第109話 初めて会った時から嫌いだった
「ちょっと、いきなり何を言うのよ」
ジュリエッタさんにしては珍しく、声が裏返っている。慌てたように俺を引き離そうとその手に力を入れるものの、俺の力はその辺の男よりずっと強い。すぐに彼女は呆れたように息を吐いて抵抗をやめた。
「本気です。本気で、結婚してください」
そう彼女の耳元で囁きながら、ちょっとだけ『いい匂いだなあ』と変態的な考えに陥った。何の花かは解らないが、華やかな香りが彼女の耳元、首筋に漂っている。
体つきは華奢で、女の俺でもすっぽりと腕の中に収めることができるサイズ。
俺が女でよかったと思うのは、こんな時だけだ。女の子に抱き着いても許される。
「リヴィア、全くもう」
彼女がくすくす笑いながら何か言いかけた時、開け放たれたままだった扉の方から、こんこん、というドアが叩かれる音が響いた。
すると、俺の傍で呆れたように立ち尽くしていたダフネが、息を呑んだ。どうやら俺が乱暴にドアを開けたまま、放置していたことに気づいたらしかった。
そして、彼女の密やかな足音がドアへ向かうのを聞きながら、俺はやっと顔を上げた。制服姿ではない、いつになくシンプルな格好の彼女。髪の毛すらも、いかにも休暇中といった緩さを見せている彼女だった。そんな彼女は困ったように笑い、首を傾げた。
「何かあったの?」
「あった……というか。ええ、まあ、ありました」
「とりあえず、座りましょう」
ジュリエッタさんが俺をソファへと促した瞬間、ドアの方へ行ったダフネが戻ってきて、困惑したように声をかけてきた。
「あの、ジュリエッタお嬢様」
そう言えば、誰か来客だったか、と俺とジュリエッタさんが思い出して彼女を見ると、さらにダフネの眉根が情けなく下がった。それを見て、ジュリエッタも同じように困惑した顔を作る。
「どうしたの? 誰が来たの?」
「それが、ヴィヴィアン様がお見えなのですが、いかがなさいましょう?」
そこで、つい俺たちはそれぞれの顔を交互に見やり、言葉を失う。
しかし、すぐにジュリエッタさんは気を取り直したように強気な笑みを浮かべ、まるで挑むような口調で言った。
「いいわ。中へ呼んでちょうだい」
「……急にごめんなさい」
意外なことに、部屋に通されたヴィヴィアンは神妙な顔つきで立っていた。何だか急に我に返ったような、微妙に気まずそうに視線を宙に彷徨わせ、そして思い切ったように言う。
「その、さっきリヴィアが走って行ったから、気になって追ってきたというか」
「え?」
「え?」
俺とジュリエッタさんの声が重なって、さらにヴィヴィアンが苛立ったように声を上げた。
「いきなり来たのは悪かったと思ってるけど、気になったから!」
……おおう?
俺は少しだけ目を細め、じっと目の前のヴィヴィアンを観察した。ここのところ、下手に一緒に会話するようになったせいか、今の俺は目の前にいる彼女のことを『淫乱ピンク』と頭の中で呼ぶより『ヴィヴィアン』と呼んだ方がいいのかと思うくらいには関係が進展している。
しかし、これはアレだろうか、ツンデレか?
ジュリエッタさんもツンデレだが、淫……いや、ヴィヴィアンもツンデレ属性を持っていたのかもしれない。
「わたしのことを心配して、ですか?」
そう確認するために訊けば、目元を赤くして「悪い!?」と怒るのだ。どうしたヴィヴィアン、何か悪いものでも食ったのか。
それとも、ファルネーゼに滞在中、何かあったのだろうか。心境に変化が起こるようなことが。
「あなたたち、仲がいいの?」
やがて、ジュリエッタさんが我に返ってそう訊くので、俺が「まあ、それなりには」と言いかけるも、俺の言葉に被せるようにヴィヴィアンが大きな声を上げた。
「いいわよ!」
そ、そうだっけ?
俺の背中が痒いような、冷や汗が流れるような感覚が生まれてもぞもぞする。
何だろう、俺の浮気がバレてしまったかのような、この胸の焦燥感。いや、俺はいつだってジュリエッタさん一筋だった。過去形だけど、ジュリエッタさんが一番だった。ヴァレンティーノ殿下さえいなければ、今頃はラブラブだった。ごめんなさい、嘘をつきました。
「いえ、ちょっと夏休み中に色々ありまして、少しだけ交流関係ができたというか」
俺があたふたしつつも、当たり障りのない程度に夏休みにあったことを説明していくと、ジュリエッタさんとダフネは不満げな顔ではありながらも納得はしてくれたらしい。
それに説明の流れで俺が神具であることも伝えた。どうせこれは、リカルド先生との婚約ともども、近々知れ渡ることだ。だからそれより前に伝えておきたかったことでもあった。
さすがにジュリエッタさんもダフネも、それを聞いたら俺に質問を投げかけることに集中して、ヴィヴィアンなんか放置して色々吐かされることになったわけだが。
「ちょっと、座りましょう」
色々話した後に、ずっと立ちっぱなしであったことを思い出して、ジュリエッタさんがソファに座るよう促してきた。そして、ヴィヴィアンにも少しだけ冷ややかな視線を投げ、片眉だけ上げて笑って見せる。こういうところは、やっぱり悪役令嬢っぽいな、と思ったりする。
「……あなたも座る? それとも、わたしなんかの誘いは迷惑かしら?」
「わたしは!」
カッとしたように一瞬だけヴィヴィアンの声が高くなるが、すぐにその表情は苦し気に歪められ、声も小さくなった。「お姉さまはいつだって上から目線よね」
「あら」
ジュリエッタさんの目が細められ、いかにも戦闘態勢に入りました、と言いたげな低い声に変わった。「もう、わたしはカルボネラ姓ではないわ。あなたにお姉さまと呼ばれるのはおかしいんじゃないかしら」
「ああ、そうですか、ジュリエッタ様」
俺の視線が、ジュリエッタさんとヴィヴィアンを行ったり来たりする。
ダフネはいつの間にか気配を消してお茶の用意をして、人数分のカップをトレイに乗せてテーブルに並べている。
っていうか、どういう状態だ?
