第113話 幕間 17 メルキオーレ
私はただの記憶だ。
私の血を引いた人間がただの記憶として植えつけられ、次の世代へと受け継がれていく。
その長い時間の中で、私の力に同調する能力があるもの、そして呪いを引き出してくれる魔道具、呪具が傍にあること、これらの条件が重なった時の奇跡。それがあの二度とない好機だったと考えているが、私はそれを生かせなかったのだ。
通常は、ただ曖昧に私の意識に似たものが一族の少年――オルフェリオ・ロレンツィの中に浮遊しているだけだ。
少年の意識が強すぎて、私が周りを見ることができるのは本当に稀で、さらに意識に似たものがこうやって思考力を持つことも、外界から何か影響を受けなくてはできないことだった。
だから、その肉体を乗っ取ることのできたのは素晴らしい好機であったし、それが最終的に潰されたことは――また長い時を一族の血の中に隠れ住むことを意味していた。
ただほんの僅かだが、あの神具たちとやり合った直後から、少しだけ自分の呪いとしての力が弱まった気がする。元々、神具と呪具の相性は悪いのだから、これも仕方ない流れなのだろう。
あとどのくらい、私はこの世界に呪いとして存在していられるのか。もしかしたら、私が消える日も遠くないのかもしれない。
だが――。
この存在が消えたとしても、もうどうでもいい、という感覚もある。
誰かの肉体を奪わない限り、私はメルキオーレの知識を利用して呪具を造るのができないのだ。それが難しいと理解してしまった今、私は何故この世界に存在しているのかという疑問がわく。
メルキオーレが望んだことは――。
人間を殺し、その肉体を使って呪具を造ること。殺す相手は魔力が強ければ強いほどいい。そして、魔力の源でもある心臓は、かなりいい呪具を造り出してくれる。人間一人から一つの素材しか採取できないというのは、かなりコストが悪いとも言える。
だが、人間を殺すのは……快楽につながるのだから、別にコストなど考えなくてもいいはずだ。結局のところ、自分の欲望が全てであるのであって、理屈っぽい考えをこねくり回しても意味がないのだ。
命乞いも、殺されると解って絶望するその瞳も、解体される時の内臓の色でさえ。
何もかも美しいと思う。
それを見下ろす時は、いつだって自分が『支配神』であると実感できた。ただの人間が、神に近づくことができたのだ。
ただただ、心地いいと感じるあの瞬間を、心から愛している。
『……だから、私はただの記憶であり、呪いによって存在しているだけの無力な男だというのに』
そして何の因果なのか、また私は無理やり呼び出されることになった。
あの老人はかなり魔力が強く、どことなく私に通じる何かを感じさせられる。彼の身体を乗っ取ることができたら楽しかっただろうに、と思えるくらいには気に入っている人間でもある。
彼がまた魔法を使って私を呼び出したことで、また少し呪いの力が傷をつけられる。力を失う。終わりが近づいてくる。
恐ろしくはないが、寂しくはある。
『しかし、これは一体、どういう状況だ』
私は目の前に立つ少年を見て、そっと首を傾げた。呪具に魔力を吸い取られた少年――オスカル・ファルネーゼもまた、呪具によって魔力を傷つけられた人間だ。だから、悪しきものに付け入られる隙はある。これはきっと、少年が生きている限り、死ぬまで続くだろう。
黒髪の少年は幼い顔を笑みで歪め、首を傾げたまま半月刀を喉に当てながらこう言った。
「あなたは、だぁれ?」
『メルキオーレ・ロレンツィ』
「え?」
『……の、記憶だ』
「記憶?」
『逆に訊こう。お前は誰だ?』
そう問うと、少年は妙に軋んだような笑い声を立てた。
「あなたがメルキオーレ様なら解るはずだわ」
『何?』
「だってわたしは、メルキオーレ様に殺されたんだもの」
――なるほど?
