第一章 その四

 日が暮れると、北広場の中央に組まれた大人の背程の薪に火が点けられ、村人達はそれぞれ今年乾燥させたばかりの藁を持ち寄り焚火にくべて行く。こうする事で一年の実りの感謝を捧げ、来年の豊作を祈願するのである。

 フォグルはどこのお貴族様かと言う程飾り立てられていた。男の子も欲しかったミスティがここぞとばかりに張りきったのだった。当のフォグルは服が邪魔で動き辛そうにしていて、これじゃリア姉ちゃん──そう呼ぶ様にヘイリアに言われた──を守りにくいなと、そんな事を考えていた。

 その守られるべきヘイリアも、流石にこの時ばかりは女の子らしいワンピース姿であった。ミスティはもっとフリフリのヒラヒラで飾り立てたかったのだが、それは断固拒否されてしまっていた。せめてこれだけはと頭の後ろに大きなリボンを付け、腰帯も後ろで大きく蝶々にする事で前からも後ろからもとても可愛く仕上がっていた。

 最初はそれも嫌がって居たのだが、フォグルが「リア姉ちゃん、すごいかわいい!」と言うものだから、やっぱり付けておく事にしたのだった。

「それじゃ、行きましょ!」

 ヘイリアはフォグルと手を繋ぎ、空いた手に藁の束を持って焚火に近付いて行く。自分達の番が回って来ると、他の村人達と同じ様に藁束を火に投げ入れる。

 一仕事済ませて満足気な二人は、それぞれ保護者から千ミーティオ受け取ると広場を取り囲む様に設置された屋台へと突撃して行った。食べ物や飲み物を提供する屋台や、景品付きの遊戯、行商人が出す珍しい品々など、フォグルには生まれて初めて見る物ばかりであった。

 そんなフォグルにヘイリアはアレは何、コレは何と一つ一つ丁寧に教えていた。買い物をした事がないというフォグルに驚きつつも、お金の使い方も一から教える。そんなフォグルとのやり取りもヘイリアにはとても楽しい時間だった。

 一通り屋台を周って戦利品をゲットした二人は、意気揚々と保護者達の許へと戻って来る。フォグルは早速じいちゃんに「みて! ぼくがこれかったんだ!」と自慢していた。

「ホレ。そろそろ祭りのメインイベントが始まるぞ」

 ディザステルの言葉に、フォグル以外の皆が焚火の方を見る。その様子にフォグルもキョロキョロと視線を彷徨さまよわせ、皆が見てる方へ視線を向ける。視線はそのままに、フォグルはじいちゃんに尋ねる。

「なにがあるの?」

「結婚式じゃよ」

「けっこんしき?」

「大人の男と女が、一生一緒に居ましょって誓い合うのよ! 新しい家族になるの!」

 ヘイリアの熱い解説にディザステルが頷く。

「まあ、そんな様なモノじゃ」

「じゃあ、ぼくとじいちゃんはいつけっこんしたの?」

「ハッハッ! 結婚は男と女がするものじゃ。じいちゃんとは無理じゃな」

「えー……じゃあぼくとじいちゃんはかぞくじゃないんだ……」

「いやいやいやいやまてまてまてまて。フォグルとじいちゃんは立派に家族じゃぞ! 悲しい事言わんでくれ」

 フォグルの言葉に慌てふためくディザステルに、ミスティが思わず笑ってしまう。

「あ、お爺ちゃん出て来た!」

 ヘイリアの言葉に改めて視線を戻すと、焚火の傍にしつらえられた壇上にレイナスの姿があった。

 その後は手慣れたレイナスの進行により、つつがなく十組の結婚式が執り行われた。村中の祝福を受けて、新郎新婦達は幸せそうに笑い合っていた。

 フォグルとヘイリアもその様子を見つめていた。指輪を互いの右手薬指に嵌め合い、口付けを交わす。その光景をフォグルはじっと、ヘイリアは少し羨まし気に。

 もう慣れたもので、ヘイリアはフォグルが聞くよりも先に知識を披露する。

「右手の薬指にはね、『正義』って意味が込められているの。そこに指輪をする事で、結婚の誓いを守る証にするの。余所よそでは左手の薬指や足なんかににする所もあるらしいけどね。その辺は私も良く知らないのよね」

