第一章 その三

「あんた達……、自分らが何してるか、分かってんの……?」

 怒りが頂点を越え、無意識に低く抑えられたヘイリアの声と吊り上がった目に射竦いすくめられ、クーリアとファイは恐怖に震えあがる。フェアーもビビり捲っていたが、二人の手前、恰好悪い所は見せられないと虚勢を張る程度の意地があった。

「な……何だよ! 何か文句あんのかっ!」

 そうヘイリアに怒鳴り返すが、それが火に油を注ぐ行為だとフェアーも分かっていた。分かっていたが、見つかった以上はフェアーに取り得る選択肢は二つに一つ。

 非を認めて謝罪するか、ヘイリアを黙らせるか、だ。

 何も悪い事などしていないと思っているフェアーは当然前者を選ぶ事などしない。出来ない。幸いにもこちらは三人、相手は一人だ。幾ら相手がヘイリアでも三対一なら負けない。負ける筈が無い。

 ヘイリアはフェアーの言葉に応える価値を見出せなかったので、完全に無視。山で拾ってそのまま持って来た今日の聖剣をたずさえたまま、一歩踏み出す。

 ヘイリアが近付いた分だけ、じりじりとフェアー達三人は後退あとずさる。

まずいよフェアー。姐さんだよ姐さん! ここはもうさっさと謝っちゃった方が賢いよ!)

 小声で叫ぶ様に無条件降伏を提案するクーリア。

(右に同じ!)

 とファイもクーリアに乗っかる。

(バカ野郎! ここで謝ったら俺らが悪者じゃん! それに、幾ら姐さんだってこっちは三人居るんだ、負けやしねぇよ)

 既に心が負けている二人を何とかして奮い立たせようと、フェアーは必至で二人に発破を掛ける。

(いいな! 俺が合図したら一斉に襲い掛かるんだ!)

(無理だと思うけどなぁ)(分かったよ……)

 渋々ながらも、フェアーに同意する二人。

 その間にもズンズンと近付いて来ていたヘイリアは、もうフェアーの目の前に居た。

「さあ、その子を離してさっさと家に帰りなさい」

 スッと聖剣をフェアーに突き付けながら、フォグルを解放する様に告げる。

「み……見逃してくれるのかい?」

 クーリアの問いにヘイリアはギロリと睨み付ける。

「そんな訳ないでしょ。ただ、今はこの子の方が優先なだけよ。あんたらは後で死ぬ程今日のこと後悔させてあげるわ……」

「「ヒィィィッ」」

 すくみ上がるクーリアとファイ。既にチビりそうな位には後悔していた。

「あんたはどうする──」

 の? と尋ねようとしたヘイリアの、聖剣を掴んで力一杯フェアーは引っ張った。

「アッ……!?」

 いきなりの事で前のめりにヘイリアは倒れ込んでしまう。

「今だ!」

「「う……うあああああああああああああ!」」

 フェアーの号令で二人は、フォグルをほっぽり出して倒れているヘイリアに襲い掛かる。

 とは言え正面から行くのは怖かったので、横からヘイリアが身動き出来ない様に上にし掛かる。

 そんな二人を振り払おうと藻掻もがくヘイリアの両腕を、フェアーががっしりと掴み抑え付ける。

 クーリアとファイの二人もそれぞれ片足ずつ、乗っかる様にして完全に押さえ込む。

「へ……へへ……。こうなっちまえばもうこっちのもんだ。二度と俺達に逆らえない様にしてやるぜ」

「あなた! 今のうちに逃げなさい!」

 ヘイリアは自身の窮地よりも、打算なく見知らぬフォグルを逃がす事を優先した。

 最早何の抵抗も出来ないがそれでも、こんな奴等なんてボコボコにしてやる! と、ヘイリアの心の炎は燃え盛っていた。

 そのヘイリアの叫びに、すっかりフォグルの事を忘れていた三人は「しまった」と後ろを振り返る。三人の意識は逸れたものの、圧し掛かられて身動きが封じられている以上その程度では抜け出す事は出来ない。

 ヘイリアに逃げる様促されたフォグルは、先程まで泣いていたのが嘘の様に静かに立ち上がると、ヘイリアの手からこぼれ落ちていた聖剣(良い感じの木の枝)を拾い上げ、こちらを振り返ったフェアー目掛けて打ち掛かった。

