第三走 質量×速度+跳躍

「ブルルルゥゥウゥゥゥ――ッ!」

 クロエは応じると加速した。馬とは元来、臆病な生物だ。火を恐れ、音に驚き、害意に慄く。特別な訓練を受けた軍馬であればともかく、ただの競走馬が、鉄火場に飛び込めるはずがない。


 それでもクロエは突貫した。

 まるでそのはやさを誇示するかのように、躊躇なく、逡巡さえ見せずに突撃する。


「往けぇぇえぇぇぇぇぇ――ッ!」

 ユウマもまた、太刀を抜き、叫んだ。


 刃を振りかざせば、その切っ先を追いかけるように漆黒の牝馬が加速する。蹄が地面を蹴り上げ、けたたましい音を立てる。蹄鉄型に削れていく。


 猛烈な加速。それはまるで一陣の峻烈な風だった。


「おおぉぉぉ――ッ!」

 ユウマが声を上げる。それは蛮声。今からお前を殺すぞ、という獰猛な宣誓であった。


「ギギィー!」

「ゲ、ギ!」

 見る見るうちに大きくなる<騎兵>の姿に、ゴブリン達が慌て出す。


「ぶるるるッ!」

 クロエが嘶き、その瞬間、黒毛が鮮やかに輝いた。


 <騎兵突撃チャージ>。それは戦乱続きの中世ヨーロッパにおいて、最強とされた戦術のひとつだった。


 その原理は単純明快。

 馬の速度と質量で、敵軍をぶっ飛ばす。


 破砕音。四つの人型が宙を舞った。運動エネルギーは速度と質量の単純な計算式で表される。重い物が早く動けば、それだけ大きな力となる。


 時速七〇キロ――いや今はそれ以上だ――で、高速移動する五〇〇キロの超質量。衝突力は交通事故のそれに何ら劣ることはない。それはゴブリンのような小型モンスターが到底抗えるものではなく、魔物たちは馬体に触れた瞬間、錐揉みしながら宙を舞い、仲間を巻き込み、弾け飛ぶ。


 質の悪いボーリングめいた光景。


「逃がすか!」

 そして圧倒的な暴力は続いていく。


 騎兵突撃から逃れた個体には、別の悲劇が待ち受けているのだ。


 ユウマの振るった太刀が、ゴブリンに襲い掛かる。鋭い切っ先は肩口から侵入し、騎馬突撃の勢いで体内を進み、胸から突き抜け、その体躯を断ち切っていた。


「おらッ!」

 次は撫で斬り。刀身を横に寝かせ、獲物の横を通り過ぎる。残るは頸を断ち切られた魔物の死骸。恐怖に歪んだゴブリンの頭部が軽やかに宙を舞う。


「もう一回!」

 敵陣を最高速で突破した二人は速度を落とさず、反転していく。


「ぶるるッ!」

 次の狙いは当然、中央突破。


 ユウマは、頭ひとつ大きい個体、先端に瘤のついた木の棍棒を持つゴブリンを睨みつける。


――間違いない。奴がこの群れのリーダーだ。


<ゴブリンリーダー>と名付けたそれに向け、騎兵が再度加速する。


「グルオオォ!」

 ゴブリンリーダーは声を上げる。配下のゴブリン達が一斉に道を空けた。


「一騎打ちのつもりか……?」

「ぶるる!」

 チュートリアル風情が小癪な真似をしてくれる、クロエは生意気な小兵を踏み潰さんと鼻息も荒く駆け出した。


「ゴブ! ゴブリ、ゴギ、ゴキリ! オダギリ!!」

「オダギリってなんだ! おら!?」

 ゴブリンリーダーは杖らしきものを掲げる。


 乱杭歯の口元が嫌らしく嗤う。次の瞬間、棍棒の先にバスケットボール大の火の玉が生まれるのが見えた。


「なッ――!」

 火炎魔法<火球ファイアーボール>。ユウマは慌てて手綱を操ろうとしたが、それよりもゴブリンリーダーが杖を振り下ろす方が早かった。


 迫り来る火球を見ながらユウマは失態を悟る。道を空けさせたのは、挑発のためではなく確実に火球を当てるためだったのだ。


「――避け――ッ!」

 いくらファンタジー世界とはいえ、チュートリアルから<魔法>が出てくるなんて思ってもいなかった。


 火球の存在感は凄まじく、直撃すれば致命傷を負うことは明白だった。


 ユウマは何の手立ても打てないまま自らの死を覚悟し――


 愛馬の嘶きを聞くひぃいぃぃぃん――。


 クロエの後ろ脚が強い光を放つ。


 瞬間、騎兵は宙を舞っていた。人一人を優位に飛び越す跳躍は、まるで空を翔ける天馬のそれ。器用に折り曲げられた四つ脚の下を巨大な火の玉が通り抜けていく。


 驚愕し、硬直するゴブリンリーダー。


「ぶるるる!」

「――ブギ!」

 猛る黒馬は、惚けた敵を馬蹄で踏み潰しながら、軽やかに着地する。


「すげえ……」

 思わず、唸る。


 余裕綽々といった風情のクロエに当てられて、ユウマも笑う。


「あはは、これは負けてらんないな!」

 ユウマは、未だに惚けている雑魚ゴブリンの胸部に刃を突き刺し、声を荒げた。


「往くぞ、クロエ!」

「ぶるるる!」

 人馬は敵陣を突破する。高所から飛び降りたはずのクロエは何事もなかったかのように再加速し、ゴブリンの群れに突っ込んでいった。


 その圧倒的な質量を前にゴブリンなど無力だ。その馬体に触れれば棒切れのように吹き飛ぶだけ。よしんば避けられたとしてもその後にはユウマが振るう白刃が待っている。


「ぎひぃ――ッ!」

「げげ――ッ!!」

 頼るべき頭目(リーダ)を倒され、ゴブリン達は恐慌に陥る。奴らはユウマたちから背を向けると蜘蛛の子を散らすように潰走を始める。


 恐怖の根源たる<騎兵>から少しでも遠ざかるために――。


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