第116話? 蛇足的なエピローグ、あるいはプロローグ

※サポーターさん限定で出した話を少しだけ投下。なろう版にも載せる予定です。


◆◆◆


「あれ? 瑞穂は?」

 俺は台所に立っている母さんの背中を見て、首を傾げた。

 辺りにはカレーのいい匂いが広がっていて、ダイニングテーブルの上に並べられた皿などを見ると、夕飯の準備がほとんど終わっていることが解る。でも、そこにあるのは三人分だ。

 母さんと父さん、俺と妹の瑞穂の四人家族なのに。

「ああ、あの子はお友達と遊びに行くって言って出かけたわ」

 少しだけ困ったように眉根を寄せる母さんは、ぶつぶつとさらに続けた。「いくら夏休みだって言ってもね、晩ご飯の時には帰ってきて欲しいんだけどねえ」

「遅くなるようなら迎えに行くって言ってある」

 ダイニングの椅子に座っていた父さんが、眉間に皺を寄せつつ日に焼けた額に手を置いた。「こんな田舎じゃ遊びに行った帰りが危険なんだ」

 父さんもそれに引き続き、ぶつぶつと小声で何か漏らしていたが、その右手の中には軽トラの鍵がチャラチャラと音を立てて転がされていた。もうすでに、迎えに行く準備は万端らしい。

 我が家は農家だ。家の周りには民家と畑とビニールハウスくらいしかない地域。農道が多いから街灯なんてものはほとんどなく、陽が落ちたら父さんが軽トラで瑞穂を高校まで迎えにいくことが多かった。


 まあ、俺は男だから陽が暮れても放置されていたが。


 俺はテーブルについて、カレーを食べながら窓の外を見る。すっかり窓の外は暗くなっていて、少しだけ瑞穂のことが心配になった。

 というのも、昨日の夜、俺が自分の部屋でゲームしているところに瑞穂がやってきて、こぼしていたからだ。


「肝試し?」

 俺はパソコンの前でそう訊き返した。ちょうど、ネット対戦が終わって一休み中だったのだ。

「うん。怖いから行きたくないんだけど、行かないと弱虫って後でいじられるから」

 ペットボトルのジュース片手にやってきた瑞穂は、床に腰を下ろしてため息をついた。昔から気の弱いところのある妹は、友達に誘われると断ることができないようだ。

「じゃあ、体調不良になればいいじゃん。俺、お前が熱出して唸ってるって嘘ついてやんぜ?」

「んー……、嘘、苦手なんだあ」


 だろうな、と思った。

 上手に嘘がつける人間だったら、こんな風に悩んだりはしない。妹は何でも顔に出るから、周りも揶揄って遊ぶのだろうと思う。

 高校一年になった妹は、最近は俺と会話するのも恥ずかしくなったのか、妙に反発してくることが多い。だが、こうして久しぶりに素直に弱音を吐いているということは、よほど肝試しとやらが厭なんだろう。可愛いところもあるもんだ。


「だってさ、肝試しの場所、『例の場所』なんだよ?」

 唇を尖らせた瑞穂は、ペットボトルを弄びながら言った。

「例の場所?」

「ほら、殺人事件があった場所。未成年が起こした事件だったからニュースじゃあまり詳しく報道されなかったけどさ、この辺じゃ有名じゃない?」

「あー……」


 俺はそこで低く唸り声を上げた。

 確かにそれは有名だった。弟が兄を刺し殺したとかいう、この長閑な田舎町では絶対にあり得ないような事件。証拠隠滅がお粗末すぎて、簡単に警察に捕まったって聞いている。

「やめとけやめとけ」

 俺は座っていた椅子を回転させ、瑞穂に向き直った。「つまりアレだろ? 死体の発見された川に行くってことだろ? お盆の鉄則は水辺には近づくな! だからな? お前、下手に近づいたら水の中から手が伸びてきて、引きずられるぜー?」

「やめてよ!」

 ぶるりと肩を震わせた瑞穂は、本気で怯えたように見た。


 ……のだが。


 結局、行ったのか。


 俺はカレーとサラダを食いつくした後、椅子から立ち上がって少しだけ考えこんだ。そして、「ちょっとコンビニ行ってくる」と言い残して家を出たのだった。


 自転車を走らせること、十五分。現在、高校のパソコン部に所属して運動らしい運動をしていない俺には、蒸し暑い中、自転車で移動するだけで充分な運動量である。

 それと、農道を走っていると蚊柱に突っ込むことがあってもの凄く不愉快。何でこんな夜中に出かけなきゃならんのだ、と無駄にイラつきながら『事件現場』へと向かう。

 いや、妹たちが肝試ししているとは限らないけどな?

