第105話 詳しくお願いします!

 帰ってきたー!!


 グラマンティ学園の炎の塔の地下、じいさんの部屋に久しぶりに戻ると、俺はソファにうつ伏せに転がって全身を伸ばした。そんな俺の頭上を、大量に持ち込んだお土産が魔法によって通り過ぎていく。

 テーブルや床の上、ダイニングテーブルの上、色々なところにファルネーゼで買ってきたお菓子だったり食材だったり合成素材だったりが積まれていく。

「何か飲むかのう?」

 後から荷物を抱えて入ってきたダミアノじいさんの声を聞いて、俺はそこで起き上がり、自分が用意をするアピール。ファルネーゼで買ってきた茶葉があるから、それを試してみたかったのだ。


「リカルド先生は……学園長のところでしょうか」

 白いカップに注がれる、緑がかったお茶は緑茶を思わせて、何だかちょっとだけ懐かしく感じる。香りもそれっぽいし、と思いながらじいさんの前のテーブルに置く。

 俺、この世界にきてからお茶に少しだけ詳しくなった気がする。

 お茶の茶葉は同じでも、乾燥の仕方だったり蒸し方だったりで風味が全く違ったりする。前世ではコンビニやスーパーで簡単に手に入っていたお茶も、こちらでは保管の方法の問題とかで質のいいものを手に入れるのは難しい。だから、美味しいお茶というのは貴重だ。

 ダミアノじいさんも少しだけ疲れているようで、湯気の立つお茶を飲んでほっと息を吐くと、「美味いのう」と自然と言葉が滑り出る。

 そして、随分と時間をおいてから言った。

「そうじゃろうな。リカちゃんもしばらくは忙しいじゃろ。あれだけの呪具を買うなら、かなりの金額が動く」

「お金持ちなんですね、この学園」

「そのための貴族連中、王族連中じゃよ」

 にやりと笑ったじいさんは、向かい側のソファに座った俺をまじまじと見つめる。俺は思わず自分の顔を撫で、首を傾げた。

「しかし、お主は面白いのう。どうやってあの娘を落としたんじゃ?」

「落とした?」

 あの娘って淫乱ピンクのことか?

 俺は首を傾げたまま、まだファルネーゼにいるだろうヴィヴィアンのことを思い浮かべる。先に俺がグラマンティに帰ると言ったら、確かに不安そうな顔をして俺を見た。だから少し心残りでもあったのだ。

 リカルド先生が、陛下やオスカル殿下に色々話して、ヴィヴィアンの身の安全を約束させた。彼女自身は「オスカル殿下がいるし、大丈夫!」と笑っていたが、明らかに強がりだっただろう。

「まあ……色々ありましたから」

 俺はふと、お茶のカップを両手で包み込むようにして持ちながら、緊張感からか冷えてきた指先に熱を与える。結局、訊けなかったことがあると今更ながらに思うのだ。

 俺が『あの場』で見た、ヴィヴィアンの前世らしき姿。いじめられていたというのは、会話の流れで少しだけ聞いたけれど、実際にその姿を見てしまうと――。

 何か、同情してしまった自分がいるんだよなあ、と。


「それに、リカちゃんも落としたしのう」


 おうっ。

 俺は目を眇めて目の前のじいさんを見つめる。

 淫乱ピンクも言ってたが、本当にそうなんだろうか。ちょっと……確かに、先生の笑顔は増えた気がするが――。

「あ、主と神具だからじゃないですか?」

 とりあえず、そう逃げ道を作っておく。そして、下手にこのまま会話を続けていると冷や汗しかかけないような気がしたので、お茶を一気飲みして立ち上がり、カップを流しに片づけるとお土産の整理を始めた。

 今夜の夕食を作るにしても、お土産の食材だけではちょっと物足りないだろう。食堂に行って野菜とか肉とか分けてもらおう。

 ある意味、こんなことを考えているのは現実逃避とも言える。しかし、じいさんはそんな俺を逃がしてはくれなかった。


「生徒のいない夏休み中に婚約パーティはやるからのう、お主がよく会ってる友人とも会えないままじゃろ? ドレスを着たり化粧をしたりは自分一人でできるんじゃろうか。わしは手伝うの無理じゃし」

「えー……まあ、多少は?」

 ぎこちない動きで振り返り、じいさんに笑いかけながら俺はジュリエッタさんとダフネのことを思い出した。化粧の仕方、マナーなんかはダフネに教えてもらった。髪の毛はまだ短いし、結い上げるなんてことはしなくてもいい。

 でも多分、コルセットとかいうのは自分じゃつけられないし、胸を寄せて上げるのも無理だろう。まあ、まな板状態でも問題はないと思うが……。

 ジュリエッタさんもダフネも、夏休み中は帰省している。だから、困っても助けてはもらえない。自分でやらねばならないのだから、仕上がりは残念になるかもしれないが諦めよう。


「やっぱり不安じゃの。先生方に頼むとするか」

 鼻を鳴らしながら立ち上がったじいさんは、部屋の片づけなど放置して廊下へと出て行ってしまった。

 しかし……先生方に頼む?