「じゃあねじゃあね! リア姉ちゃん、ぼくとけっこんしよ!」

「へっ!?」「まあ」「ほお」

 ヘイリア、ミスティ、ディザステル、三者三様の反応である。

「あ……あんた、意味分かってるの!?」

「……? けっこんしたらかぞくになって、ずっといっしょにいられるんでしょ? ぼくはおとこだし、リア姉ちゃんはおんなだから、けっこんできるんでしょ?」

「ま……まあ、確かにそうだしそうとも言えるけど……、そう言う事じゃなくてっ!」

「あらあらまあまあ」「カッカッカッ!」

「ま……まあそうね! 私も、君の事は嫌いじゃないし、そりゃ気に入ってるけど……。そうだ! もし君が私に勝負で勝てたら結婚してあげるわ! やっぱり男は強くないとね!」

 妙に早口でまくし立てる様にそんな提案をしてしまうヘイリア。流石に三つも年下の子に負ける道理はないとたかくくっていた。どうせ直ぐ忘れてしまうだろうとも。

「やくそくだよ!」

 真剣な表情で見つめて来るフォグルに、ヘイリアも思わず頷いてしまう。

「ええ。約束よ」


 祭りのメインイベントの結婚式が終わり、その後の祭りは飲めや歌えやのドンチャン騒ぎに移行する。空が明るくなるまで続く事も珍しくない。これもまた例年通りである。

 孫を口実に祭りを抜け出したレイナスとディザステルはブリッジ家に戻り孫達を寝かし付けると、レイナスの私室で小さなテーブルを挟んで向かい合って座る。

「まずはそちらの状況から聞かせて貰うとしようか」

 レイナスがディザステルに促す。

「西のホーホエーベネ州の領主に動きがあった。兵を州境に集めている。いよいよあちらさんも後が無くなって来たようだ。ここ十年以上続く冷害でどこも不作続き。高地にあるあそこは収穫が以前の半分にも満たなくなってしまっている」

「そうか。それでサニプレイセス様が西の州境沿いの砦に兵を……」

「北のベルクヴェルク州は今の所大きな動きは無い。こちらは鉱山地帯で作物の収穫は少なかったが、今ではほぼゼロになっている。まあここは元々食糧のほぼ全てをこのルーイヒエーベネ州から仕入れていたから、こちらから食糧の供給を絶やさない限りそう大きな問題はないだろう」

「なら良し。流石に二州から同時に攻められるのは避けなければならんからな。しかし、同じ国の領主同士で食糧の奪い合いとは……。どうしてこんな事になってしまったのか……」

「世界中が冷えて来ておる様じゃしな。人の力ではどうする事も出来ん。今はただ、生きる事だけを考える時だ。して、そっちの方はどうだ?」

「うむ。この村はルーイヒエーベネの最北端だからな。冷害の影響が領地内では一番大きい。以前のざっと六割程度と言った所か。南の方は海からの温かい風が吹き込むお陰で、この御時世でも比較的温暖で収穫も安定して居る。若干減収傾向ではあるが、ほぼ例年通りだ。北への食糧供給には影響はない」

「そうか。ならしばらくは西を重点的に注視して置く事としよう」

「任せた。北との折衝せっしょうは任せておけ」

「国がアテにならん以上、領主サマもどこまでアテに出来るか分からん。自衛の為の情報は多いに越した事はない」

「分かっている。頼りにしているぞ」

「儂の目が開いておる内は、早々好きにはさせんよ。それはそうとじゃな……」

 ディザステルはそれまでの口調からがらっと、普段の口調に戻ると、

「今日の祭りでの事なんじゃがな、ウチのフォグルがお主の孫娘にプロポーズしたぞ?」

 ニヤリと笑みを浮かべてレイナスにあらましを伝える。

「なにぃ!? 儂、聞いておらんのじゃがっ!? いや……しかし、う~む……そうか……」

「ブリッジ家の慣習的にも問題はあるまい? 悪い話ではないと思うが。勿論当人にその時までその気があるかどうかじゃが」

「突然の話で複雑な気持ちじゃが、まあ確かに悪い話ではない。当人達の気持ちありきの前提で第一候補としておこうかのう。将来の孫婿となれば、万一の際は成人するまでの面倒は当然見させてもらおう」

