第111話 幕間 16 幽霊少女

 時々、自分の名前を思い出せなくなることがある。

 最初はちょっと怖かった。自分が消えてしまう時がやってきたのか、と思ったから。

 でも、最近は何もかも忘れてしまうことを願っている。自分が殺されたことも、魂だけこの土地に縛られて動けなくなったことに絶望したことも、それで忘れられるならいいと思ってた。

 百年を超える時間をこの学園で見てきた。たくさんの学生が入学して、卒業するのを見守ってきた。

 でも、いつだって似たようなことの繰り返しだった。

 だから退屈で。

 何もかも面倒に思って、たまに嘘をついて遊んだ。嘘の中では、わたしは不慮の事故で死んだ生徒だったり、病気で死んだり、悲劇のヒロインのように姿を変えて伝えた。それに同情してくれるのが心地よかったし、それ以前に……自分が凄惨な死に方をしたという事実を忘れたかった。


「君の犠牲に感謝する。心から感謝する。これこそ、究極の愛と呼べるよね?」

 わたしの身体を切り裂きながら、溢れ出る血や臓物を愛し気に見下ろす彼のことを思い出す。

 究極の愛なんて、陳腐な響き。いつだって理性的な彼が、そんな言葉を口にするのが信じられなかった。

 それに、これが究極の愛、なんて随分と薄っぺらい行動じゃない? 愛ゆえに誰かを殺すなんて、その辺によく転がってる話だもの。平凡な話は嫌い。

 そう思った時に、わたしの恋心は消えたのかもしれない。憧れとか色々あったけど、結局はわたしも、上っ面だけの感情しか持てなかったんだろう。あの人を心から愛していたら、殺されることも嬉しく感じたかもしれないのに。


 いつものように、深夜、わたしは学園の中を歩く。

 ここ最近、わたしは自分が今、どこを歩いているのか解らなくなる時間が増えている。何のためにここにいるのか、目的を忘れてしまう。

 消滅が近い証拠なのかもしれない。

 わたしの心臓を使って造った、魔道具がこの世界から消えたから?

 わたしをこの世界に繋ぎとめていた力が消えたのかな。

 でもきっと、心臓ではない、他のところを使った魔道具は存在すると思うんだけど。


「綺麗な星空」

 わたしは今、研究棟の最上階にいる。窓から見上げる空には白や青の星が煌めいている。高いところは昔から好きだったような気がする。神様に近いところだから、だろうか。空の上に神様がいて、わたしたち人間を見ている――というのが一般的な考え方だし。

 でも、神様はわたしたちを見ているだけで助けてはくれない。

 人間が繁栄するのも、滅ぶのも、ただ見つめているだけなんだ。神様は生きることにも死ぬことにも平等だから、何があっても手出しはしない。


 そしてわたしは、視線を下へと向ける。ちょうど、中庭が見える位置だ。

 夜遅いから、当然だけれど生徒の姿はない。見かけたとしても、見回りの先生くらいだ。

 でも、奇妙なものがわたしの目に飛び込んできた。


 魔道具だろう、銀色の光。小さくてよく解らないけれど、虫みたいな動きをしていた。そして、本当に小さな魔蟲が生まれそうになるのを阻止するのも見えた。

 ふうん、便利ね。

 っていうか、何だか……あの人が造りそうな、気が。


 そう思った瞬間、ぐらり、と視点がぶれた。

 人間であったなら、気絶でもしてしまいそうなほどの感覚。

 悲鳴を上げたいくらいの激情。


 そして我に返ると、その銀色の光は中庭から消えていた。どこかに行ってしまった、と落胆にも似た感情を持て余していると、今度は別の動きが中庭にあった。

 見たことのある生徒がいる。二人連れの男の子の姿。

 魔法騎士科の少年で、わたしに接触をしようとしてきたはずだ。それに、その二人はあの銀髪の女の子とも顔見知りであったはず。黒髪の少年はラウール、青い髪の少年はオルフェリオ、確かそうだった。

 その二人は中庭の奥へと歩いていき、ガゼボへと向かう。いつだって前を歩くのは黒髪、後ろに付き従うのは青い彼。

 ガゼボの方へ目をやると、そこにも誰かの気配がある。

 それが誰なのか解った瞬間、わたしは窓から遥か下の地面へと飛び降りていた。


「お久しぶりです」

 ガゼボで待っていた少年がそう言ったのが聞こえた。わたしは彼のことを知っている。彼は例の魔道具をつけていた黒い髪の少年だ。銀髪の彼女に、彼が左腕につけている魔道具を壊して欲しいとお願いした相手。確か、名前はオスカル・ファルネーゼ。どこか冷酷な感じがする王子様、だった。

 でも、以前見た時よりもずっと明るい表情だ。魔道具に魔力を吸われていないせいだろう、この暗闇の中でも顔色のよさが見て取れる。穏やかな笑みが浮かぶと、以前感じた印象なんてどこにもなくて、幼げな少年にしか見えなかった。