 でも、こんなこと、父さんたちには言えない。何しろ、こんな土地に住んでいるせいか、父さんたちは迷信を信じているというか何と言うか。気軽な感じで事件現場に肝試しに行ったなんてことを知られたら、すげえ勢いで瑞穂は怒られるだろう。


 ついでに、俺が事前にそれを知っていたと解ったら、俺も一緒に怒られる。どうしてとめなかったんだ、って。理不尽の形が目に見えるようだ。


 だから、バレないうちに連れ戻しておきたい。

 まあ、いなけりゃそのまま帰ってくればいいし。


 いなけりゃいいな。うん、いないはずだ。


 と思ったが、いた。

 暗闇の中で見えるのは、懐中電灯らしき明かりが踊っている様子だ。まだ一キロは先だというのに、例の場所――古ぼけた橋の辺りで、いくつかの明かりが挙動不審な動きを見せている。一体、何人で肝試しに来てんだよ、とうんざりしながらペダルをこぐ足に力を入れた。


 瑞穂、帰るぞー!

 と、言いたかったが言えなかった。

 というのも、近づくにつれ、叫び声みたいなものが聞こえてきたからだ。懐中電灯の――スマホかもしれない――明かりが変な動きをしていたのは、数人の人間がそれを持って走っていたからだ。

 緊張感のある笑い声も聞こえた。でもそれは面白くて笑っているわけじゃなくて、怖くて、どうしたらいいのか解らなくて混乱しているからだということも解った。

「ヤバい! マジヤバいよ!」

「どうすんの、どうしたら!?」

「だって! こんなことになるなんて思わなかったし!」

「あんたが悪いんじゃん! 流れたクロックスを取りに行けなんて言うから!」

「こんなに深いなんて思わないじゃん!」

 橋の上に並んで停められている自転車。橋の上に俺も自転車を置いて下を覗き込むと、川岸の辺りに歩いて行ったらしい少女たちが騒いでいる。

 しかも、笑っていた誰かが泣きだす声も響いてきて、何かとんでもないことが起きているのだと気づかされる。


 あれ、瑞穂は?


 俺は眉根を寄せながら橋の下に大きな声を投げつけた。

「おい! どうした!?」


 急に響いた俺の声に、少女たちがさらなる悲鳴を上げた。でもすぐに、彼女たちの一人が助けを求めてくる。

「友達がおぼれて! 川に落ちて! 助けてください!」

 混乱しているような声。そして、暗くて何も見えない川。頭上にはうっすらと月が姿を見せていたが、雲も出ていて明るいとは言い難い。

 マジかよ、と心臓が冷えた気がした。

 そして、すぐに彼女たちの方へ走る。俺はポケットからスマホを取り出し、川べりに行くまでに何とか明かりをつけようとしたが、すぐにそれどころじゃなくなった。


「瑞穂は? おい! お前ら、瑞穂の友達か!?」

「え?」

「何で? 瑞穂のこと」

 少女たちの間に困惑が走ったが、すぐに辺りに「ばしゃり」という音が響いて皆の視線がそちらに向く。

「瑞穂が川に落ちて」

 と、誰かが言った瞬間、少しだけ川面が月明りで照らされた。不自然に波立つ川面と、誰かの手がそこに見えた気がした。

「警察呼べ!」

 俺は思わず自分のスマホを一番近くにいた少女に押し付け、誰かが溺れているらしい方向へ走り出した。

 そう言えば最近、雨が多かった。いつもだったらそれほど水の量はない川なのに、今日は珍しく流れも速いようだ。俺は警察を待ってる場合じゃないと思って、川の中に足を進めた。


 学校の授業でやる水泳は好きだった。泳ぎはそれなりに得意だという意識があったから、自然と動いてしまったのだ。無謀だなんて考えもしなかった。

 そして、誰かが溺れている方向へ向かっている途中で、足元ががくんと落ちた。地面に足がつかない。そして、あっという間に下半身が水の流れに持っていかれた。

「瑞穂!」

「……お、に……」

 妹の必死な声が聞こえた気がしたのだが。


『餌だ』


 誰かが言ったような気がした。

 俺はいつの間にか、完全に水の中に引きずり込まれていた。ヤバい、溺れる! そんな恐怖もあったが、どこか現実味がなかった。というのも――。


『喰い尽くせ』

 どこかぼんやりとした声がさらに響いたからだ。幻聴か、それとも――幽霊? 殺人現場なんだ、幽霊の一人や二人、出てもおかしくない。


 だが、俺は思うのだ。

 幽霊より人間様の方が強いんだ!