俺はただ、ジュリエッタさんに会いに来ただけなんだ!
泣きつきたかっただけなんだ!
久しぶりに会って、再会の感動を伝えたかっただけなんだ!
「リヴィアは、ジュリエッタ様のどこがいいの? 性格が悪いじゃないの」
「何ですって? あなたに言われるほどじゃないわよ。あなたなんか、他人に取り入るくらいしか能のない女の子のくせに」
「はあ?」
「大体ね、あなたのやったことって厳罰に処されても文句は言えないことなのよ」
「解ってるわよ、覚悟の上でやったんだもの」
「どういうこと?」
身の置き場がないというのはこういうことか。
女同士の戦い、といった熱気が苦しい。俺は一体どうすればいいんだ。
一人でソファに座ることもできず、俺がその場で行ったり来たりを繰り返していると。
「初めて会った時から、嫌いだったのよ、ジュリエッタ様」
そう、冷たい爆弾をその場に落としたヴィヴィアンは、いつもの演技の可愛らしさなんかかなぐり捨てて、戦う女の顔をしていた。
さすがに直球でそう言われて、ジュリエッタさんが息を呑む。でも、負けてはいない。胸を張って睥睨するかのような目つきでヴィヴィアンを見つめ、唇を歪めるようにして言った。
「あら、わたしがあなたに何かしたかしら? 初めて会った時って、挨拶くらいしかしていないわよ」
「そう、忘れてるのかしらね」
ヴィヴィアンは軽蔑したような目で見つめ返し、薄く微笑む。「でも、わたしは忘れないから。言われた方は一生覚えているんだから。ジュリエッタ様、あなたが覚えていなくても、わたしはずっと覚えてる」
「あら、何のこと?」
「あなたはね、母とわたしがカルボネラ家に行って挨拶を済ませた直後、笑いながら言ったのよ」
「何を?」
「平民風情が大きな顔をしないで、って」
「何よそれ、そんなの当たり前のことで」
ジュリエッタさんの眉間に皺が寄り、小馬鹿にしたような笑みが口元に浮かぶ。それを見て、ヴィヴィアンの双眸に暗い光が灯った。諦めにも似た、暗い笑顔だった。
「そうよね。当然のことなのよね。貴族であるあなたにとって、わたしや母のことなんか、その辺のゴミと同じ。いつだって平民である立場の人間は、その程度の扱いしか受けられない。わたしだって、あなたがもっと違う態度だったら、今頃は」
「何よ、わたしのせいだって言うの?」
「鏡なのよ、知らないの? お姉さまって、ジュリエッタ様って意外と馬鹿なのね」
「何ですって?」
「人間づきあいは鏡なの。敵意を向ければ敵意が返ってくる。そんなの当然じゃない。だから、わたしはお姉さまの敵になったのよ」
ジュリエッタさんはヴィヴィアンのその攻撃的な言葉に口を閉ざし、何か考え始めてしまった。そして、目の前にいるヴィヴィアンのことを、不可解なもの、初めて見るような目で見つめ直したのだ。
そこでヴィヴィアンも、少しだけ我に返ったようだった。後悔したような目でジュリエッタを見つめた後、そっと俺に顔を向けて言う。
「どこがいいの? お姉さまって……本当に平民を馬鹿にして生きてきたような人なのよ? それなのに、今の現状ってその嫌ってた平民に助けてもらって殿下を取り戻したりする、本当に狡猾な人なんだから」
「いえ、それは」
俺は困惑しつつも言葉を探す。
平民に助けてもらって……っていうのは、ジーナやマゾ仲間たちのことだろう。確かに、苦境を切り開くために彼女たちに助けてもらったけど。
でも、ジュリエッタさんは悪い人じゃない。
それだけは俺にだって解る。
多少、上から目線に聞こえるような言葉を口にしたとしても、根は悪い人じゃない。本当は弱いところもある、普通の女の子なんだからな。誰だって間違うことがあるけど、反省したら行動を改めて巻き返しだってできるんだ。
だから。
「それでも、わたしはジュリエッタ様のことが」
「神具だと知っても、あなたを今までと同じ扱いをしてくれると思うの? あなたは人間じゃない。そして、お姉さま……ジュリエッタ様は差別するような人間なのよ」
「ちょっと!」
俺たちの声が交錯し、何だか訳が解らなくなってきていた。ダフネもさすがにこの状況に難しい表情をしたまま固まっていて、どうしたらいいのか解らないらしい。
「どうして、リヴィアはお姉さまがいいの!? わたしだったら、差別なんかしない。わたしだったら、リヴィアのこと、人間じゃなくても」
そう激情に突き動かされるように言ったヴィヴィアンの顔は、何だかとても必死に見えて。
っていうか。
どういう状況よ、これ。
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