「よう、体調はどうだ」

 と、ラウールが言って、慌てて口調を改めた。「敬語の方がいいですかね、殿下?」

 すると、オスカルが苦笑して首を横に振った。

「面倒なのでいいですよ、そのままで」

「そうか、助かる」

 ラウールは明るい無邪気さの漂う笑みで応えると、そっと首を傾げた。「で、呼び出してどうした? ヴィヴィアン嬢はいないのか?」

「ええ、今日は一人です。少しだけ、確認したいことがありまして」


 それほど近づかなくても、彼らの会話はよく聞こえた。それは、わたしが人間ではないからだと思うけれど。

 何故か、少し前から心が騒めく。何か厭な感じがした。


 ラウールが首を傾げ、一瞬だけ視線を青い髪の少年へと向ける。すると、オルフェリオも肩を竦めて見せる。


「魔力を上げるというか、引き出す魔道具ですが、有効に活用させていただきました。でも、そろそろ能力的に限界なのだろうと思っています。僕もヴィヴィアンも、完全に元通りまでには至っていません」

「……ああ、それで?」

「実は、ファルネーゼに持ち込んだ魔道具ですが、あれだけではありませんよね? 他にもあるという話でしたね?」

「ああ?」

「いくつか……その、対になっているだろうと思われる魔道具があったことに気づきました。一つでは役に立たないのではないかと思われるものも。これは僕だけではなく、リカルド先生やその師匠の老人も言っていたんですが。つまり、他にも……その」

 と、オスカルが困ったように視線を向けた相手。

 そこには、困ったように眉根を寄せる青い髪の少年がいた。彼――オルフェリオは、オスカルとラウールの視線を受け、気まずそうに視線を辺りに彷徨わせた後、観念したようにため息をついた。

「ええ、はい、あります」

「やっぱり」

「仕方ないですよね? 役に立ちそうなものだけは我が屋敷に残してあります。ファルネーゼに持ち込み、学園に買い取ってもらったものは保管するには問題のあるものが多いです。でももちろん、殿下に使っていただいた魔力補助の魔道具は、安全ですし問題ないですよ? 若干、力は弱いみたいですけど」


「……力が弱い?」

 ラウールが顔を顰めた。「つまり、もっと強力なものがある、と」

「あります。でも、それを放出したら悪用されそうなのと……肉体にかかる負担が大きいみたいなので怖いんですよ。過去に何人か、試して亡くなった人もいるみたいなので。そんなもの、持ち出すわけにはいきませんよ」

「どんだけ隠し持ってんだよ、お前のところは」

 ラウールが頭を掻きながら苦笑した。「全部手放すのは惜しいのか?」

「惜しいんじゃなくて怖いんです。人死を出したら責任問題じゃないですか。それが王家の血筋の方でしたら、戦争が起きますよ?」

「まあ、それもそうだが、本当にそれだけか?」

「惜しいのもありますけど!」

「ほらな」

 ラウールはくくく、と笑いながらオルフェリオの肩を叩き、小声で続けた。「でもまあ、お前の祖先ってのもすげえ男だな。そいつの造った魔道具の資料が残ってないのが悔やまれる。これは何回でも言うが、大量生産したら、お前の一族はもっと金を」

「やめてくださいよ」

 噛みつくように応えた彼は、乱暴にラウールの手を振り払った。「メルキオーレの負の遺産は、我々血筋の人間が保管するのが定めです。あの変人の名前はもう、歴史から消し去ります」


 ――メルキオーレ。


 わたしはそこで、天を見上げる。

 忘れてしまいたいのにどうやっても忘れられない、彼の名前。

 メルキオーレの遺産? 血筋?


「僕が無理なら、ヴィヴィアンはどうでしょうか」

 オスカルがそう言っているが、どこかわたしには遠く聞こえる。

 メルキオーレという名前を聞いただけで、心が動く。彼の言葉を思い出す。


 ――君の犠牲に感謝する。


「ヴィヴィアンは神に愛された一族で、おそらく僕よりも魔力の受け皿が大きいのです。ですが、まだそれほど……」

「ヴィヴィアン嬢か」

「それでも、躊躇いますね……」


 彼らの会話は続いているけれど、それが途中で消えた。全く何も聞こえてこない。その代わり、地面が揺れているのを感じる。


 メルキオーレの血筋。

 青い髪の少年がそうなの? あの人の子孫なの? 彼の魔道具を持っているの? それを買い取り? 何? どういうこと?


 それよりも。


 あの人の血を引いた人間がこの世界にいる。

 嘘でしょう。あの人が結婚したというの? そして子供を作った?

 そんな……平凡な人間の幸せを手に入れていたというの?


 あり得ない。許せない。絶対に許さない。彼は非凡であるべきで、そんな小さな幸せを手に入れるべきじゃなかった。いえ、結婚して子供を作ったのだってきっと、彼の目的のためなのよね? 魔道具を造るための、手段であって……結婚なんか。


 わたしはふと思った。


 この血筋は絶やさなければ。そうしなければ、わたしは『終わる』ことはできない。本当の意味での消滅なんて許されない。

 ねえ、そうでしょう、メルキオーレ様。あなたはわたしを殺した。だったら、今度はわたしがあなたの子孫を殺す。これで差し引きゼロ。全部終わる。終わらせなきゃ駄目。


 わたしは、わたしは、わたしは。


 学園の中に隠しておいた魔道具を呼ぶ。そう願えば、わたしの肉体の一部で造った魔道具が反応してくれる。そう、おいで、わたしの手の中に。わたしが使ってあげる。殺してあげる。血を与え、力を与えてあげる。

 足元が揺らぐ。

 黒い靄が立ち上る。

 わたしの身体を包み、力を与えてくれる。

 ああ、感謝します。感謝します、神様。


「あなたの犠牲に感謝します」

 わたしは――いえ、わたしが乗っ取った肉体の持ち主が言った。

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