第101話 いい働きを見せてくれるか

 空間の裂け目から飛び出した瞬間に、身体が軽くなったみたいだった。自然と俺の身体は空中で回転し、そのまま地面へと降り立つ。

 巨大化したケルベロス君が心配して俺を出迎えてくれて、俺に怪我がないと知ると嬉しそうにそれぞれ鼻をこすり付けてきた。

 辺りを見回すと、魔物を取り囲んで立つ人間たちが驚いたように俺に視線を投げてくるも、緊張感を解いた様子はない。

 魔物はどうやら弱っている感じはある。その場に縫い留められたように動かず、荒い呼吸を繰り返している。時折、忌々しそうに首を振り、がちがちと歯を鳴らして威嚇することも忘れてはいない。そのため、誰もが攻撃を躊躇う状況になっている。

「無事かの!?」

 ダミアノじいさんの声が少し離れた場所から飛んでくる。その方向へ目を向けながら自分は無事だというアピールもしていると、リカルド先生が右腕を押さえつつ立ち、魔物を睨みつけているのが目に入った。

 さらに、ファルネーゼの国王陛下も、先生の横に立って唇を噛んでいる。

「あ、腕を持ってきました!」

 俺がリカルド先生とじいさんのところに駆け寄ると、じいさんは表情も変えずにそれを受け取り、リカルド先生に治療魔法をかけ始める。どうやら出血を抑える魔法をかけていたようで恐れていたほどの状態ではなかったが、それでもいつもより先生の顔色は悪かった。

 じいさんは腕をつなげ直すという治療魔法に悪戦苦闘している。かなりの魔力を消費しているのか、みるみるうちにその額から汗が伝い落ちた。それでも、魔法は完成し、じいさんの口から安堵の吐息が漏れる。

「……大丈夫ですか?」

 この切羽詰まった状況の中、この質問に意味があるのかどうかは解らない。でも、訊かずにはいられなかった。

 先生はそこで一瞬だけ俺に目をやって、ふと口元を緩める。

「お前が無事でよかった」

 笑うイケメン(ただし、怪我のせいで若干弱ってる)。

 ――おおう。

 俺が初心な女の子だったら一発で恋に落ちるところだった。やべえやべえ、っていうか、それどころじゃない!

「ヴィヴィアン様を連れてくることができませんでした。どうすれば?」

 俺がじいさんに目をやって訊くと、いつになく旗色の悪さを見せつけるような横顔がある。

「さて、どうすべきかの……」

「おじいさま!?」

「さっきは運が良かったんだ」

 そこで、リカルド先生がつながった腕を少しずつ動かしながら息を吐く。「この魔物の体内の中は通常の空間ではないんだろう。私の腕がお前のところにあったから、どこを攻撃すべきか解ったんだが――今は、ヴィヴィアン嬢がどこにいるのか解らない」

「え?」

「場所なんかどうでもいい、攻撃しまくって穴を開ければいいんだろ」

 そう口を挟んできたのは少し離れた場所に立って剣を構えているラウール殿下だ。好戦的な表情で、今にも魔物に飛び掛かりそうな雰囲気。しかし、それをブルーハワイに引き留められて苛立ってもいるようだった。

「ヴィヴィアン嬢ごと吹き飛ばすつもりかのう」

「これだから魔法騎士科は」

 じいさんと先生の言葉は短い。

 そして、それに続いたファルネーゼ国王陛下の言葉は、酷く重かった。

「無為無策、無謀とも言える。神具でも敵わないのであれば、引くのも一つの選択だ」


「父上は……陛下はいつも諦めが早いようです」

 リカルド先生が冷えた視線を陛下に向けると、陛下の眉間に皺が寄った。

「命の危険に晒されたお前を見れば、そう考えるのも仕方ないだろう。お前はこの国を背負うべき……」

「それはオスカル殿下のことですか」

 陛下の言葉を遮り、先生は心の底から厭そうな顔で続けた。「無駄話に付き合っている暇はない」


 その通りである。

 俺も先生の言葉に頷いて、拳を握る。

「そうです、時間はありません。とりあえず、攻撃しまくるという策でいくしかありませんよね?」

 俺が言うと、ラウール殿下がすげえいい笑顔で俺を見た。やめろ、俺を脳筋仲間にしようとすんな。これしか方法がないんだから仕方ないだろ。

「こうしている間にも、ヴィヴィアン様が魔物に取り込まれそうになっているんです」

 俺がリカルド先生に視線を戻してそう言うと、どこか吹っ切れたような表情の先生が小さく笑って頷いた。

「そうだな、急ごうか」

「確かに、覚悟の上で行くしかなかろう」

 じいさんもそう言って笑う。

 そうとも、ここで諦めるわけにはいかないのだ。だって俺はヴィヴィアンに約束したんだから。

「助けを連れてくると約束したんです」

 淫乱ピンクはマジ淫乱ピンクで、ジュリエッタさんの敵だったけど。俺にもよからぬことをしようとした馬鹿だけど。

 やっぱり、約束したからには守らねばいけない。


「こちらも攻撃を仕掛けます」

 そこに、男性化したアデルが声をかけてくる。どうやら彼らはリカルド先生が右腕を失って戦力外となった時、随分と頑張ってくれていたらしい。彼らの国の騎士たちも、熾烈な戦闘の結果なのか、怪我をしている人間が多かった。

