第104話 幕間 15 リカルド

「いい感じに育ったもんじゃのう」

 導師が大木を見上げながら顎を撫で、私もそれに頷いた。

 まだ辺りは騒然としているが、残っているのは怪我人の治療だけということもあって、誰もが安堵している空気が漂っている。

 目の前にそびえ立つ大木は、どこか神々しい気配すら放ちながら存在していた。何故こうなったのか解らない。ヴィヴィアン・カルボネラが使った呪具の種が、まるで神々の力を得たかのように神聖な気を辺りに振りまき、この城だけではなくかなり広範囲を浄化しているようだった。

「これは呪具のはずですよね?」

 私は確認のために導師に言う。「種に触れた人間の力を吸い、影響を与える。それが、まるでこの国の守護神のような――」

「触れたのがあのヴィヴィアン嬢だったからじゃろ? ああ見えて、やはり神に愛された娘であったようじゃしのう」


 ――ああ見えて。


 結構な言い草だとは思うが、否定はできない自分がいた。問題児にしか思えなかったが、やはりそれなりに役に立つ少女であったということか。

 私はふと、視線を少し離れた場所にいるヴィヴィアンに向けた。

 しかし、ケルベロスの傍にいるリヴィアとヴィヴィアンを見ると、どうしても――リヴィアに目がいった。

 リヴィアの前には、アデル殿下がいた。諦めたような笑みを浮かべつつ、そっとリヴィアから離れようとしている彼を見ると、何があったのか大体の予想はついた。

 全く、私の神具はそんなにも隙があるように見えるのだろうか。

 目を離すと誰かに言い寄られることが多すぎる。それだけ、この世界で神具と出会えることは少ないということでもある。

 いや、神具ということを抜きにしても、黙っていればリヴィアはそれなりに――。

 私が目を向けたことで、リヴィアもこちらを見た。困ったような表情が、少しだけ和らぐのが解る。そして何故か、理由も解らず私は彼女に軽く手を振った。すると、リヴィアも口元を緩めて手を振り返してくる。


 これは、予想外の状況だ。

 認めたくはないが、ここ数日で随分と私の心が騒めくようになってしまった。最初は問題のある神具だから他人には渡したくはないという単純な感情だったはずが、今はもっと複雑な想いが自分の中にある。


 その心は男性だと言われた。前世は男性として生きてきたのだと。

 その宣言通り全く女らしくないと思っていたリヴィアだが、時折、ふとした瞬間に見せる表情や仕草が弱さを含んでいることに気づいた。前世がどうあれ、今の彼女は紛れもなく女性なのだ。守りたいと感じたのはそれからだったが――。


 そこで私は意識して考えを中断させた。ため息をついてから、導師へと視線を戻すと、意味ありげに笑う彼の顔があった。

 気まずさを誤魔化すために、私は訊いた。

「これが呪具であるというからには、ただの植物ではありませんね? 回収も可能なのでは?」

「そうじゃな」

 ダミアノ導師はそこでふとヴィヴィアンに目をやり、おどけたような仕草で手招きした。ヴィヴィアンは驚いたように目を見開いた後、リヴィアに何か言った後、こちらに歩いてくる。

「お主、箱は持っておるかの?」

 導師が彼女にそう訊くと、怪訝そうに首を傾げた後、ヴィヴィアンは「ああ」とポケットを探る。そこから取り出したのは、開かれた籠のようなものだ。

「これですかー?」

「おう、そうじゃそうじゃ」

 と、導師はその小さな呪具を受け取り、まじまじと見つめる。「もう一度、種に戻すことができそうじゃの。この木が不要になれば、またここに閉じ込めればよかろう。じゃが……種に戻してしまえば」

「また、同じものが育つとは限らないと?」

 私のその問いに、導師は何度も頷いた。

「この呪具には珍しく、随分と素直に育ってくれたじゃろ? ただでさえ、この国には沈黙の盾がおる。さらに、この木の効果があれば防御は鉄壁とも言える。他国からの攻撃も、魔物からの攻撃も、あらゆる邪悪なものからの干渉も跳ねのけるじゃろう。もし、これがこの形のまま回収できれば、どの国だって喉から手が出るほど欲しがる呪具となる」


「回収は避けたい」

 そう我々の会話に口を挟んできたのは父だ。

 ずっと少し離れた場所から、私の様子を窺っているのは解っていた。だから当然の流れとも言えた。

 私は近くにゆっくりと歩み寄ってきた父を見やり、目を細めた。

「……これがこのままこの国にあれば、戦争とは無縁の地になるかもしれません。とても重要な呪具ですね」

「その通りだ」

「ええー、でも」

 そこでヴィヴィアンが眉間に皺を寄せつつ首を傾げた。「わたし、これをどこかで売って一儲けしたかったんですがー」


 ……心臓に毛でも生えているんだろうか、彼女は。

 私はじっとヴィヴィアンを見つめると、無邪気に微笑んだ彼女は両手を胸の前で組み、わざと可愛らしい仕草で続けた。この甘い声も、男性の心を揺らがせる仕草も、全て演技だ。

