォグルの顔だった。だからか、存外花嫁修業も苦ではないのだが、結果がそれに伴っているかどうかはまた別の話であった。

「ヘイリアちゃんの場合は料理の出来ではのうて、調理の過程で命の危険を感じるのが問題なんじゃが……。まあおいおいレパートリーも増えて行くじゃろ。それよりも、裁縫はどうなのじゃ? 繕い物くらいは出来ぬと子供が出来た時に苦労するぞ」

 ブリッジ家の慣例を良く知るディザステルが、ヘイリアが最も苦手としている分野にツッコむと、

「う…………」

 ヘイリアは苦虫を噛み潰したような表情で明後日の方を向く。

「あーいうチマチマした作業って苦手。なんかもう直ぐに「い~~っ!」ってなっちゃうんだもん!」

「リア姉は手先は器用だし、辛抱強さだってあるのに、裁縫が出来ないのは目的というか目標というか、意欲を持って取り組む為の指標が無いからじゃないかな?」

「…………つまり、どういう事?」

「剣や体術の修行は幾らでもやるじゃん。それはどうして?」

「自分の思い描く理想像と実際の動きを一致させるためよ。案外自分の体って思った通り動かないモノなのよね。こう……微妙にズレるの。分かる?」

 ヘイリアの語る違和感は、時間で言えば刹那、誤差がミクロン単位のレベルの話である。そんな事を理解しているのは、ディザステルくらいのものだ。

「つまりそう言う事だよ。漠然と花嫁修業の為っていうお題目でやってるからダメなんだと思うよ」

「何か明確な目標が必要って事ね。それも私が自分から進んでやりたがる様な」

「それなんだよね。うーん……そうだ!」

 とても素晴らしいアイデア思い付いたと、フォグルは顔を輝かせる。

「僕に、身に着ける物で何か一つ、手作りしてよ!」

 これなら裁縫の練習にもなりながら、リア姉から手作りの何かが貰える、正に一石二鳥。フォグル的会心のアイデアであった。

「えっ!? ええええぇぇぇぇぇ!」

 実はヘイリア、既に母ミスティからも同じ事を言われていたのだった。「フォグル君にプレゼントする物を作ってみたら」と。

 フォグル十二歳の誕生日のプレゼントとして防寒用の帽子を作っていたのだが、結局間に合わず。最近になってようやく完成したのだが、完全に時期を逸してしまっていた。山の中とは言え季節は夏。年々冷えて来ているとは言え、あくまで作物が育ち難いというだけで、夏が寒くなるという様なものではない。フォグル達が住む山はそこまで標高が高い訳でもないので、防寒用の衣服が必要な時期はとうに過ぎていた。

 ただ、確かに「フォグルにあげるんだ」という目的は、苦手だった裁縫の分野で一つの作品を完成させる程には効果があった。

「そ……そんなに私の手作りの物が欲しい……の……?」

「欲しい!」

 恐る恐る訊ねるヘイリアに、フォグルは即答する。

「そ……そう……。じゃ、じゃあ、収穫祭! そう! 今度の収穫までに何か作ってあげ──」

「やったあ!」

 ヘイリアが最後まで言い切る前にフォグルが喜びを爆発させる。

「リア姉! 楽しみにしてるね! 僕もとっておきのプレゼント用意するから!」

「え……ええ! 楽しみにしてなさい! 私も楽しみにしてるわ!」

 追加で今度は手袋を作ってみようと決心するヘイリア。フォグルの読み通りであった。

 そんな二人の遣り取りを微笑ましく見守るディザステルの姿は、ただただ孫の幸せを願う一人の老爺にしか見えなかった。


 二人は来るべき日に備えて着々と準備を進めて行く。

 ヘイリアは何故か収穫祭で夫を迎える事をフォグルに言えないまま、剣の修行と並行して花嫁修業を続けて行く。手先も器用で飲み込みも悪くなく、根気もあるヘイリアは着実に腕を上げて行った。

 思った以上に早く手袋の方が仕上がったので、調子に乗って上着の製作にまで取り掛かっていた。フォグルが「リア姉! ありがと!」ってにへーっと笑ってくれる所を想像すると、幾らでも頑張れるのだった。

 料理中の危険度は何故かレパートリーが増えるに従って上昇の一途を辿っていた。ただ、出てくる料理はどれも芸術的な出来栄えで、緻密さで言えば宮廷料理人すら及ぶ所ではない。味付けもバッチリ美味しく仕上がっているが、こちらは御家庭のレベルである。

 一方のフォグルだが、実はヘイリアが今度の収穫祭で結婚する事を二年も前に、ディザステルとレイナスから聞かされていた。ただ、その相手が誰かという事は聞かせて貰えていなかったが。

 当然本人に言える筈もなかったが、フォグルの初恋の相手はヘイリアで、当時も今もヘイリアの事が好きだった。

 どうにかしなければと知恵を振り絞る中で、昔交わした一つの約束を思い出したのだ。

 その約束を引っ提げブリッジ家の大人達を説得──したとフォグルは信じている──し、ヘイリアに秘密のまま承認を取り付けた。後はヘイリアに勝つだけなのだが、それが最も難しい所だった。

 実力差は歴然。真っ向勝負では話にならず、色々罠も試してみたが全て徒労に終わった。即物的な罠では意識の裏を掻いてさえ効果がないと分かったのが唯一の収穫だった。

 だからフォグルは周到に準備を重ねた。ヘイリアという人間の行動、性格、癖などあらゆる物を調べ尽くし、二年という月日を掛けて積み上げ続けて行ったのだった。

 絶対負けられない勝負。フォグルの予想では九割がた勝てると踏んでいた。いや八割……やっぱり七割かな……? 考えれば考える程に不安が増していくのだった。

 それとは別に、フォグルはとある物も準備していた。これは勝負とは直接関係ない物で、むしろ勝負の後に必要になる物で、自身で暇を見つけては北のベルクヴェルク州まで足を延ばして幾日幾月も探し、見つけ、加工はディザステルの指導の下で行った。出来栄えにも自信はある。きっとリア姉も喜んでくれるに違いないと期待に胸を膨らませていた。

 両者それぞれに想いを抱えながら日は一日一日と過ぎていき、青々としていた田畑が黄金色に色付き収穫の時期を迎える。村人総出で刈入れを終えれば、今年もいよいよ収穫祭だ!

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