第112話 あの人の血筋は絶やすべき

 茶が美味い。

 俺はダミアノじいさんと一緒に、食後のデザートタイムへとしゃれこんでいた。

 小麦粉、卵、牛乳に砂糖、バターに果実酒、ナッツを混ぜて適当に焼いただけのマドレーヌもどきが、結構美味い。こんなのを作れる俺、天才じゃないだろうか。前世じゃお菓子なんか作ったことなかったし。

 ソファに座って、もしゃもしゃとマドレーヌを食べるダミアノじいさんも、お茶を飲んで一息つき、静かな夜を楽しんでいるようだった。


 平和な夜である。

 何と言うか、俺の勝手な考えなのかもしれないが、これがずっと続いてくれたらいいなあ、という雰囲気なのだ。ゲームやアニメの世界だったら、物語が終わってその後の世界、という感じ。

 このまま何もなく幸せに暮らしました、エンド、という形に収まればいいと思っているが、そうは上手くいかないものだ。


 何の前触れもなく唐突に、俺のベルトの背中側にある短剣が震えた。

 えっ、と俺が手を背中に回すのと、ダミアノじいさんがソファから立ち上がるのが同時だった。


「リヴィア、解るかのう? 上で何かあったようじゃぞ」

「はい、行きます」

 俺は短剣を手に取り、目を細めてそれを見つめた。何が原因か解らないが、この短剣を『呼ぼう』としている誰かがいる。その呼び声に共鳴し、震えている。

 俺が『静まれ』と思いながら柄を握ると、その震えはやんだ。それはそうだ、今は俺がこの剣の主なんだから。

「あの魔道具が呼んでおる。こっちじゃ」

 ダミアノじいさんの動きは速い。じいさんは魔法を使っての移動だから、滑るように、そして飛ぶように進んであっという間に塔の外に出る。俺は魔法を使うのも面倒だから全速力で走る。身体能力が高いから、その方が楽だった。

 そして、俺の傍にいつもいてくれるケルベロス君も可愛らしい動きで追ってくる。子犬が走る姿はいつも愛らしい。


 そうして気が付けば、前方に銀色に光る魔道具――お掃除くんがカチカチと足をぶつけながら俺たちを迎えてくれていた。ダミアノじいさんを呼んだのはどうやらお掃除くんのようだ。

 そして、ケルベロス君は外に出たことで、その躰を子犬サイズから巨大な通常サイズへと変える。いつもの流れで俺がその背中に乗るのを確認したのか、お掃除くんは先頭を切って走り始めた。ケルベロス君はそれを追い、じいさんは俺たちの横を走る。

 目的地はすぐに解った。

 ガゼボ、だ。

 暗闇の中でもそこに人影があるのが解ったし、それが見覚えがありすぎる姿なのも一目瞭然。


「何があったんですか!?」

 俺がケルベロス君の背中に乗ったまま叫ぶと、そこにいた一人――ラウール殿下が安堵したように俺を見上げて笑う。

「それはこっちが訊きたい!」

 ――笑顔で言うことか、それ。使えねえ男だなあ、おい。

 俺が眉間に皺を寄せつつそう心の中で呟くと、まるでそれが聞こえたかのように彼が肩を竦める。

 ガゼボの傍に、ラウール殿下とブルーハワイが奇妙な緊張感を持ちながら立っている。その少し離れた場所には、オスカル殿下。

 だが、オスカル殿下の様子がおかしかった。

 足元から立ち上る黒い靄は、まるで魔蟲が生まれる時の様相を示していて、彼の表情はどこか虚ろだ。青白い顔色、荒い呼吸。

 それを見て、ダミアノじいさんが何か魔法を使った気配があった。

 ただ、俺はその方向を見ることができなかった。

 オスカル殿下が――いや、彼とは違う『何か』が言葉を発したからだ。


「……あの人の血筋は、絶やすべきでしょう?」

「お前は……何だ?」

 そう返したのはラウール殿下で、困惑の表情を見せるブルーハワイを庇うように足を踏み出す。

「さあ……何かしら」

 ふふ、と笑うオスカル殿下だが――どこか、女性的な動き、表情だ。ゆらり、とその頭が揺れつつも、形のいい唇が笑みの形を作る。どこか狂気を思わせる双眸と相まって、あ、これは触れてはいかんヤツ、と思わせた。

