第三章 その一

 ◇ 進リープ歴四五四年 ◇


 穀倉地帯が広がる長閑のどかな平野の中にポツリと存在する、四方を十メートルを超す壁と幅が二、三十メートルはあろうかという広く深い堀に囲まれた都市……と言うには少しこじんまりとした街がある。ルーイヒエーベネ州の州都ヴァルムである。

 ヴァルムの中心には領主達の住む城が見て取れる。その城を起点に東西南北に続く大きな街道が整備されている。北にずっと行けばフリーレンの村を経てベルクヴェルク州へと続く。西の街道はホーホエーベネ州へと続き、東と南は港町へと続いており、それぞれが物流のいしずえになっている。

 整備された街道は物資の流れだけではなく、兵の移動や情報の伝達にも大いに役立っており、ヴァルムの街は行き交う人々と荷物でいつもごった返していた。

 南の海から暖かい風の吹き込むこのルーイヒエーベネでは、この冬の時代にあっても食料が豊富にあり、行き交う人々の表情も明るい。しかし、飛び交う話題の主流はあまり明るい物ばかりでもなかった。

 西のホーホエーベネ州とはいまだ睨み合いが続き、北のベルクヴェルク州は奪い取ったフリーレンの村の跡地に砦を築いて橋頭保きょうとうほとし、収穫の時期になるとルーイヒエーベネの北部地域を略奪の為に荒らし回っていた。

 元々が田舎の州で、農民貴族だの百姓公だのと揶揄やゆされるような州である。領地は広く食料が豊富だと言っても、住む人間が多い訳ではない。必然兵と言えば兵農一体の農民兵で、職業軍人は極僅か。領主お抱えの騎士団と城勤めの兵達くらいである。

 西の州境には交代制で領民から徴募した兵を常駐させているため、北からの略奪軍に当てられる兵は殆どおらず、かと言って何の対処もしないのでは領民からの批判は免れない。報せが有る度騎士団が随時兵を雇い駆け付けてはいるが、良い様に荒らされているのが実情である。

 ただ、北の略奪軍は自分たちに必要な分の食料を奪って行くだけで、人や財等には基本一切手を付けなかった。その奪って行く食料も、広く薄くといったやり口で村人達が飢えない様に気を遣っている様にも見えた。村人達を飢えさせると、来年の自分達の略奪する食料が減る事になるからだろうというのが大方おおかたの予想であったが。

 豊かで長閑な田舎州だからこそ、これまでとは違い、戦乱と無縁でいる事は出来ないのだった。


 有事の際以外閉ざされる事なき四方の外壁門を潜って街の中に入り、真っすぐに街道を進めばもう一つの壁に突き当たる。城を四角に囲う城壁だ。ここにも大きな水堀が掘られ、城壁の内側には四隅に見張櫓が設けられている。城内には掘の四隅にある跳ね橋を渡って行く様になっており、流石に街道から一直線、という訳でもなかった。とは言え、それ程防御力の高い造りでもない。外壁を突破されればそう手間取らずに城も陥落する事だろう。縁のなかった戦より便利さを優先した結果であった。

 そんな城壁の北西門を一人の若者が訪ねていた。城壁門は外壁門とは違い用が無い時は当然だが閉められている。基本門の脇についている勝手口から出入りするので、騎士団が出陣するとかでもなければ門が開けられる事は無い。

 外壁門と同じく城壁門にも門番が二四時間常駐している。若者は門番に話しかける。

「あのー、兵員の募集を見て来たんですが……」

 門番はジロリといかめしい表情で若者を見る。睨んでいる様にすら思える態度である。

「はあ……。帰った帰った。子供に用は無いよ」

 しっしと門番はつっけんどんな態度で若者に帰れと促す。

「今年で一五になったので、もう大人です! 兵員の募集を見て来ました!」

 そんな事で帰ったりする訳もなく、もう成人である事を強調して門番に詰め寄る。

「あーはいはい。どっちにしろ用はないよ。はい。帰った帰った」

 若者の主張を信じたのか信じていないのか、門番の態度に変化はない。

 そう、若者が成人しているかどうかは大した問題ではなかった。

「どうしてですかっ!? 雇ってくださいよ!」

 それでも食い下がって来る若者に門番は、詰め所の入り口にも貼ってある兵員募集の貼紙を指さす。

「募集年齢は、『四〇歳以上』だ! 字が読めるんなら分かるだろ!」

「分かりません! 雇ってください!」

「お前みたいな若モンはお呼びじゃねぇの! お前らみたいなのを守るための兵を募集してんだぞ。何が悲しくて未来ある若いモンを戦場に送らにゃならんのだ! 分かったらさっさと帰って良い仕事見つけて来るんだな!」

 門番さんは存外いい人の様だった。

「嫌です! 僕は軍に入りたいんです!」

「だーかーらー!」

 若者と門番が「雇え!」「帰れ!」を繰り返していると、何だ何だと見物客が増えて行く。

 騒ぎを聞き付けたのだろう、一人の騎士が馬に乗って近付いて来ると人混みがサッと割れ道が出来る。カッポカッポと馬を進ませ騒ぎの中心へと向かう。当の二人は近付く騎士に気付く素振りもない。

