第106話 婚約のきっかけって
「お料理、上手なんですねえ」
鶏肉のパリパリ焼きを食べながら、うっすら頬を染めつつ幸せそうに言うのはミレーヌ先生(見た目だけ幼女)である。
じいさんとリカルド先生、そして俺といういつものメンバーに加え、今夜の夕食に一人増えているのはダミアノじいさんが呼んできたからだ。ミレーヌ先生は差し入れとして学園の食堂の人気デザートであるパンプキンパイを持ってきてくれた。それを食べるのを楽しみにしつつ、俺は久しぶりに料理の腕を振るった。
焼き立てのパン、野菜とナッツのサラダ、じゃがいものスープ、トマトのチーズ焼き。
この世界に和食が存在しないのは残念だが、これはこれで前世で言うところ映える食事、お洒落な見た目である。間違いなく俺、女子力上がってんだろ。
「やっぱり、リカルド先生のために料理を勉強しているんですか?」
にこにこと笑いつつ、結構突っ込んでくるミレーヌ先生を、俺は薄目で見つめて首を傾げた。
「いえ、そういうわけでは……」
「そうか」
って、そこでリカルド先生も反応しないでください。冷ややかな目線が痛いです。一体俺に何を求めてるんだ!
厭な汗をかきつつも、ある程度食事が進むとじいさんがミレーヌ先生に話しかけた。何の用もなく夕食に呼ぶはずがない。
彼女を呼びだした理由、それはアンナマリア先生の見張り、である。
俺に『変なこと』を教えないようにするための保険というところか。
「いいですよぉ。アンナマリア先生は放っておくと何をするか解りませんし、任せてください」
ミレーヌ先生はダミアノじいさんの言葉に頷いた後、ふと俺を見て首を傾げた。「そう言えば、身体の調子は良さそうですか? 最近、薬湯は飲んでます?」
「思い出させないでください」
俺は慌てて手を上げてそれ以上言うのを押しとどめた。せっかく夏休みの休暇のごたごたで、ダミアノじいさんから渡される不味い薬湯を飲まずに済んでいたのだ。思い出されたらまた飲まされるに決まっている。
そっと横目でじいさんを見ると、ぽん、と手を叩いて椅子から立ち上がったところだった。ほら見ろ!
「いえ、あの、わたしはとても健康で」
と、つい自分のブラウスの胸元を覗き込んで続けた。「そう言えば、昔の傷跡も消えてしまったんです。多分もう、完全に絶好調……」
しかし。
とん、と音を立ててテーブルに置かれたカップには、粘度の高そうな緑色の液体が注がれていた。顔を上げると満面の笑みのじいさんの顔があって、結局こう言う羽目になる。
「……デザートの後に飲みます……」
テンション駄々下がりの俺、言葉少なに皆の会話を聞く。
フレッシュチーズ美味いなと思いつつ、もぐもぐと口を動かしていたが、じいさんとミレーヌ先生の会話から何となく自分の状況が解ってきていた。
この夏休みで色々とあった結果、俺が人間ではなくて神具だということは全部の教師に隠しておけなくなったらしい。神具とは思えないほどに人間臭いということも皆の興味を引いているようで、婚約パーティをきっかけに仲良くなりたいと考えている人も多いんだとか。
それに、浮いた噂の一つもないリカルド先生と神具である俺の婚約、というのはなかなかのセンセーショナルを巻き起こした。でも、リカルド先生は人間嫌いだと思われていたようで、人間じゃない相手との結婚なら納得だという人もいるようだ。納得すんなよ。
「学園長は嬉しいみたいですよね」
ミレーヌ先生が果実水を飲みつつ言う。「優秀な先生と、滅多に見ることのできない神具がグラマンティ魔法学園にいる、ということで、今後の入学希望者が増えるかもしれないと言ってます」
俺は客寄せパンダかよ。
俺は鼻の上に皺を寄せつつ唸る。
あれ、でも。
何か違和感を覚えて首を傾げる。何かがおかしい……ような。
「……そう言えば、我々の婚約って……」
何がきっかけでそうなったんだっけ、と考える。元々は、俺に興味を持たれないようにするためとかそういうものじゃなかったっけ。
神具だと誰かに気づかれれば、絶対に狙ってくる人間がいるから。
でも、もう神具だとバレているんなら、そして俺と先生の主従契約が済んでいるんだったら、狙われても何も問題ないんじゃないんだろうか。
だって、アデル殿下だってそうだったろ?