 これは俺の信条である。幽霊とかオカルトとか、正直に言うと俺は信じていない。いや、万が一に実在したとしても、幽霊より人間の方が上の立場だと思うのだ。幽霊の癖に人間様を引きずり込もうなんて、ふてえ野郎だ! そう思って、俺は水の中で暴れた。

 俺は今、妹を助けるのに忙しいんだ!


 必死になって泳ごうとしていると、瑞穂の身体がすぐ目の前に現われた。今にも水の中に沈んでいこうとしている妹の身体を抱え込み、川岸に逃げようとする俺。俺、今、めっちゃ格好いいことをしている。妹を助けるという、ヒーロー的な行為を――。


『餌だ』


 だが、もうすぐ川岸にたどり着くというところで、俺の足が何かに掴まれた。何か――いや、幽霊じゃない、きっと草だ。そう思い込もうとしたが、それは明確な意思を持って俺の身体を水の中に引っぱり、俺の口の中に水が流れ込んできて。


 くっそ、舐めんな!

 さらに今まで以上に藻掻き、川面の上に顔を上げようとした。


 何かが俺を『喰おう』としているような感覚。

 そして幻覚?

 どこから出現したのか、目の前に大きな口がある。まるで巨大なサメのような、細かい牙の並んだ口。あり得ない。これは夢なのかもしれない。

 多分、俺は混乱した。だから、目の前に現われた何かに嚙みついた。喰われるくらいなら俺が喰う、みたいな――意識の混乱。明滅する光。


 そして、闇が訪れた。


 恐ろしいまでの静寂と、暗闇。


 嘘だろ。まさか。死んだ。死んだ?


 走馬灯。さっきのが走馬灯? 化け物に襲われるような幻覚と、それから。


 俺はそこで、目を開けた。天井が見える。見たことのない天井。そんなアニメがあったよな、とかぼんやり考えながら、細かい金色の模様の入った白い天井を見つめ、病院にしては随分と立派な……と思いながら咳き込んだ。

 まるで、初めて呼吸するかのような喉の渇きと、乾燥した空気が肺に流れ込んでくる感覚。身体を起こしてみると、自分がベッドに寝ていたことに気づいた。白い掛布団は随分と薄く、布団というより単なるシーツみたいだ。

「どこだここ」

 俺は思わず辺りを見回したが、天蓋付きのベッドとアンティーク調の家具に驚くよりも先に、自分の声にびっくりした。


「何だこれ」

 俺はもう一度、いつもより高い声を吐き出した。女の子の声だ。俺の喉から女の子の声がする。それに、見下ろした先にあるのは――ささやかだとはいえ、見間違えようのない双丘――つまり、胸の膨らみがあった。

 そうか、夢か。

 俺は自分の胸を揉みながら考える。凄くリアルに感じるが、どうして夢ならもっと巨乳にしてくれなかったのか。これってサイズはいくつだ、と首を捻っていると、ドアがノックされる音がして誰かが入ってきた。

「沈黙の盾様、身支度をさせていただきます」

 誰か――栗色の髪の毛をきっちりと後頭部にまとめた、十代後半くらいの女の子だ。黒と紺色の中間、みたいな地味なドレスに身を包んだ少女は、慣れた様子で俺の方に歩いてくると、手に持っていた小さな木製の桶をサイドテーブルに置いた。顔を洗えと言っているのだろうか。

 っていうか、何だコレ。夢はいつまで続くんだ?

 俺は困惑しつつ、彼女に訊いた。


「あんた、誰?」


 沈黙の盾が沈黙を破った。

 そんなことを言われて大騒ぎになったのは、それからほんの少し後のこと。そして、リヴィアとかいう神具と会って、俺が色々好き勝手に喋っていたら「騒音の盾」と呼ばれることになるのもまだ先の話。

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