「どうした? 何を騒いでおる」

 騎士が声を掛ける。門番が気付いて顔を向けると、直ぐ様頭を垂れる。若者の方は「何か偉そうなおっさんが出て来たなぁ」とか考えていたが、仮にも兵として雇えと言っていた身だ、偉そうな騎士には下手に出ておくに越した事はないと、こちらも頭を下げていた。

「これはサンダーク様! とんだ御見苦しい所を!」

「よい。それで、何を揉めておったのだ?」

(サンダークって言えば、騎士団長のサンダーク・キャンター? うーん、凄いお偉いさんが出てきたなあ)

 ある程度想定内の事態ではあるが、予定していた以上の獲物が釣れていた。

「この若者が──」「軍で雇って下さい!」

 門番の言葉をさえぎって自身の要求を騎士に伝える。

 門番はまたこれだと呆れた様子だ。

「──とまあ、こういう具合ですよ。お前さんは募集対象じゃないと伝えたんですがね」

「なるほど……。承知した。それだけ熱心に軍に入りたがるのだ、何か事情があるのだろう。いつまでもここで押し問答していてもらちが明くまい。詳しい話は中で聞こう」

「助かりやす」

「うむ。……そう言えばお主の名前を聞いてなかったな」

 サンダークは若者に名前を訊ねる。

「フォグル。フォグル=ギフトです」

「フォグル……か。私は騎士団長のサンダーク・キャンターだ。この州の軍事一切を任されている。お主の上司になるかもしれん男だ」

 簡潔に自己紹介を済ますと、サンダークはフォグルに付いて来るよう促す。フォグルの名に何処かで聞いた様な気がしていたが、思い出せない程度の事ならさして重要ではあるまいと思考から切り捨てる。

 サンダークはフォグルを城内に招き入れると、そのままフォグルを伴って二階にある団長室に戻る。

 貴族階級の騎士団長の執務室とは思えぬ質素な部屋に、フォグルは驚かされる。執務机と椅子、それが一つ。それしかこの部屋には置いてない。

「ハッハッ! 何もない部屋で驚いたかね? 期待外れで済まないな」

「あ……いえ……」

 思わず表情に出ていたフォグルは自分の失態に顔を青くするが、当のサンダークは気にした様子もない。

「客をもてなす用の応接室はそれなりにしてある。だが、自分の仕事部屋くらいは好きにさせて貰ってるのさ。贅沢なのは趣味じゃないのでね」

 頑丈さだけが取り柄の様な無骨な革張りの椅子に腰かけると、改めてフォグルに問う。

「それで、フォグル君。なぜそこまで軍に入りたがる? あたら若い命を粗末にするものではないぞ?」

「昨年病気で死んだ祖父が、儂が死んだ後はヴァルムの軍を頼れと」

 嘘は言っていない。その言葉の真意を伝えていないだけだ。

「これを見せれば分かる、とそう言われて来ました」

 荷物から蝋で封をされた便箋を一通取り出すと、フォグルはサンダークに手渡す。

 サンダークは受け取った便箋の表裏を見て見るが、特に宛名や差出人の名前は無い。が、封蝋に押されている印を見るや背筋を悪寒がはしり抜けた。

「ほほう……これを…………お主の祖父…………が?」

 何故か急に言葉が不自由になるサンダーク。

「はい。正確には僕は捨子なので、育ての祖父ですが」

「そうか……。こんな時代だ、口減らしなどそう珍しい話でもない……か」

「はい。それに、僕は祖父に育てて貰えて幸せでした」

「そうか……。そうだな……。ふぅ……」

 余程その封を開けたくないのか、封蝋を見つめながら幾度も溜息をこぼすサンダークにフォグルが痺れを切らす。

「早く開けて下さい」

 フォグルに急かされ、渋々といった様子で封蝋を剥がし便箋を開ける。

 開いた便箋には一言──


『孫をよろしく』


 とだけ書かれていた。

 後は見間違い様もない、闘神ディザステル=ピースのサインがでかでかと。

成人名セカンドネームがピースだとか冗談にも程がある。何の積りで誰が付けたのか)

 サンダークは予想通りの名前にそんな事を思う。

 ディザステルからの手紙にしては穏便な内容に胸を撫で下ろすサンダーク。これくらいの事であれば自身の裁量でどうとでもなる範囲である。

「何と?」

 手紙の内容が気になりフォグルはサンダークに訊ねて見るが、サンダークはそれを敢えて無視し、決定事項だけを伝える。

「宜しい。お主の入隊を許可しよう」

「ホントですかっ!?」

「こんな事で嘘などかんよ」

「有難う御座います! 宜しくお願いします!」

 ガバッと深くお辞儀をするフォグルに、爺さんと違って真面そうだなと感想を抱く。

「つかぬ事をお伺いしても宜しいでしょうか?」

「何だね?」

「サンダーク様は祖父とどのような御関係だったのでしょうか? 交友関係について祖父は全然何も話してくれませんでしたので」

「そうだな……、私がここでこうして騎士団長などをやっているのは、あの方のせいでもあり、あの方のお陰でもある。若さ故の過ちとは言え、あの頃を思い出すと魂から震えあがるよ」