「助かる。これで何時寿命が尽きても安心じゃ」

「こちらも一つ肩の荷が下りたというものじゃ」

 二人揃って苦笑いを浮かべると、面倒な話は終わりと銀製の盃に白濁した米酒を注ぐ。

「今年の出来立てじゃ」「ほうそれは楽しみじゃな」

 

「子供達の未来に」「幸多からん事を」


 カチンと盃を鳴らし、酒をグイと飲み干す。

 老爺二人だけの酒宴は夜が更けるまで続いた。


 朝、陽が顔を出すと同時にパチリとフォグルは目を覚ます。

 横にはいつの間にかじいちゃんがぐおーぐおーと、いつも通りいびきを掻いて寝ていた。

 フォグルはじいちゃんを起こさない様にそっとベッドを抜け出す。昨日の祭りで皆散々騒ぎ疲れた様で、起きている者は誰も居なかった。

 物音を出来るだけ立てない様にそ~っと外へ出ると、身がキュッと引き締まる様な心地よい寒さがフォグルの目を覚ましてくれる。

 フォグルはじいちゃんの荷物と一緒に持って来た木の棒を持って来ると、日課の素振りを始める。いつもなら先に走り込みに行くのだが、知らない場所で迷子になるといけないので、そこは省略する事にしたのだ。

 そうして一時間ほど素振りを続けていると、

「なーにしてるの?」

 玄関から出て来たヘイリアがフォグルに声を掛ける。

 一旦手を止めてフォグルはヘイリアに「おはよーございます」と挨拶をする。ヘイリアもフォグルに「おはよー」と返す。

「で? 何してたの?」

「けんのタンレンだよ! じいちゃんみたいにつよくなるんだっ!」

「剣の鍛錬かあ。夢は大きいねー」

「うん! じいちゃんとってもつよいんだっ! せかいさいきょーなんだよ!」

「闘神だもんね。今まで一度も負けた事ないんだって聞いた事あるわ」

「さすがじいちゃん! すげー! ぼくもいつかとうしん? っていうのになれるかな?」

「さあ……それは分からないけど、やってみなきゃ絶対に成れないよ」

「がんばる!」

 そう言うと、休憩終わりとばかりにまた一心不乱に棒を振り続ける。

「ふぅーん……頑張ってるね……。そうだ! 私もやってみよっ」

 余りにも真剣にフォグルが棒を振り続けるものだから、ただ見ているだけだったヘイリアも、実は案外楽しいのかもしれないとフォグルの真似をして素振りをしてみる事にした。

「確か物置に剣みたいな格好した木の棒があったはず……」

 ゴソゴソと物置を漁る事数分、ヘイリアは目的の物を見つける。

「あったあった。これこれ」

 いわゆる処の木剣である。フォグルが使っているただの棒と違い、しっかり剣の体裁ていさいを為している。それ故長さも本物のそれと遜色なく、ヘイリアの肩程までもある。それを持ってフォグルの邪魔にならない場所に陣取り、木剣を構える。

