第五走 渡り人
馬車から水と飼い葉を取り出して、クロエに与える。一緒に馬車を引く荷駄馬のお世話もしておいた。
「よーしよし、もう大丈夫だからな」
戦いの影響か、荷駄馬はずいぶんと怯えていた。よく逃げ出さなかったものだと思うが、その実、足が竦んで動けなかっただけなのかもしれない。
ユウマが馬の世話をしている間、貴族令息フィンは、使用人であるハルクの治療に当たっていた。
「う、若様……」
「大丈夫だ、すぐに良くなる」
フィンは、ハルクを荷台に寝かせ、傷口を抑えながら回復薬を少しずつ投与していた。
そう、この世界には回復薬があるのだ。回復薬さえあれば大抵の傷はなんとかなる。傷はすぐに塞がり、感染症の心配もなし。魔法に並ぶファンタジー世界の醍醐味といえる要素である。
回復薬は、貴族でもおいそれとは使えない貴重なアイテムらしいが、そういった回復手段があるのは素直にありがたい話だった。自分たちが怪我をしても、金さえあればすぐに癒せるという事だからだ。
「お待たせしました、出発しましょう」
フィンはそう言って、馬車の御者台に乗り込む。
「ハルクさんは?」
「眠りました。かなり出血していましたから」
回復薬でも、失った血や体力まではすぐに取り戻せないらしい。しばらく安静にしてやる必要があるそうだ。流石に魔法のお薬でもそこまで万能ではないらしい。
馬車が走り出す。護衛であるクロエたちもそれに続いた。
移動速度は強めの
とはいえ、移動は馬任せだ。馬は賢いため、一度、指示を出せば後は何をせずとも道の上を歩いてくれる。
八つの蹄が、石畳の街道をリズミカルに叩く。空は高く、少しだけ曲がりくねった道はどこまでも続いている。時折、目に飛び込んでくるのは極彩色の花々だ。赤、黄色、紫、ピンク。それは野生ならではの力強さで繁茂し、味気ない街道を鮮やかに彩ってくれていた。
爽やかな草原の風を浴びながら馬に揺られていると、どこか心まで軽くなる。バイクや自転車に乗っているのとは違う充足感があった。
馬は人を選ぶ。心を許した人しか乗せない。ユウマはクロエの背に乗ることを許された。それが居心地のよさに繋がっているのかもしれない。
「ハルクさん、よかったですね」
「ええ、ユウマ殿のおかげです」
フィンは頭を下げる。貴族とは思えないほどの腰の低さだ。
いくら従者が怪我をしているからとはいえ、平気で御者台に座っているのだ。しかも、手綱を操る手つきはどこか優しくて、ユウマは何となくフィンに親近感を抱いた。
「手慣れてますね?」
「ああ、これですか? 私は元々平民出身でして、母方の祖父について商人をしていたこともあるのですよ。なかなか様になっているでしょう?」
フィンは片目をつぶり、茶目っ気たっぷりにそう言った。
詳しく話を聞いてみると、フィンは、単なる貴族令息ではなく、いわゆる私生児だったらしい。ある日、ウィンザーク伯爵が使用人の侍女に手を出し、妊娠させてしまったそうだ。
伯爵は奥方の勘気に触れるのを恐れ、金を持たせて屋敷から追い出した。そうして生まれたのがフィンで、子供の頃は商人であった母方の祖父について国中を回り、その後、伯爵家の都合で引き取られたようだ。
「……大変だったんですね」
「まあ、そうですね。しかし、案外楽しんでいますよ。商人だったからこそできたこともあれば、この伯爵家の人間だからこそできること、見えることもあります。例えばですね――」
歳が近いせいか、あるいはフィンの飾らない性格のためか話が弾む。
「ところでユウマさんの馬術はどの流派で? 初めて見る動きで、色々と驚かされましたよ」
「あ、これは学校で――」
そしていつの間にか、ユウマはフィンに情報を抜き取られまくっていた。元商人だけあって交渉術的なスキルでも取得しているのか、名前や年齢はおろか、職業に特技、家族構成に至るまでペラペラと喋ってしまっていた。
「なるほど、つまり、ユウマさんは<渡り人>なのですね」
そして仕舞いには見知らぬ世界から迷い込んでしまったことまで聞き出されていた。
不意に、クロエ号が速度を上げる。
『ユウマ、危機感なさすぎ』
少し離れたところで、不機嫌そうにクロエが言う。
「え、何が……」
『色々しゃべり過ぎだから。もしもフィンが私たちを騙そうとする悪党だったら、どうするの?』
「……いや、そんなつもりじゃ……あっ、いつの間にか全部、喋ってた」
『ちょっと、平和ボケしてんじゃない?』
クロエの言う通り、先ほどまでのユウマはかなり迂闊だったと言える。
例えば、この世界にとって<渡り人>が禁忌の存在だった場合、ユウマはその場で殺されてもおかしくない。
フィンの反応からして問題なさそうだが、別の地方だったらトラブルになっていた可能性もある。タブーというのはその地に根差した宗教、慣習、歴史などを背景とすることもあり、別の国では<渡り人>=悪という文化が醸成されていてもおかしくはないのである。
「…………イケメンのコミュ力、恐るべし」
『ユウマの口が軽すぎるだけだから』
クロエはそう言って、小さく鼻を鳴らした。
『今後は気を付けてよね……まあ、フィンならある程度、話してもいいとは思うけど、』
「例の野生の勘ってやつ?」
『そう。箱入り娘だけどね』
ともあれ、フィンは信用できると、クロエも思っているようだ。
高貴な身分のようだが、幼少期には大変な苦労をしていたようだし、怪我をした使用人を庇い、ゴブリンたちに立ち向かってしまうくらいのお人好しでもあった。命の恩人であるユウマたちを無下にはしないだろう。
「ごめん、これから気を付けるよ」
『うん。そうして。ここは見知らぬ世界で、私たちは何の縁(よすが)も持たない異邦人なんだから。慎重に行動するに越したことはないわ』
「そう、だよね」
『もう知られてしまったんだし、フィンには色々頼らせてもらいましょ。この世界のこと、特に今いる場所での社会通念、特に不問律とされているようなところを聞いたらどうかしら?』
先ほども言ったように土地柄によってルールは異なる。中指だけ立てる、左手は不浄の手、一人で出歩く女性は売春婦と見なされる、知らない、ということはそれだけで危険なのだ。
何も知らないままでは生きていけない。そういった意味で言えば、フィンに<渡り人>であることが伝えられたのは幸運だったかも知れない。
分からないことは堂々と聞けるし、多少のルール違反なら大目に見てもらえる。命の恩人であるユウマたちだから親身に応えてくれるだろう。
「そう考えるとちょっと難しくなってきたな」
『ま、最悪、逃げればいいから気負わずにやりなさいよ。今の私たちに追いつける奴なんていないわ、きっと』
ユウマは小さく息を吐くと、頼れる相棒の鬣を撫でた。
「ありがとうな、クロエ。本当、君が一緒でよかった」
『……ふふ、お互い様ね。私だって、ユウマのこと、ずいぶん頼りにしてるんだから』
二人は小さく笑い合うと速度を落とし、馬車が追いついてくるのを待つのだった。
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