 それに、彼の手には奇妙な形をした細い剣があった。弓のように反り返った、半月刀のような武器。銀色に輝く、異様な力を持った美しい剣だ。

「メルキオーレ様の血筋って、あなた?」

 オスカル殿下の目はブルーハワイに向いたままで、首も傾げたままだ。隙だらけの動きで、攻撃を仕掛けたらそのまま受けてくれそうだ。戦い慣れていない人間のそれ。

「あなたは誰ですか? 私の先祖の名前をご存知で?」

 ブルーハワイが警戒したままそう訊くと、オスカル殿下はさらに笑みの色を濃くした。

「先祖。先祖、ね? メルキオーレ様が結婚して女に子供を産ませた? 駄目よ、それは駄目」


「導師……」

 そこに、どうやらダミアノじいさんが魔法で呼び出したと思われるリカルド先生の声が背後から響いた。顔を見なくても解る、困惑に満ちた様子。

「さて、どうしようかの? お主の弟じゃが、誰かに乗っ取られておるようじゃぞ?」

「……そのようですね」

 リカルド先生の声はどこか疲労感を漂わせていた。「しかも、それが女性らしいと考えるのは、少し厭なものですね」


 ……だろうな。

 俺は思わず目を細めてオスカル殿下を見た。

 うん、いくら美少年とはいえ、やっぱり見た目は男性なわけだ。それが、女らしい仕草で笑って見せると……ちょっと倒錯的です。何故こうなったし。


「もう一度、彼に会えたら訊いてみたいことがあったわ」

 手にした剣を弄びながら、オスカル殿下は続ける。「こんなに時が経ってしまった今、それはもう叶わないけど。でも、あの人の子孫に会うなんて、凄く嬉しい。それと同時に、とても悔しい。ねえ、あなたには兄弟はいるの? 全部殺さなきゃね? あの人の血は、根絶やしにするの。この、わたしの身体を使った魔道具で殺したい。ねえ、いいわよね? 大丈夫、あなたの犠牲は美しいわ」

「幽霊さんでしょうか」

 俺は思い切って、そう声をかける。相手は完全に頭の中がイっちゃった感じの声なので、正直、関わりたくない。でも、俺だってこの件に関しては部外者じゃないはずだ。

 それに、下手に長引かせない方がいい。

 こうしている間にも、オスカル殿下の足元から立ち上る靄はさらに黒くなり、まるで空気すら汚染するかのように広がっていくのだ。

 オスカル殿下の視線が、ゆっくりと俺に向けられた。

 首を傾げたままの、格好で。

「……あなたには感謝してる」

「え?」

「あなたは一番力を持つ『わたしの』魔道具を壊してくれた。そして、きっと……導いてくれた」

「導いた?」

「あなたが呼び寄せてくれたんじゃないの? メルキオーレ様の血筋。わたし、ずっと代わり映えのない毎日だったけど、急に何もかも動いたのよ。これって、単なる偶然ではないわよね? あなたが……人間ではないあなたが、導いてくれたわけじゃないの?」

 俺が眉間に皺を寄せ、何て返事をしようか悩んだ時、リカルド先生がため息をついて口を挟んだ。

「悪いが、その身体は返してもらおう。君が何者なのかはどうでもいい。ただ、その肉体は私の弟のものだ」

「厭よぅ」

 にいい、とその唇が歪む。「だって、肉体がないと殺せないじゃない?」

 辺りを漂う黒い気配が強くなる。オスカル殿下の足が、僅かに震えた気がした。おそらく、オスカル殿下の意識はこの状況に抵抗している。

「困ったもんじゃの」

 今度はダミアノじいさんが飄々とした声を上げる。「お主の殺意が、よからぬものを引き寄せておる。このままじゃと魔物化するぞい? わしらはそれを防がねばならん。お主がその身体を手放してくれれば、魔物化する前に速やかに眠りにつかせてやろう。そうでなければ」

「わたしを殺すの? できるものならやってみればいいじゃない。わたし、この身体ごと死んであげようか?」

 そう言って、オスカル殿下――いや、幽霊は持っていた半月刀を自分の首に押し当てた。


「面倒事は嫌いなんじゃがの」

 ダミアノじいさんは額に手を置き、そっと息を吐く。そして、その手を離したかと思えば、そっとブルーハワイの方へ向けた。

 ラウール殿下もブルーハワイも、この状況についていけず、ただ見守っているだけだった。それでも、ブルーハワイはカフェオレさんのせいで巻き込まれているんだと理解して、苦々しい表情をしていた。

 その彼に、ダミアノじいさんが魔法を放つ。

 何をするんだろう、と俺とリカルド先生が見守っている中で、ブルーハワイの身体に青白い魔方陣が浮かび上がり――。

 ブルーハワイの目が閉じられた。


『……だから、私はただの記憶であり、呪いによって存在しているだけの無力な男だというのに』

 ブルーハワイの唇が動き、苦笑が漏れた。

 ラウール殿下が「またこいつか」と顔を顰め、ブルーハワイ――カフェオレさんがそれに反応して肩を竦める。

『あまりこんなことをされると、呪いが壊れる。私は存在していられなくなるのだよ』

「大歓迎だ」

 すぐさまラウール殿下が呟き、完全同意の俺もそれに頷くしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る