 誰に?

 俺はその場でしばらく固まった後、とりあえず難しいことは考えないことにした。なるようにしかならないのだ。

 それに。

 もう、何だか俺、日常生活に戻ってきたという感じがして気が抜けていた。

 グラマンティ魔法学園の中では、ヤバい魔物とかに出会うことはないだろう。せいぜい魔蟲を倒すだけだ。何という安心感。日常万歳。

 厄介ごとを持ち込みそうなラウール殿下もブルーハワイもいないし、呪具だって全部ファルネーゼ王国に置いてきた。

 だから大丈夫!

 命の危険がありそうな事件なんてもう起きないのだ。

 少なくとも、今のところは。


「頑張っちゃうわよ、あたし」

 そうして、じいさんが部屋に連れてきたアンナマリア先生がお茶を飲みながらニヤリと笑っている現状である。

 いつも先生方――女性の先生方は、それなりに地味な服装をしているのが常だったが、夏休み中で生徒が学園内にほとんどいないこともあり、彼女は短いシャツの下によく鍛えられた腹筋を見せていて、スカートも短い上にスリット入りだ。褐色の肌がとても健康的で、目に毒だと言っても間違いじゃない。

「何を頑張るんでしょうか」

 均整の取れた体つきと、シャツを持ち上げている大きな胸を『いいなあ』と見つめつつそう訊くと、彼女は少しだけ身を乗り出してくる。

「パーティもそうだけど、結婚ともなれば女の子の一大イベントでしょ? 精一杯おしゃれして、一番の美少女になって相手を誘惑するのが当然じゃない。色々教えてあげるわよ?」

「……ええと……」

 お土産の片づけをあっという間に魔法で済ませたダミアノじいさんへと目をやって、俺はどうしたものかと悩む。

 じいさんは俺たちを放置するつもりらしい。っていうか、本当にアンナマリア先生で大丈夫なんだろうか。俺と服装とか言動の方向性が全く違うんだが!

 俺が困惑しつつ、お茶を飲むためにカップに口を付けた時、まるで狙ったかのように彼女は言う。

「あなたって処女よね?」


 ぶふう、とお茶を吹き出して、慌てて口を拭う。アンナマリア先生がしてやったり、といったような顔をしていたから、わざとその発言をしたに違いない。


「何を言っておるんじゃ、お主は」

 さすがにダミアノじいさんも聞き咎めて、俺たちの傍に立って渋い表情をして見せる。

「えー? だって、全く女の子らしくないんだもの。そう考えるのも当然でしょ?」

 不満そうに唇を尖らせて、彼女は腕を組んで見せた。「これだけの美少女なのに、色気の一つもないなんてもったいないわ。相手があの真面目なリカルド先生だと、婚前交渉なんてしないだろうし、いざ本番となって失敗したら大変じゃないの」


 ――何を!?


 俺が背中にだらだらと冷や汗をかきつつ硬直していると、アンナマリア先生が意味ありげに笑いかけてくる。

「だから、色々と教えてあげようと思って。知識はあるに越したことはないでしょ? ドレスの着付けはもちろん手伝うけど、他も……ね?」


 ――他って何ですか!?


「あ、もちろん、手取り足取り、丁寧に」


 詳しくお願いします!


 反射的にそう言いたくなったが、必死に我慢する。

 というか……。

「アンナマリア先生には恋人がいらっしゃいましたよね?」

 俺は以前会ったことのある少女を思い出した。小動物的な可愛らしさのある、小柄な少女を連れていたと思う。秘密の部屋に二人きりで会っていたあれは、女同士だとはいえ、どう見ても逢引きである。

「そうね」

 アンナマリア先生はあっさりと頷き、形のいい唇の口角を上げた。「だから、実技指導は三人じゃないと浮気になるわね」

「いい加減にするんじゃ」

 ぱしん、とアンナマリア先生の後頭部からいい音が響く。ダミアノじいさんが軽く叩いた音だ。その後頭部を両手で抑え、つまらなさそうにため息をこぼすアンナマリア先生は、「冗談なのに」と呟いた。


「経験はなくても、知識だけはあるので何とかなると……思います」

 これ以上ヤバい会話をしていると、俺の心が保ちそうにないので必死に断っておく。その必死さが伝わったのか、アンナマリア先生もこれ以上揶揄うのは諦めたらしい。

「まあ、パーティまではあと少しよね。大丈夫、準備は手伝ってあげるから」

 そう真面目な顔で締めくくってくれたので、大人しく頭を下げておいた。

 でも、じいさんの部屋を出て行く時に少しだけ俺の耳元に唇を寄せて、色気のある声で囁いてくれた。

「後で女子トーク、楽しみましょうね」

「え……」

 返事に悩んで俺の口元が引きつるも、先生はひらひらと手を振って歩いていってしまう。

 何だかアンナマリア先生は、魔物よりも手強いかもしれないと思った。

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