「握りは確かこう……だったわよね」

 チラとフォグルの方を見て確認。合っているのを確認すると、早速力一杯振って見る。

「おっとっと……」

 木剣の勢いにつられて前によろめくヘイリア。山で拾う枝を振り回すのとは訳が違う様だと気付く。

「にゃるほど……」

 何かヘイリアの琴線に触れたのか、ヘイリアの闘志に火が付いた。

 一振り、二振り。既に剣の勢いに振り回される事はなくなった。

 三振り、四振り。姿勢がピンと伸び、振り下ろした剣をピタリと止められる様になった。

 ……十程振った頃には、木剣から風切り音が鳴る様になった。

 余りの上達の早さに、実は少し……いやかなり気になって横目でチラチラ見ていたフォグルは、ヘイリアに尊敬の眼差しを送っていた。

「リア姉ちゃんすごい! すごいすごいすごい!」

「へっ!?」

 誰に教わるでもなく、剣を振る度に感じる違和感を修正していただけのヘイリアは、突然のフォグルの賛美にビックリしてしまう。

「ぼくはね! ぼうをふっておとがするようになるまで、はんとしくらいかかったんだよ!」

「そ、そうなんだ……」

「あ! しまった! もうリア姉ちゃんはけんをふっちゃだめー!」

「ええっ!? 急になんで、どうして?」

「リア姉ちゃんがつよくなっちゃったら、ぼくがリア姉ちゃんとけっこんできなくなっちゃうもん!」

「あっ! ああー! そういう事なら一杯剣振って、絶対負けない様にしなくちゃね」

「あーっ! リア姉ちゃんのいじわるー!」

「へへーん。お姉ちゃんをお嫁さんにしたかったら、ちゃーんと強くなる事ね!」

「ぜったいまけないからね!」

 その後も賑やかに会話しながら二人が楽しく剣を振っていると、大きな欠伸をしながらディザステルが外に出て来て、そんな二人の遣り取りを目にする。

「何やら賑やかいと思えば、随分と楽しそうじゃの」

「あ! おはようございます!」「じいちゃんおはよー!」

 声を掛けられてやっとディザステルに気付いた二人が挨拶をする。

「ヘイリアちゃんも剣の稽古とは……。何歳いつからやっておったのじゃ?」

「今日初めてです!」

「──っ!?」

「リア姉ちゃんすごいんだよ!」

 とても今日始めたばかりとは思えない剣の冴え。ディザステルの目からすればまだまだ全く至らない所だらけではあったが、ヘイリアの剣はフォグルのソレを凌駕している。

「邪魔はせんから見ていて良いかのう?」

「はい! 勿論です!」

 あの闘神から指導を受けられるかもしれないと、ヘイリアは二つ返事で承諾する。

 ディザステルは言葉通り二人の邪魔にならぬ様、二人の視界の外から静かに見守る。

 振れば振る程、ディザステルの目の前でヘイリアの腕はメキメキと上達していく。才能という言葉ですら生温い程に異常な速度で。

 三十分程続けた所でヘイリアの体力に限界が来て、朝の鍛錬はお開きとなった。

「どうでしたかっ?」

「一目見た時から分かって居った事じゃが、その剣はヘイリアちゃんには長すぎるのう。良ければ儂がお勧めのサイズにしておくが、どうじゃ?」

 その言葉にヘイリアは顔を輝かせる。

「是非! お願いします!」

「うむ。帰るまでには仕上げておくからの」

 ディザステルはヘイリアから木剣を受け取ると、早速調整に取り掛かるのだった。


 午前中一杯掛けて、フォグルに新たな依頼の品を受け取りに行かせたディザステルは、約束通りヘイリア用の木剣を完成させていた。

 元の木剣を半分に切落とし、更に削り形を整え新しく柄を拵え二振りの木剣に仕上げる。刃渡りが三十センチ程の短剣ショートソードだ。中には鉄材を仕込み真剣と同程度の重量とバランスに調整してある。長さとしては今のヘイリアには両手で持つには少し短い。

 これを両手に一本ずつ持って自在に操れる様に練習しなさいと、ディザステルはヘイリアにそう言って二振りの木剣を手渡す。

 今のヘイリアにはズシリと重いそれをまるで宝物の様に受け取ると、早速外で振り回して見ていた。

「はあ……。ますます女子おなごらしさから遠のいて行くのう……。で、お主から見てあの子はどうじゃ?」

 ヘイリアを眺めながらレイナスは尋ねる。

「お主の孫は怪物じゃよ。剣の腕なら遠くない内に儂をも超えて行くじゃろう。後二十……いやさ十年もあれば、あの子は史上最高の剣の使い手になれるじゃろう」

「幾ら何でもそれは言い過ぎじゃろ」

「さてそれはどうかのう……。まあそれも本人の頑張り次第じゃがな」

「どうなろうと、あの子が元気で、幸せに暮らしてくれていれば儂はそれだけで満足じゃ」

「違いない」

 孫を見つめる二人の老爺は、同じ様な表情を浮かべていた。

「さて、それじゃあ儂らはそろそろ山に帰るとするよ。暗くなる前には戻りたいのでな」

「気を付けてな」

 ディザステルはブリッジ家の皆にいとまの挨拶をすると、別れを惜しむフォグルをなだめすかして帰路に就くのだった。


 その後、ディザステルはフォグルを連れて月に一度程の頻度でフリーレンを訪れる様になり、その度にヘイリアに剣と体の操り方についてアドバイスをする様になる。それに加えて、フォグルがヘイリアに毎回勝負を挑みコテンパンに負けるのも恒例となっていった。

 深刻度を増すばかりの寒冷化に各国各領主は食料を巡って相争い暗躍する中、薄氷の如き平和の中で月日は流れて行った。

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