 どうやらサンダークはディザステルの犠牲者の一人である様だ。

 そしてフォグルが散々に聞かされた祖父の武勇伝は、どうやらあながちホラ話ではない様だと知った。聞き流していた話の一つに、サンダークの事と思われる話があったからだ。

「他に今聞いておきたい事はあるか?」

「……いえ。今は特にありません」

 少し考えてからフォグルは答える。

「よし。では今日の所は城下の宿に泊まる様に。急な事なのでな。明日までに色々と手配して置く。……そうだな、今日とまた同じ時間に来る様に。門番には話を通しておく」

「はい。分かりました!」

 これで用は済んだとサンダークはフォグルに退室を命じ、フォグルはそれに従って団長室を後にする。

 城下の宿へと向かうフォグルの顔には、先ずは上手く軍に入れた事に対する喜びが浮かんでいた。

 一方、サンダークの方は団長室の窓からフォグルの背中を見送ると、配属先や制服、寝泊りする部屋の準備などを手配させるのだった。


 翌日同刻。フォグルが北西門を訪れると、昨日と同じ門番のおじさんが立っていた。声を掛けると「まったくこんな若モンを入れるたぁ、偉いさん方の考える事は分からんね」と悪態を吐きながら勝手口を開けて通してくれる。

 門を抜け城内に入ると、横着な事にサンダークが団長室からフォグルに上がって来るよう声を掛ける。

 昨日通ったのと同じルートで団長室を訪ねると、サンダークともう一人、見知らぬ二十代そこそこの騎士──おおう! 凄いイケメンだ!──がフォグルを待って居た。

「彼が噂の……」

 イケメン騎士がサンダークと内緒話しているのを横目にフォグルは挨拶をする。

「フォグル=ギフト。参上致しました」

「ああ。良く来てくれた。この横に居る騎士だが……」

 イケメン騎士はスッと手でサンダークの紹介を遮ると、一歩前に出て優雅に一礼。

「私は近衛騎士隊長クリアード・アテンド。フォグル君だったね。聞いたよ? かの闘神様のお孫さんだとか。期待しているよ」

 声までイケメンな近衛騎士隊長様に、只々こんな人間が存在するのかとフォグルは驚きを禁じ得なかった。

「クリアードはクラウディア姫の護衛が主な任務なんだが、どうしてここに居るかというとだな、フォグル君の配属先に関して申し入れがあってな。君を近衛隊に欲しい、と」

「僕の様な馬の骨を近衛に? 出来れば外回りの部隊に……」

「闘神様の孫なら氏素性も明るい。歳も姫に近いのに、近くに置いても安心できる男と言うのはそう居なくてね」

 クリアードは目敏くフォグルの右薬指の指輪を示してそう述べる。

「姫の護衛なら危険も少ない。内勤であるしな。外回りが希望の様だが、フォグル君の様な若者を死地に追いやる気は、サニプレイセス公以下我等騎士団にはない。良いな?」

 強い口調で告げられるサンダークの言葉に、フォグルは頷くしか無かった。

「後の細かい手続きや部屋への案内は隣の部屋に居る事務官に任せてある。明日からの仕事に関しては、直属の上司になるクリアードから説明があるだろう」

「八の刻に部屋に迎えを行かせるから、それまでに準備しておくようにね」

 これで用は済んだとサンダークはフォグルに退室を促す。フォグルは一礼して団長室を辞し、隣室で待機していた事務官から制服などの物品の支給と最低限の注意事項の説明を受け、これからここで暮らす部屋へと案内されて行った。

 それを物陰から見送る人影が一つ。コソコソと団長室の扉に近付き聞き耳を立てる。

 そんな曲者の存在に気付く事なく隣室の扉が閉まる音を確認すると、サンダークはクリアードに声を掛ける。

「彼はフリーレン所縁ゆかりの者だぞ。本当に良かったのか?」

「村を見捨てた我等騎士団は恨まれていて当然……ですかね?」

「……分かって居るなら良い」

わだかまりはあるでしょうが、そこまで強い憎悪を彼からは感じませんでした。それ以上に強い目的意識がある様に見受けましたが、団長は如何いかに?」

おおむね同じ意見だ。外回り希望も……大方予想は付く」

「フリーレン、指輪、軍への入隊に戦場希望……連れ去られた恋人の捜索、でしょうね」

「その目的が果たされるまでは、まあ大丈夫だろう」

「そうですね……」

 それ以降は西の状況や北の状況、今後の方針など専門的な話になり、門外漢である曲者にはつまらない話になったのを期にそっと扉から離れると、「ふぅん……」と悪戯な笑みを浮かべ足早にその場を離れて行った。スカートをひるがえしながら向かった先は、およそその姿には似つかわしくない兵員宿舎である。そう、フォグルが案内されて行った場所である。

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