私はそっと目を細め、辺りを見回す。
この奇妙な状況を見守っているのは、以前見た連中だ。老人の他に、神具や神具の主、オルフェリオの主人となるだろうラウール。巨大な使役獣もいた。
そして、私が造った魔道具――戦闘用の呪具も。
「おじいさま、これ、どうしたらいいんですか?」
困惑したように神具の少女が使役獣の背中に乗ったまま顔を顰めている。
老人はそれを受けて、「放っておいたら潰しあってくれんかのう」と他力本願な言葉を吐き、神具の主はその老人を睨みつけている。ラウール殿下は呆れたように彼らを見た後、面倒くさそうにガゼボのベンチに座って観客と化していた。関わることを諦めたようで、ベンチの背もたれに身体を預けて足を組み、勝手にやってくれと言わんばかりの態度だ。
だが、これなら私が多少暴れても大丈夫だろうと思われる面々。だから、私はオルフェリオの魔力を借りて、魔法を使う。ありがたいことに、オルフェリオはなかなかの魔力の持ち主だ。
だから、簡単に少年の手の中にある半月刀を奪うことができた。
私が遥か昔――若い頃に造ったものとはいえ、惚れ惚れするほど美しい武器だ。内包する魔力を放って銀色に輝いている。
その柄を握り、そっと息を吐くと不満げな吐息が目の前で聞こえた。
「駄目よ? それは返してもらいたいの」
顔を私に突きつけるようにしてオスカルが楽し気に笑い、手を伸ばしてくる。しかし、私はそれを振り払い、後ずさった。
『これは私が造ったものだ。だから私のものなのだ』
「あら、それはわたしの右腕よ? だからわたしのものなの」
『右腕』
――ああ。
私はそこで、オスカルの中にいるであろう『誰か』に見当がついた。
だから、わざと煽り立てるように嘲笑し、持っている剣先を少年の喉に向けた。
『名前は思い出せないが、私が殺した女だな』
「思い出せない?」
そこで、オスカルの顔から笑みが消える。
『ああ、私はたくさんの人間を殺した。その中の一人であるということ以外、何の意味もない。記号の羅列のようなものだよ。並んでいれば美しい、ただその一つだけ並べても美しくも何ともない。そうは思わないか?』
「それでも、わたしは素晴らしい魔道具になったわ」
――奇妙な自尊心だ。
オスカルの中にいる少女の魂は、きっと震えているだろう。怒りだろうか、失望だろうか。私を睨む双眸は美しいが、それだけだ。
殺してきた人間の中の一人。ただそれだけ。
それでも、私のために命を捧げてくれた、貴重な人間であったのは間違いない。
「わたしだから! わたしだからそうなのよ!? わたしはメルキオーレ様の力になったの。美術品だったの! メルキオーレ様はわたしにとって特別で、誰にも渡したくなかった。それなのに、彼はわたしをここに置いて学園を出て行ってしまった。それがどんなに悔しかったか解る!?」
『解らんな。死体は死体であって、他に価値はない』
「違う! わたしは特別だったのよ!? メルキオーレ様は言ってくれた。わたしの死体を解体しながら感謝するって言ってくれた!」
『誰にでも言った。ただの形式的な言葉だよ。君の犠牲に感謝する。君の命は美しい。誰にでも言った』
「嘘よ!」
『うるさい女だな。もう一度、殺してもらいたいのか』
突きつけた半月刀をさらにオスカルの喉に近づけると、僅かにその喉の薄い皮膚が切れて血が流れ出るのが見えた。
それと同時に、神具の主の青年が叫ぶ。
「下がれ!」
『お前こそ下がれ。これは私の獲物だ』
私は青年を見ないまま、オスカルの顔を覗き込みながら笑う。『また殺して欲しいか? その肉体はお前のものではないが、望むなら解体してやろう。痛みは快楽だ。二度味わえることを感謝しろ』
「やっぱり放ってはおけませんよ」
そこで、神具の少女が召喚獣の背中から飛び降りて、我々のすぐ近くに歩み寄ってきた。自然と、少女の主の青年もそれに並び、私とオスカルに割って入ろうとする気配を漂わせる。
「仕方ないのう」
老人も頭を掻きつつそれに頷き、苦笑して見せた。「これ以上、その身体を傷つけるわけにはいかん。ちょいと参戦するかの」
老人が右手を上げて魔法を発した瞬間、オスカルの身体から『何か』が弾き飛ばされる。そして、オスカルは力なくその場に崩れ落ちたのだが、その足元には穢れの霧が生まれていて、その中に倒れこんだ少年の身体を包み込む。そして、神具の主である青年が少年を抱え起こした。
その隙に神具が短剣を抜き、素早く黒い霧を切り裂いた。
「はい、終わりです」
少女の流れるような動きは美しく、無駄はない。そして、霧が消えた後に小さな魔蟲石が転がったのを、嬉しそうに取り上げて無邪気に笑った。
「久しぶりの小遣い稼ぎですね」
「お主はマイペースじゃの」
「おじいさまに似たのかもしれません」
「心外じゃ」
「オスカル!」
緩い応対をしている二人を横目に、神具の主の青年は必至な様子でオスカルの顔を覗き込む。操られたことで魔力も失ったのか、少年の顔色は白く、息も絶え絶えといった様子でかろうじて目を開けるものの、すぐに閉じられてしまう。
それを見た青年は、そっと少年の身体を地面に横たえると、唸るように言った。
「面倒だから消し去ろう」
「え?」
神具の少女が困惑したように声を上げるのと、青年が右手を上げて神具を武器化するのが同時だった。
美しい剣。
呪具などとは比べ物にならない魔力の塊。
誰もがひれ伏すであろう、神による究極美の具現化。
青年はそれを手にすると、冷ややかに嗤うのだ。
「幽霊ごときに何ができる? 弟に傷をつけた罪を贖ってもらおう」
彼はそう言った瞬間に、軽く神具の剣を横に薙いだ。
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