第二走 とりあえず、突っ込め!

 街道を歩く。広大な大自然の中、カッポカッポと牧歌的な音が響いている。


「……もしも、これが夢じゃなくドッキリでもなく……」

『残念なことにね』

「そう、残念なことに、本当に、万が一、異世界転移していたって場合だけど……」

『うん』

「……クロエが一緒でよかったよ」

 ユウマはそう呟いて、首筋を叩いた。


 見渡す限りの緑の絨毯。よほどの僻地に行かない限り見られない大自然だった。ここがファンタジー世界でなく、日本のド田舎だったとしても熊などの野生動物に襲われる可能性だってある。


 ドッキリだったとしても、結構、危険な状態だと思うのだ。


「でもさ、クロエが居るなら、何とかなりそうだと思ってる」

 しかし、ユウマは一人じゃなかった。


 頼もしい相棒クロエ号がいる。


 クロエは、元々中央で活躍した競走馬だ。いくつかレースに優勝し、重賞レースに出場した経験さえ持っている。例え獰猛な肉食動物に襲われたとしても、彼女さえいるなら間違いなく逃げ切れる。


『私も同じ気持ち……』

 クロエは呟いて、黒目がちの大きな瞳を瞬かせる。


『か、勘違いしないでよね。私、キャンプの経験とかないから、その辺の心配をしていただけだもの……私、こう見えて箱入り娘だし』

「まあ、競走馬だからね……」

 クロエは、GI馬の父<ステイゴールド>と牝馬重賞<マーメイドステークス>を制した牝馬<シルクダイアモンド>の子という血統馬(エリート)である。


 幼少期はもちろん現役時代に至るまで、それはそれは大事に育てられてきたはずだ。厩舎から競馬場までの移動はもちろん、施設間の移動だって専用の輸送車で送り迎えされている。


 当然、野外で一夜を明かした経験などあろうはずもない。


「まあ、俺もそんなに経験はないけど……」

 残念なことにユウマにだって野宿の経験なんてない。学校行事で火起こしをしたことがあるぐらいである。そんな自分が本格的なサバイバル生活を営めるとは到底思えなかった。


『と、とにかく水よ。水を確保しないと……』

「確かに!」

 人間なら二、三日食べなくても平気である。しかしクロエの場合、そうはいかない。馬は繊細な生き物なのだ。


 特に水の確保は絶対だ。馬の飼育には大量の水が必要だった。彼らは一日に三〇リットル近い水を飲む。人里は無理でも、綺麗な小川ぐらいは見つけてやらなければすぐに脱水症状を起こしてしまう。


『ユウマ、どうしよう。考えれば考えるほど不安になってくるわ……』

「だ、大丈夫だ、クロエ! ポジティブシンキングだ。プラスな要素を探そう!

