あれは霊障だったのだろうか

 幽霊を見たことがない。

 信じているかと問われると、まあ単純に暗闇に巨大な白い顔があるところを想像すれば怖いよなと答えるし、死体と一緒の部屋に平然と居られないだろうなぁ、と答えるのが関の山だろう。

 だが現実に起きる出来事の多くは偶然に対してストーリーを勝手に付与するものだと思っている。これもまた、その一環だとは思うが、記憶しているうちに吐き出しておこうと思う。


 誰しも物理的にそうであるように、私にも祖父が二人いた。母方父方どちらの祖母も健在であるが、祖父は両方とも他界している。

 母方の祖父が亡くなったと聞かされたのは、大学生の頃、ある冬の日の朝だった。

 癌を患っていたので初めは「そうか」と受け入れたが、トーストを食べながら、不意にボロボロと泣き出してしまった。

 一日ずっと、私は暗い気持ちであった。部活では新部長が決まって盛り上がっていたが、とても明るく振る舞うことなどできず、当時仲の良かった先輩の心配を余所に帰宅した。

 リビングにいた時のことだった。

 電気のカバーが突然に落下したのだ。ペットボトルのキャップと同じように、らせん状の溝に嚙合わせるタイプで、落下したことなどこれまでなかったし、今に至るまで同じ現象は起きていない。

 また、通夜でのことである。

 近所の葬儀場で、祖父の話に花を咲かせていた。

 いい人だったね、というような話もしたが、同時に面白かった話や、遺影の元となる写真を撮った旅行での話など、面白可笑しい話をしている最中のことだった。

 我々の笑いに合わせるように、遺影がバタリと音を立てて落下したのだ。

「おじいちゃん、怒ったのかもね」

 と笑い、また話は続いていった。


 父方の祖父が亡くなった時も、一つだけ不思議なことがあった。

 同じく大学の頃。ある夏の日、電話で祖父の死を聞かされた。やはりこちらの祖父も癌で闘病していたので「そうか」と受け入れながら、涙を流した。

 夜のことだ。

 廊下にいた母が「きゃあっ」と叫んだ。

 なんだと慌てて向かうと、どこからかトカゲが入り込んでいた。

 ゴキブリが出たことは何度もある。しかし、トカゲが張り込んだのは、やはり前後それきりであった。

 素手で掴むことに抵抗があり、殺すことも心理的に憚られたので、スーパーの袋を持ってきてなんとか捕らえて外へと逃がした。

「おじいちゃんが最後に挨拶に来たのかな」

 そんな物語を我々は見出していた。


 こうした出来事は、なぜだか葬儀や火葬よりも明確に覚えている。

 幽霊の存在を信じてはいない。が、もし最後に遊びに来ていたのかな、と考えると、少し悲しみも癒えたのではないかなと思える。それでいいと思う。

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