第107話 成仏はできなさそうですか?

「あら、こんばんは?」

 幽霊少女は俺の声に反応し、ふわりと笑った。俺を認識した途端、少しだけそのぼんやりとした輪郭がはっきりしたようだ。それに、凄く浮足立ったような気配が伝わってきた。

「ねえ、あなたがやってくれたの? あれを壊してくれた?」

「解るんですか」

「そのくらいだったら解るわ」

「そのくらいだったら?」

 俺はそこで首を傾げた。

 考え直してみれば、この幽霊――少女の肉体の一部を使ったとかいう呪具は、オスカル殿下がつけていた。同じ学園内にいたのに、それに気づかなかったんだろうか。

 それに、ブルーハワイの身体の中にこの子を殺したカフェオレさんがいるってことも気づかなかったのか。でも、カフェオレさん、ただの記憶だって言ってたし、これは仕方ないのか。俺もブルーハワイに何も感じなかったしなあ。

 でもまあ、そんな何の力もないカフェオレさんがあんなことをできたのは、呪具の力が凄すぎたってことなんだろう。

 もし、この子がすげえ力を持っていて、ブルーハワイを取り巻く状況を見抜いてくれていたら今回の騒ぎも食い止められたかもしれない。

 まあ、実際にはそんなこと口にできないけれども。


 っていうか、どこまで話したらいいんだろう。

 ブルーハワイの中の記憶とやらについては、触れない方がいいかもしれない。

 俺だったら、自分を殺した相手がまだこの世界に存在していたら、やっぱり許せないと思うし苦しむと思う。だったら、何も知らないままの方が幸せだ。


「どこで見つけたの? すぐに壊せた?」

 幽霊は俺の周りをふわふわと漂い、まるで踊るようにくるくると回る。すげえ嬉しそう。その彼女を視線で追いかけながら、俺は小さく笑った。

「見つけたのは本当に偶然です。でも、何とかなりました。リカルド先生が頑張ってくれたので」

「リカルド先生。ああ、あの……ちょっと怖い人ね」

「怖いですか?」

「学園の夜中の見回りで会ったことあるけど、邪魔だから消してやろうかって言われたことあるわ。それからわたし、彼を見つけたら逃げるようにしてる」

 ――何を言ってるんだ、先生は。

 でもまあ、幽霊なんかがうろついていたら邪魔かな。

 俺が唸っていると、彼女はくすくすと笑いながら俺の前であるのかどうか解らない足をとめた。

 俺の顔を覗き込む彼女の目には、虹彩というものがない。ぼんやりとした穴のようにも見えて、ちょっと怖い。


 そしてつい、訊いた。


「成仏はできなさそうですか?」

「じょうぶつ?」

 ああ、そうか。この世界には仏という存在がいない。何て言うべきなのか首を傾げながら続ける。

「神様のところに行って、新しい命をもらったりとかはできないんですか? 生まれ変わったりとか」

「生まれ変わり、ね」

 ちょっとだけ幽霊は困惑したように身体を引いた。「でも、まだこの世界にはわたしの身体を使った魔道具は存在しているみたいだし。それがなくなったら、わたしもこの世界から消えるのかも。よく解らないわ」

「え」


 まだ存在している。

 ……って、あ!


 リカルド先生が買取しようとしている呪具は、カフェオレさんが造ったやつだ。ブルーハワイの家に眠っていたもの。

 その中に、もしかしたらあるかもしれないってこと?

 っていうか、それを壊さない限り成仏できないんだろうか、この子は。

 それに、俺が使っている短剣だってそうだ。凄く便利だから手放したくはないが、いざとなったら……?

 ぐるぐると色々なことを考えこんでいると、幽霊は怪訝そうに首を傾げる。このまま黙っていても、どうせ後で知ってしまうだろう。

 だから、少しだけ伝えることにした。

「わたしがあなたからもらった短剣もそうですが……その。リカルド先生が、大量の魔道具を買い取る予定なんです。それがおそらく、あなたの探している人の造ったものじゃないかと……その、言われていて」

「え?」

 その時、彼女は少しだけ動きをとめた気がした。動揺したのかもしれない。辺りの空気が揺らいで、意味の解らない不安が俺の中に芽生えた。

「その魔道具を壊さないと、あなたは救われないんですか?」

 そう問いかけると、彼女は動きをとめたまま言った。

「見てみないと解らないし、見ても解らないかも」

「なるほど」

 でも何となくだが、ちょっと厭な予感がしたのも事実だった。

 それに、呪具がすげえ力を持ったらまたブルーハワイの中にいるカフェオレさんが暴れ出すんじゃないか? ブルーハワイの家でずっと隠されていたから、大した力ももっていなかった呪具が、この学園にきて誰かに使われたら――?