「だって、これはわたしがもらったんですよ? もしかしたら、これ一つで一生遊んで暮らせるかもしれないって思ってたのにー」

「無論、対価は払うつもりだ」

 父がすかさずそう言って、私はため息をつきながら額に手を置いた。ヴィヴィアンにいいように踊らされているような気がするんだが、父よ。まあ、もうどうでもいい。元々、父は自分の――国のためになるなら何でもする人間だった。

 私が無言で後ずさって導師の横に並ぶと、お疲れ様と言いたげな様子で軽く肩を叩かれた。


「何か、不思議だなあって思うんです」

 ある程度話がまとまったのか、満足そうに頬を紅潮させたヴィヴィアンが我々に近づいてきて、誰に言うともなしに言った。「本やゲームだったら、大きな事件が解決したらそれでハッピーエンド、主人公たちは幸せに暮らしました、で終わるのに、この世界はその後も色々続いていくんだなあ、って」


 何を言っているんだ、この馬鹿は。

 そう思ったのは私だけではなく、導師もだったろう。奇妙な目で導師が彼女を見やり、鼻を鳴らして次の言葉を促す。

「事件の後もこうやって色々あって、また別の話につながるなんて、考えたこともなかったから……何だかちょっと、変な気分というか」

 ヴィヴィアンも自分で何を言っているのか解っていないのか、少しずつ眉根を寄せて困ったような顔となる。そして、ぱたぱたと手を振って『何でもない』と話を終わらせた。

 そして、今までで一番と言っていいほど真剣に、まっすぐに私を見上げて微笑んだ。

「……リヴィアには感謝してるんです。だから、先生には彼女を幸せにして欲しいなって思ってます。わたしなんかが言っていい言葉じゃないけど、今の正直な気持ちです」

 私が何て返すべきか考えているうちに、彼女は軽く頭を下げ、リヴィアのところに駆けていってしまった。その背中を見つめながら、彼女は魔物に取り込まれている間に何かがあったのかと思えてならない。性格の悪さもあの木に浄化されたのかもしれない、と内心で呟いておく。


 それからは、何かと慌ただしかった。

 アデル殿下たちは我々に挨拶を済ませた後、自国へと帰っていった。『これからもいいお付き合いができれば』、と含みのある言葉を残して。


 弟の体調はそれから劇的に好転し、倒れる前と同じくらいにまで復調している。ヴィヴィアンともいい友人関係……かどうかは解らないが、それなりの関係になれたらしく、一緒に行動することが多くなった。

 ヴィヴィアンは魔力が戻ったことで、学園をやめるという選択肢が消え、安堵しているようだ。金が手に入ったらどこか遠くへ逃げる、という考えは捨てたのか、真面目に勉強をすることに決めたらしい。

 さらに、父がヴィヴィアンに接触して、何か言ったようだ。オスカルの様子がまだ不安だから、目付け役のような形で夏休みの間、もう少し滞在して欲しいとか何とか。

 意外なことに、ヴィヴィアンはそれに頷いた。

 そして、報酬として結構な金額が払われると聞いて、やはり抜け目のない少女だと呆れたのも事実である。しかし、そういった打算の上に行動している彼女のことは、それなりに信用できるとも考えた。金の力で囲い込んでしまえば、逃げられないだろう。


 夏休みのファルネーゼの休暇期間はそれほど長く予定していたものではなく、ある程度したらそれぞれ解散の予定だった。だからラウール殿下も、連れのオルフェリオ・ロレンツィと一緒にシャオラ王国へと帰ることになった。殿下はリヴィアと別れることに心残りはありそうだったが、素直に「また学園で」と言葉を残して帰っていく。


 私と導師、リヴィアは学園に帰ることにした。父はしつこく引き留めてきたが、私にも予定がある。グラマンティの学園長には、呪具の買い取りの件を伝えてあるし、金額の件ではもっと話し合わねばならないだろう。夏休みの間にそれを済ませ、買取も終わらせてしまいたかった。

 それに――。


「婚約パーティが楽しみじゃな」

 導師がそう言って、リヴィアがぎこちなく笑う。

「……そう言えば、そういう予定もありましたね」

 彼女のその表情を見ると、不本意なのがよく解る。リヴィアは私との婚約を心から望んでいるわけではないし、おそらく、私が主であるから従っているだけだ。

 だがそうだとしても、傍に置いておきたいと思う。神具であるのとはまた別の理由で。


 そして、一時的にファルネーゼの王城の大広間は呪具置き場として閉鎖し、誰も入れないように魔法をかけてから、我々はグラマンティに向かうことにした。

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