触れあわぬ人生

 一度も降りたことがない駅で下車した。駅前に賑わいはない。店舗よりマンションの方が目立つ。

 大した理由ではない。食べてみたいなと思っていた料理を出しているのが、そこか銀座にしかなかったからだ。近場で済むならわざわざ行かなかった。

 駅前にはコンビニと駐輪場、観光PRコーナー。この場所にPRするだけの何かがあるという期待さえできない気がした。

 大通り沿いの道を行く。交番や塾、またマンション。東京にしてはあまりにも華やかさがないな、と感じた。ひどい偏見に塗れているな、と自分でも笑えた。

 子供の手を引く母親がすれ違う。子供が何かを言えば、母親は素っ気なく答えた。それだけだった。

 工場の前を通る。休憩時間だったのか、作業着の人々が入口際でダラダラとしていた。

 知らない街を、特に住宅街を訪れると、寂しさと不思議が入り混じった感情が湧き上がる。

 人が生きている限り、人生がある。中でも街には、色濃く平然とした日常がある。

 見知らぬ住宅街での私は異物だ。ささやかで勝手な疎外感を覚えながら、ついすれ違う人々の様子を見てしまう。

 先ほどの親子。恐らく私がこの先の人生で彼女たちに会うことは、二度とない。既に顔も思い出せない。奇跡的に、あるいは意図的に通いつめて再会したところで、思い出せるよすががない。

 数十年の人生。私にとっては、同時に彼女たちにとってはそのうち数秒の接点しか存在していない。きっと私を気に留めることさえなかっただろう。

 だが、そんな相手であっても、生まれ、育ち、出会い、子を産み育てている。当然だ。そこに不思議は一粒もない。

 それでも、知ることも関わることもない人生が、無数に日々すれ違っているという事実に目を向けた時、得も言われぬ感覚に襲われる。

 店に辿り着くまでの間、一体どれほどの無縁な人生とすれ違ったのだろう。あるいは、知らぬ接点がある相手と、そうとは知らずどれほど見送ったのだろう。

 だが目下最大の問題と落胆は、既に店の看板すらなくなっていたことだった。私は最も目的としていた場所と、何の接点も持たぬまま、今生の関係を終えてしまった。これもまた人生だ、などとつまらぬ慰めをしながら、私はとぼとぼと隣の駅を目指し歩き出した。

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