 太陽の高さからしてまだお昼だ。日の入りまで五時間くらいはあると思う。途中で休憩を挟むにしても君の足なら三〇キロくらいは移動できる。

 それに石畳の道があることから、無人島というわけでもない。車がすれ違えるほどの広さがあるならそれなりに人の行き来があるはずだ。

 それなら人が一日に歩ける範囲内に宿場町か、少なくとも野宿するのに適した場所があるはず。だから大丈夫! 大丈夫だって!」

『う、うん、そうだよね、ありがとう、ユウマ……』

 ユウマが自分に言い聞かせるように希望的観測を口にすると、クロエも徐々に落ち着きを取り戻す。


 丁度そんな時――


「誰――助け――ッ!」

 遠く悲鳴が聞こえてきた。声の聞こえた方角に目をやるが、その先には何もない。


「空耳かな……クロエ、どう思う?」

『待って……』

 クロエが長い耳をぴんと立てる。


『聞こえたわ、多分、人の悲鳴……金属がぶつかるみたいな音もする……』

 黒毛の愛馬が首を振り返る。


「クロエ、離れよう。反対側に行けば」

『いや、近づきましょう。これはチャンスよ』

「いや危険すぎるって」

 確かに現地住民に接触出来るまたとない機会かもしれない。しかし、クロエが確認した限り争っているようなのだ。

 口喧嘩程度なら問題ないが、殺し合いの真っ只中という可能性もゼロじゃないのだ。巻き込まれ、危険に晒される可能性は十分に考えられる。


『近づかなきゃダメな気がする』

「なんで」

『野生の勘よ!』

「今さっき自分のこと箱入り娘って言ったじゃん!」

『うるさいわね、細かい事ばかり気にしてたら将来、大物になんてなれないわよ!』

 言うが早いか、クロエは走り出してしまい、ユウマも慌てて腰を落とし、バランスを保つ。


 速度はどんどんと高まり、速歩はやあしから駆歩かけあし――そして最高速であるギャロップ――襲歩しゅうほへと変化する。


「ちょと飛ばしすぎだって!」

 サラブレッドの最高速度は時速七〇キロメートルにも達する。今、クロエ号の速度はそれに近い。


『ごめん、でも、そんなに速く走ってるつもりはなくて』

 クロエが言う。


「まあ確かに……そんなに揺れてないんだけどさ……」

 あまりの速さに振り落とされるんじゃないかと不安になったユウマだが、実際には速歩ぐらいの揺れしか感じられなかった。何なら喋る余裕さえあるほどだ。


 いや、実際にはかなり揺れているのかもしれない。しかし不思議な事にあまり負担を感じないのだ。


 ――まるで、一つの生き物になったみたいな……。


 妙な万能感が体の内からふつふつと沸き上がってくる。


『速度、上げるわよ!』

 頬を叩く風、視界から流れては生まれる緑の絨毯、乗馬が大好きなユウマも徐々に楽しくなってくる。


 馬であるクロエは当然ながら、ユウマもまた乗馬が大好きなのだ。これだけ気持ちよく走れることなんて今までに一度もなかった。


「ははっ、すげー!」

『ほんと最高!』

 ユウマが思わず快哉を上げ、クロエも楽しそうに嘶いた。


 疾駆する。空気の壁を突き抜けていく感覚。無くしていたパズルのピースを見つけ出した時のような万能感。何で今まで見つけられなかったのかというちょっとした後悔。


「俺が最強だ―!」『私は最速よー!』

 笑う、走る。飛ぶように走る。滑るように奔る。まるで根拠のない自信を叫ぶ。


「やばい、今ならここで踊れる!」

『危ないから、走っている時に踊らないでよ!』

「大丈夫、ダンスは苦手だから踊らない!」

『じゃあ最初から言わないでよ!』

 くだらないやりとりさえ楽しく感じる。まるで自分がプロの競馬騎手――いや、それ以上の存在――になったかのような錯覚に酔いしれる。


 万能感を味わうこと三分。小さく人だかりが見えてくる。


 馬車、叫ぶ少女、倒れた男性。それを取り囲む、人型の群れ――


「クロエ!」

『分かった、速度を落とすね』


「……あれ、やっぱり……まさか……?」

 揺れが収まってくると観察に力を入れる。徐々にクリアになっていく視界。幌の付いた馬車を取り囲む子供は何と――自分の眼を信じるなら――緑色の肌をしていた。


「ゴブリン?」

 長い耳と大きな鉤鼻、ぎょろりと飛び出した眼球、頭皮にあるはずの髪はまばらで獣の皮らしきものを腰に巻いていた。


『あ、知ってるわ。ゲームに出てくるモンスターでしょ? それが何でここにいるの?』

「いや、ゴブリンはファンタジー世界を代表する雑魚モンスターだからいいとして……」

『要するに……敵ね?』

「物分かり良すぎ!」

 二人がそんな会話を交わしていると、徐々に声が聞こえてくる。


「ギギィー!」「ぎゃぎゃ!」

 ゴブリン(仮)は、少女を取り囲みながら愉快そうに鳴いて――否、嗤っていた。


 耳障りなその嘲笑の先には二人の人間。一人は仰向けに倒れた男性、腹部からナイフの柄が生えている。

 そして倒れた男性と彼を庇うように、ゴブリンたちに立ち向かっている美少女。


「この! くっ!」

 少女は、鮮やかな金髪を振り乱しながら、手にした細剣(レイピア)を振り回していた。


「クロエ、助けよう」

『いいけど、急にどうしたの?』

「チュートリアルだ!」

『なに、それ、美味しいの?』

 ユウマは、クロエと意思疎通が出来るようになった時点で、自分が異世界に転移したのだと思っていた。


 騎乗中の妙な万能感、更に目の前にはゴブリン、助けを求める金髪美少女。これが物語の導入部分なのだとしたら、これこそがチュートリアルの合図に違いなかった。


 異世界転移した主人公は、まず雑魚っぽい敵と戦う。そして助けた現地人から転移先の世界についての情報を得つつ、交友を深め、生活基盤を築くことになる。


 そして、最も重要なのが、主人公が最初に助ける美少女は、八割がたヒロインとなるという事実だろう。


「ある意味で美味しい! 戦うと多分、現地人と知り合いになれるし……」

『確かに命の恩人なら多少、怪しくても無下にしないわね……じゃあ、戦うわ!』

 ユウマたち声に反応し、ゴブリンたちが一斉にこちらを向く。醜悪な容貌に、殺気だった眼光、凶暴な肉食獣めいた唸り声――


「いやいやいや! やっぱ無理だわ!」

 で、すぐに怯む。もちろん、チュートリアルなんてのはゲームの中だけの話だ。緑色の人型が、本当にゴブリン――魔物――だった場合、きっと命懸けの戦いになるだろう。攻撃を受ければ傷を負い、致命傷を負えば死んでしまう可能性さえあった。


「クロエ、助けるだけにしよう! 隙をみて、ゴブリンからあの子を助け出して、そんでもって逃げるんだ!」

『オッケー、任せて!』

 クロエがいななき、急加速する。


「え、何でそこで意気揚々と速度上げるの!? 馬って臆病な草食動物だよね、クロエさん、クロエさーん!?」

 迫るモンスターの群れ。いや、どちらかといえば近づいているのはこちらのほうだ。


『血が滾るわね、ユウマ!』

 その一言で恐れがどこか遠のいた。

 蹄が大地を蹴り上げる。

 その度に速くなる。

 その度に強くなる。


 そして、速いは強い。機動戦の基本原理。それに従えば、ユウマたちはこの場の誰よりも強いことになる。


「とりあえず――」

 ユウマたちは今、圧倒的な万能感に包まれていた。それが常ならば絶対に選ばないはずの蛮勇を引き出してしまった。


「突っ込め!」

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