「元々は我々にかけられた呪いです。あなた方だけに無茶をさせるつもりはありません。そこだけは忘れないでください」

 にこりと微笑んだアデルは、女性の肉体だった時と同じで優しかった。ただ、軽々と剣を担ぐ姿はやっぱり男性的で、ちょっとだけ『戻して』と思ったのは秘密だ。

「リカルド殿下には本当にご迷惑をおかけしています」

 アデルは申し訳なさそうに一度頭を下げる。「魔大陸の人間は、基本的に肉体も強いです。多少の怪我など問題ありません。だから、何があっても殿下を全力でお守りします。我々にもぜひ、ご命令を」


 随分と――王族とは思えないような殊勝な言葉に、先生もじいさんも驚いたように息を呑んだが、すぐに頷いて見せた。


「神具でもなんでもなります。先生、戦えますか?」

 俺が続けてそう言うと、リカルド先生は片眉を上げて笑う。馬鹿にするなと言いたげだ。

 まだそんなに顔色はよくないし、切断された右腕は元通りにくっついたとはいえ本調子ではないようだ。指先の動きに違和感があるらしく、左手で手の平を揉んで感覚を取り戻そうとしていた。

 それでも、先生は俺に右手を差し出した。

「いい働きを見せてくれるか、リヴィア」


 それから、一斉攻撃が始まった。俺はまた神具の姿となり、リカルド先生が先陣を切って戦う。

 それを見たファルネーゼ国王陛下は、諦めたように沈黙の盾さんに色々命令し、もっと小刻みに盾の力を操っていく。動きが鈍いとはいえ、魔物の攻撃は当てられるとこちらの命が危うい。その攻撃を全て盾で防ぎ、こちらが反撃するときには盾が魔法の邪魔をしないように力を弱める。

 確かに無策、無謀だ。


 魔物は一時的に弱っていただけなのか、少しずつ力を取り戻している。それがヴィヴィアンを取り込んだ故の復活ではないと信じたい。

 切り裂かれた躰は少しずつ治ってきているし、切り落とした尾や足も生え変わっている。

 アデルや魔法騎士たちの動きも悪くはない。っていうか、あのジルベルトとかいう団長、どこかの軍神ですかって言いたくなるくらいすげえ。

 団長よりずっと年がいっているはずのダミアノじいさんだって、魔力の枯渇なんてあり得ないと言いたげなほどに活力にあふれているし、動きも他の若い連中に負けてはいない。


 それでも、確実に――ヴィヴィアンの気配が消えていくような感じが伝わってきていて怖くなるのだ。


 俺は神具の状態で必死に声を上げる。


 ――ヴィヴィアン様!


 魔物に吸収なんてさせない。ヴィヴィアンの居場所さえ解れば、そこを狙って穴を開けてやる。先生だってじいさんだって、そしてラウール殿下やブルーハワイだって、全力で戦ってくれている。

 だから、可能性はある。

 むしろ、可能性しかない。


 大体さ、何のために俺はこの世界に転生したんだよ?

 アイテム拾って金稼いでスローライフするだけじゃないだろ?

 ヴィヴィアンがゲームの主人公として転生したっていうのなら、同じ転生者の俺にだって役目があっていいはずなんだ。いいところを見せてもいいはずなんだ。

 ただのモブで終わるような男じゃない!

 俺にだって、主人公っぽい見せ場があっていいはずなんだよ!


 だから必死に意識を集中させる。盗み聞きをする時と同じように、魔力を頭の中に集めていくように耳を澄ます。

 魔物のどこにさっきの場所があるんだろう。

 絶対見つけなければ、とさらに深く意識を潜り込ませる。


 大丈夫、まだ間に合う。


 唐突にそう思う。理由のない希望じゃなくて、確信に似たような何か。


 リカルド先生の攻撃魔法、さらに移動魔法、宙を舞い剣を振り下ろす動き。流れるような剣技。

 そうしている間に、魔物はリカルド先生に危機感を覚えたのか攻撃をこちらに集中させるようになる。


 ぐぐぐ、と魔物の躰が大きくなった。

 前足の爪もさらに鋭く、大きな口から覗く牙もさらに伸びた。


 一瞬のフラッシュバック?

 何だかよく解らないけれど、ヴィヴィアンに呼ばれた気がした。目の前をちかちかと弾ける光と、魔物に取り込まれようとしている彼女の姿。

 泣きそうな顔。

 必死に何か言おうとしている顔。


 ――聞こえますか、ヴィヴィアン様!


 さらにそう叫ぼうとした時、リカルド先生が剣――俺で魔物の胸元を突いた。鋼のような肌を何とか切り裂き、身体ごとぶつかるようにして深く刺したその時。


 魔物の躰がさらに大きく膨れ上がる。ぼこぼこと波打つ体躯は、まるで液体が沸騰しているかのようにも見えた。

「何だ!?」

 リカルド先生が剣を抜くと、その傷口からどろどろとした液体が流れだす。それは血とは違う異臭を放っていた。

 魔物は苦痛に悶えて膝を折り、耳を劈くような咆哮を上げつつ、頭を地面へと落とす。そしてその背中がいきなり『割れる』。

「下がるんじゃ!」

 じいさんの叫びが聞こえた瞬間、目の前に閃光が弾けた。

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