 フェアーは咄嗟とっさにヘイリアの腕を離し、腕を顔の前で交差させて振り下ろされる聖剣をガードする。

「づっ……!」

 五歳児とは言えそれなりに鍛えているフォグルの一撃は、ガードしたフェアーの腕を痺れさせるには十分であった。

「「フェアー!」」

 フォグルの思わぬ反撃に驚きを隠せぬ二人が、追撃の構えを見せるフォグルに対してフェアーをかばう為に腰を上げる。上げてしまった。

 その好機を逃すヘイリアではなかった。

 素早く立ち上がると、目の前で背を向け腕を抑えて痛がっているフェアーの後頭部を踏み付け、蹴倒す。それに気づいた二人が「あっ」と声を上げる間もなく、左右の手それぞれで二人の頭を掴むと、ゴチン! とぶつけ合わせる。

 パっと手を離すと二人は目が回った様にその場にへたり込み、痛みに泣き出した。

 ヘイリアは服に着いた土を軽くパンパンとはたき落とすと、驚いた表情で固まっているフォグルに近付き、優しく声を掛ける。

「ありがと。助けにきた積りが、助けられちゃったわね。とってもカッコ良かったわよ」

「あ……、でもじいちゃんとけんかはしないってやくそくしたのに、やぶっちゃった……」

 ヘイリアを助けるためだったとは言え、約束を破った事には違いないと落ち込むフォグルに、ヘイリアは祖父と仲の良い御爺様が言って居た言葉を思い出す。

「『男子たるもの何時如何いついかなる時でも女子おなごを守るべし』って、お山に住んでる御爺様がいつだか仰ってたわ。だからコレはノーカンよ!」

「……ほんと……?」

「本当よ!」

 ヘイリアが自信満々に言い放つものだから、フォグルもそうなのかと信じ、少し気を取り直す。

「それより、こいつらどうしてくれようかしら……」

 キッと三人を睨み付けると、流石にもう抵抗する気もなく、ただただ泣きじゃくっていた。

 そうこうしていると、流石に騒ぎを聞き付けた大人が様子を見に現れた。

 ヘイリアはかくかくしかじかと見た範囲での事を伝えると、三人の事はしかと親に伝えて置くので、その子の手当てをしてあげなさいと指示を貰う。

 ヘイリアは頷くと三人を大人に任せ、傷だらけの少年を自宅で手当てするために家へと連れて行く事にする。

「そうだ! 私はヘイリア。ヘイリア・ブリッジよ。あなた、お名前は?」

 ヘイリアはフォグルの手を握り、目線を合わせて尋ねる。

「フォグル。五さいです」

「フォグル君ね! ウチで手当てしてあげるから一緒に行こ? 行ける?」

「だいじょうぶ。きたえてるもん!」

「そっか。フォグル君は強いね。偉いぞ!」

 じいちゃんとは違う小さな手で優しく頭をナデナデされて、フォグルは「にへー」と柔らかな笑みを浮かべる。

「それじゃ、行きましょ」

 フォグルは、窮地に颯爽と現れたとてもカッコイイお姉さんと仲良く手を繋いで、じいちゃんの待つ村長の家、ブリッジ家へと戻って行った。


「ただいまー! おかーさーん! 薬、くすりー!」

 ディザステルの最後の客が帰ってから間もなく、騒々しい女の子の声が玄関から聞こえて来る。

「そんな大声を出してどうしたの。今お客様がいらっしゃってるから静かに……って、きゃあ! フォグル君! どうしたの!」

「だから薬だって! お母さん! 早く早く!」

「あ……ええ。直ぐ取って来るわね!」

 ミスティはドタドタと家の奥へと走って行く。

「何じゃ、騒々しいのう……って! どどどど……どうしたのじゃフォグル君! その怪我は!? おい! ディズ! ディズ! さったとこっちこんか!」

「フォグルがどうしたのじゃ。……おうおう、そこら中怪我して来おって、何をしておったのじゃ? 大人しくしとると約束したはずじゃがなあ。っとヘイリアちゃん。お邪魔しとるよ」