「でもまあ、大変なことになったら壊せばいいだけですよね」

 俺は彼女に言うのではなく、自分に言い聞かせるように呟いてそう結論を出したのだった。


「やっぱり、ちょっと体つきが幼いからあまり色気のあるドレスは似合わないわよねえ」

 アンナマリア先生は唇を尖らせて俺の前にあるソファに座っている。

 ものは言いようですね? 体つきが幼い。貧相と言われずによかったとは思うけれども。

 その横に立ったミレーヌ先生は、可愛らしい仕草で両手を胸の前で組み、軽く首を横に振った。

「色気より可憐さが重要だと思いますよ! リカルド先生はよく解っています!」

「まあ、確かにね。昼間は淑女、夜は娼婦っていうのが一般的な男の好みなんだろうし、皆に見せるならこのくらいでいいのかもね」


 俺は幽霊とあった翌日、朝食が終わったらすぐにアンナマリア先生に呼ばれて炎の塔から引っ張り出されている。

 朝食の場にはリカルド先生もいて、食事が終わったら幽霊のことを相談しようとしていたから予定が狂ったと言っていい。

 で、学園内にある隠し部屋の一つに連れてこられて、そこに待ち合わせをしていたらしいミレーヌ先生も合流して今の展開になっているというわけだ。


 実技塔にある大ホールのそばにある隠し部屋。

 そこに引っ張り込まれ、用意してあった大きな箱を開けて見せられたのは白いドレスである。胸元にレースが使われていて、ちょっと寂しい胸もボリュームがあるように見えるデザインだ。

 ドレスの裾には銀色の糸で細かい刺繍が入れてあり、全体的にキラキラと輝くような――どうみてもウエディングドレスです。ありがとうございました。

 どうやらこれ、リカルド先生が準備しておいてくれたらしいのだ。

 何も言わないわりに、用意周到だな、あの先生。

 っていうか、アンナマリア先生とミレーヌ先生に手伝ってもらって着たわけだが、見事にサイズがぴったりである。どうやって俺の胸のサイズを知ったんだ。それとも、見れば解る程度くらいしか膨らみがないのか。

 ドレスの他にも靴やアクセサリーも用意されていて、結局それも身に着けることになる。

「この状態で、ダンスが踊れるようにならないとね」

 アンナマリア先生はニヤリと笑いつつそう言って、ヒールの高い靴を指さした。「結構、その靴で踊るのは大変よ? 女の子ってつらいわよね。でも、パーティで転ばないように、ダンスもこの格好のままで練習しましょ?」

 靴もそうですが、コルセットがきついです。

 本当、女の子ってつらい。Tシャツとジーンズで生きていける現代世界が懐かしい。そんなことを現実逃避と共に考えながら、アンナマリア先生に促されるままにこの格好で大ホールへと出て、彼女とダンスの練習に突入した。


「セクハラで訴えたいような、訴えたくないような、微妙な気持ちです」

 その日の夜、俺は夕食の場に姿を見せたリカルド先生に泣き言をいう羽目になった。身長の高いアンナマリア先生が男性パートを踊り、俺が女性パート。しかし、ちょっとエロイ感じに動く彼女の手が俺の腰に回されて、微妙な気持ちになったことは否めない。アンナマリア先生だから許すけど、男にあんな風に撫でられたらぶん殴る自信ある。

 本当にヤバいと俺が感じた時にはミレーヌ先生が割り入って助けてくれたけど、もうすでに倒錯的な世界に落ちそうで、精神的にいっぱいいっぱいである。

 まあ、色気たっぷりの大人の女性に言い寄られるようなシチュエーションなんて、滅多にないから役得だとも言えるけれど。


「ドレスは大丈夫だったか」

 先生は僅かに苦笑しつつ、俺が言いたいことを言って黙り込むまで待ってくれた。そして、落ち着いたらしい俺にそう訊いてくる。

「あ、はい、大丈夫です。その……ありがとうございます」

 きっとあのドレス、高かっただろうなあとか考える。アクセサリーも靴も、先生が準備してくれたらしいし。

 それとも、この世界にもレンタルというものが存在するのだろうか。なければ、店を開いて一発大儲けできないだろうか。

 そんな馬鹿なことを考えつつ、いつものようにダミアノじいさんも交えての夕食を取る。

 それから、幽霊のことを相談した。


「なるほど」

 話を聞き終わった先生は、小さくため息をつきながら続けた。「やはり、面倒ごとを避けるにはその幽霊とやらが邪魔ではある。導師、封印できそうですか?」

「え?」

 何故、そうなる。

 俺が驚いて先生を見つめていると、ダミアノじいさんも笑いながら頷いた。

「やってみようかのう。一応、この学園の名物みたいな幽霊じゃったが、もうそろそろ眠ってもいい頃じゃろ」

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