俺にはもう主がいるから、って言ったら引いてくれたわけだし。ラウール殿下みたいに、主がいても結婚だけは、としつこくなる男もいるが、きっとそれは少数のはずだ。
「別にわたしたちが婚約していなくても、主と神具であることは変わらないわけですから……あれ? 婚約している意味、ありますか?」
そう言いながら顔を上げると、リカルド先生が俺を見つめ――そして、ふっと笑った。
――やべえ、狙ってやってる!?
「こ、婚約解消すれば、わたしだって気になる女の子とそういう関係になっても許されるんじゃ」
「駄目だ」
「駄目じゃろ」
「え? 女の子が好きなんですか?」
「そうすればアンナマリア先生と初めての酒池肉林が」
「駄目だと言っているだろう」
と、そこでリカルド先生の手が伸びて、俺の鼻をつまみ上げた。
「だって、何のひゃめに」
鼻をつままれた状態なので、上手く発音ができない。先生はそんな俺を見て小さく笑う。
「仲、よろしいんですねえ」
と、感心したように笑うミレーヌ先生。
いや、これのどこが仲がいいと言えるのか問い詰めたい。
俺は先生の手を振り払い、パンプキンパイの提供準備をしに立ち上がる。すると、いつもの流れで先生も空いた皿を流しに運んできてくれる。
コーヒーも準備しつつ、俺は隣に立った先生だけに聞こえるよう、小声で訊いた。
「でも、先生もわたしじゃない方がいいのではないですか? 世の中にはジュリエッタ様のようなハイスペックな美少女がいるんですよ?」
「ハイスペック?」
「優良物件」
「なるほど」
「なるほどじゃなくてですね」
「お前は一緒にいて退屈しない。それで充分だ」
――そうかなあ。
俺は猜疑心溢れる視線を先生に向けただろう。しかし、先生は全く気にした様子もなく、準備のできたパイの皿を運んでくれた。
食事が終わると、ミレーヌ先生は「また明日よろしくお願いします」と言って部屋を出て行った。明日から早速、ドレスのことだったりパーティの打ち合わせだったり、色々やってくれるらしい。
リカルド先生は明日からまた忙しくなるようで、俺にかまっている時間はないそうだ。学園長と色々話し合って、呪具の買取の金額を手紙でブルーハワイへ送るとか言っていた。
買取が終われば、ファルネーゼ王国から大量の呪具を学園に運び込むよう手配。さらに、オスカル殿下とヴィヴィアンの様子も確認、と予定がひっきりなし。
大変っすね、と俺はちょっと他人事のように考えていた。
で、夕食の片付が済んだら久しぶりに夜中の散歩へ向かう。
ケルベロス君を連れて、暗い中庭を散策。
たまにキラキラ光るアイテムを見つけ、それを拾いながら歩き回る。
日常に帰ってくると、何だかもの凄く気が抜けてしまった。色々あったけど、やっぱり平和が一番だ。
もう大きな事件は起きないだろうという思いがあったし、最初の狙いのスローライフがすぐそこにまでやってきていると考えていた。
そう、全部終わったんだよな。
何もかもいいところに落ち着いた、そんな気がした。
適当に歩き、小さいサイズのケルベロス君が草などをかき分けて走り回っているのを見守っていると、見覚えのある姿が暗闇に浮かび上がっていることに気づいた。
そう言えば、この辺りは例のガゼボの近くだ。
頭上には煌々と輝く月、照らし出される黒い木々、花壇。
その花壇の前に立つ、揺らめくような白い影。
「お久しぶりです」
俺はそう彼女――幽霊に声をかけた。
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