 慌てるヘイリアの家族とは打って変わって、フォグルの怪我を見ても落ち着いた様子のディザステルに、戸惑いを覚えながらもヘイリアはペコリとお辞儀をする。

「お薬持って来たわよー!」

「かして!」

 ミスティが持って来た薬箱を奪い取る様にしてヘイリアは受け取ると、フォグルの手当てに取り掛かる。怪我の手当ては自身と子供達の分も含め、散々経験済みだ。傷の汚れは家に戻る前に、近くの井戸で丁寧に洗ってある。

 フォグルは黙ったまま大人しくヘイリアの手当てを受けていた。うつむいたままで。正面に立つじいちゃんの顔が、見れなかった。

「その怪我は何じゃと聞いておるんじゃが、フォグル。耳は付いておらんのかな?」

 厳しい声が上から降って来る。ついにはフォグルの我慢の限界を超えてしまう。

「う……うあああああああああああああ。ごめんなさいぃぃぃぃぃぃ!」

 それまで悪ガキ達に幾ら殴られ蹴られ様が、こらえ切れずあふれ出る涙はあったものの、こんな風に年相応に大泣きしなかったのに、とヘイリアはビックリしてフォグルを見遣る。

「約束を破って喧嘩をしてきたのか?」

「ううぅぅぅ……はい……。けんか、しました……。う……ヒック……うぅぅぅぅ……」

 少し落ち着いたようで、また大爆発しそうなフォグルをヘイリアはギュッと抱きしめる。

「違います! フォグル君は喧嘩なんかしてません! 私を助けてくれただけです! せーとーぼーえーって奴です!」

 フォグルに代わってヘイリアが、フォグルの正当性をディザステルに主張すると、

「カッカッ! そうかそうか! ようやったようやった!」

 それまでの険しい表情から一転、ニカっと笑って大きなゴツイ手でフォグルの頭を優しくポンポンと叩く。

「ふぇっ!?」

 突然のじいちゃんの豹変に感情が付いて行かないフォグル。どうやってでも御爺様を説得して見せると覚悟を決めていたヘイリアも呆気に取られてしまう。

「ヘイリアちゃんを助ける為に、儂との大切な約束を破って見せたのじゃ。流石儂の孫じゃ! のう! で、どうじゃった? 上手く相手はぶっ倒せたのかの?」

 ふるふると首を横に振るフォグル。その様子に「そうか……」と何故か残念そうに肩を落とすディザステル。

「確かにアイツらをのしたのは私ですけど、騎士正解……鬼神生誕……?」

「起死回生、かの? 難しい言葉を知っておるのう」

「そう! それです! 起死回生の一撃でした!」

 グッと力を籠めてヘイリアはフォグルの活躍をアピールする。嘘でも大袈裟でもない。真実であるからこそ、ヘイリアも自信を持って主張できる。

「そうかそうか。じゃが……約束は約束じゃ。破った以上は罰を受ける覚悟は出来ておろうな?」

「まって──」「うん」

 ヘイリアの言葉を遮ってフォグルはディザステルに返事をする。その目にもう涙はなかった。

「よろしい。お主への罰は、今晩の祭りの間ヘイリアちゃんをしかと守る事じゃ。良いな?」

「はい!」

 ニッと笑うディザステルに、キリっとした真面目な顔でフォグルは力強く答える。

「私の騎士様がそんなじゃ恰好が付かないわ。着替えさせたげるから付いて来て!」

 ヘイリアはそう言うとあられもない恰好のフォグルの手を引き、奥へと連れて行く。ミスティもフォグルの服を見繕うためそれに付き添って行く。

 じじい二人だけになると、レイニーが唐突に笑いだす。

「くっくっくっ」

「何じゃ、気持ち悪い」

「あの子を拾ってからお主も随分丸くなったなと思ってな」

「別にかわっとりゃせんよ。元々こういう『出来た』人間じゃわい。知らんかったのか?」

「ブフー! 笑かしおるわ! まあ良いまあ良い。そう言う事にしておいてやろう」

「ふん! それより良いのか? そろそろ時間じゃろ。準備せんで良いのか?」

「おおっと! いかんいかん。そうじゃった。それじゃあまた後でな。今晩は泊まって行くのじゃろ?」

「ああ、その積りだ。話しておかねばならん事もあるのでな」

「うむ。こちらも、な。嫌な時代になってしまったものじゃ」

「後になれば、今はまだ良かったとなるやも知れんがな」

「そうならん事を祈るよ」

「ああ、そうだな……」

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