第97話 呪いが解けたら

 ジルベルト団長の声に反応したのか、黒い魔物はその見た目とは予想できないくらい機敏な動きで団長に向き直る。そしてすぐに他の騎士たちが地面を蹴って襲い掛かってくると、その太い前足で地面を叩く。

 地震かと勘違いするかのような揺れ。

 体勢を崩して攻撃の勢いが緩む騎士たち。その騎士たちを魔物は襲おうとしたが、巨大な足で踏みつぶそうとしても、太くて長い尾で叩きつぶそうとしても、騎士一人一人を守っている光の盾に阻まれてそれもかなわない。弾き飛ばされる甲高い音が響くだけだ。

 そして、魔物は瞬時に狙いを変える。


 呪いを受けた二人。

 彼らは荒い呼吸のまま、床に手を突いたまま立ち上がれないでいる。その二人を守るように騎士たちが取り囲んで、構えた剣に魔力を注ぎ込んでいた。

 そんな彼らを守る盾ごと喰おうとするかのように、魔物が飛び掛かろうとして。


 二人を守ろうと、ダミアノじいさんが魔物に攻撃魔法を放つ。風魔法で空気すら切り裂く刃、さらにその魔物のあたりだけ空間を切り取り、その中で魔物ごと焼き尽くすための炎。

 魔物が上げる咆哮には、明らかに苦痛も混じっていたと思う。


 リカルド先生も俺――神具を手に大地を蹴る。魔法での跳躍は、魔物の頭上すら飛び越えそうなほどで、流れるような動きで剣は魔物の頭蓋を貫く。

 飛び散る血は黒く、しかしすぐに黒い瘴気をまき散らしつつ蒸発していった。


「アデル、立てる?」

 森男が掠れた声でそう言ったのが聞こえた。

「……大丈夫」

 そう応えたアデルの声も、掠れていた。


 俺の意識はとても鮮明に何もかもが見える。聞こえるだけじゃなく、全方向の光景が見えるのだ。

 だから、アデルと森男に起こった異変もはっきり見えた。


「剣を。わたしも戦う」

 アデルがそう言いながら立ち上がり、近くにいた騎士に声をかける。その騎士は視線だけは魔物へと向けたまま、鋭く応えた。

「殿下、お身体は?」

「呪いさえ消えてしまえば、問題ない」

「では」

 騎士が持っていた剣をアデルに渡す。騎士が使っているその剣は、男性が使うためのもの。長さも重さも結構あると思えるのに、軽々と振り、構える。

 その仕草は慣れていたし、それ以前に――女の子とは思えなかった。

 アデルの身体はそれまで小柄だった。俺より一回り小さかったはずなのに、今は身長が少し伸び、その手も腕も、大きく太くなったようだった。

「しかし、動きにくいね」

 アデルは苦笑しつつ自分のドレス姿を見下ろし、乱暴にドレスの裾を引き裂いた。そこにおしとやかさなんてものは存在しない。破かれたドレスから見える白い足ですら、細いものの筋張っているのが解った。

 そう、まるで男の子のように。


「私は下がるよ。邪魔になるし」

 森男も軽く頭を振りながら立ち上がり、眩暈を覚えたように一度、身体を揺らがせた。そして、酷く細い手で髪の毛を掻き上げ、舌打ちする。

「こういう時、女って不利だと思うよね」

 そう言った森男は、どこか艶めかしい目つきで辺りを見回した。背の高い男性だった彼の身体は、アデルと同じように変化が起きていた。しかし、それはアデルと逆の方向に――か弱い女性の細身の肉体へと変わっていたのだ。


 それまで、彼らの近くにいた筋肉部隊たちもそうだ。

 身体が急激に縮んだのか、身に着けていた服が不格好なまでに大きい。筋肉などない――いや、それなりに鍛えているのだろう腕は見えるが、間違いなくそれは女性の腕。女性の顔立ち、体つき。


 つまり、彼らは今、性別が変わっていた。


 どゆこと?


 そう俺は訊きたかったが、それどころではない。

 リカルド先生の攻撃は正確だ。魔物っていうものには脳はないんだろうか。頭蓋を突き破って刺したはずなのに、血をまき散らしているというのに動きが鈍らない。むしろ、凶暴化して身体すら大きくなっていく。

 ダミアノじいさんがそれを見て舌打ちし、遠くで硬直していた淫乱ピンクに叫んだ。

「お主、浄化魔法は使えるかの!? 何でもいい、使えるなら魔物、結界内、どこでもいいから放つんじゃ!」

「え、あ」

 淫乱ピンクは一瞬、わたしに言ってんの? と言いたげに目を見開いた後、諦めたように左手を上げる。そして、手の平の上に魔法書を出した。


 沈黙の盾さん、すげえ活躍。

 あらゆる方向から色々な人間が攻撃している形になっているが、その人たちの前に神具の壁があり、魔物の攻撃は全て受け止める。

 じいさんは言わずもがな、凄まじい魔力でどんどん魔物を追いつめていくし、リカルド先生は『俺の力』で戦って魔物を追いつめていくし。

 そう、俺の力でな!


 ファルネーゼの魔法騎士たちだって負けてはいない。盾を使い慣れているのか、その攻撃の動きは無駄がない。

 アデルたち――ジルベルト団長率いる騎士団の連中も、もちろん統率が取れた動きで確実に攻めていき、魔物の黒い身体にも次々に裂け目が生まれていった。


 っていうか、軽くショックなのは、アデル嬢――美少女だと信じていた彼女、いや彼がその年頃の男の子らしい動きで剣を振り、勇ましい美少年っぷりを見せていたことだ。多分、これが本当の姿なんだろうと解る。呪いが解けて、元に戻っただけなのだ、多分。


 マジか……そうか、マジか……。


 呪いって肉体を弱体化するって言ってたっけ? っていうか、そうだ、恥ずかしい呪いだとか何とか言ってたはずだ。ただの弱体化だけなら、別に恥ずかしいことないよな?

 ってことは、そうか。元々は男性だったのに女の子の身体にさせられてしまった、女性だったのに筋肉ムキムキにされてしまった、うん、間違いなく恥ずかしいかもしれない。


 でも、別に正直に言ってくれたってよかったじゃん。

 そうだよな、俺が女の子に惚れられるなんてそんな美味しい話があるはずがなかったんだ!

 ぬか喜びってやつじゃん、俺。確かに警戒してたけど、ちょっとは嬉しかったのに。アデルにあんな熱っぽい目で見られて、浮かれたのも事実なのに!


 ……それに、森男は森男じゃなかった。

 女なのか。アデルの姉なのか?

 それに、街で森男と初めて会った時だって、そうと解ってしまえば納得だ。あの、流れるようなセクハラ。

 森男は、女だったから俺の胸に触るのも抵抗がなかったのか。女同士だから?

 ……そうか。


 俺が現実逃避したいと頭のどこかで考えている間にも、魔物は皆の攻撃に押されていく。

 床の上に魔物の長い尾が地響きを立てて切り落とされ、その前足も後ろ足も抉られ、肉片が散らばる。しかし、そのどれもが蒸発して消えていくと、魔物にも焦りのようなものが透けて見えるようになっていた。

 肉体が切り落とされていくごとに、魔物の力も小さくなっていく。

 地面を汚染するかのような黒い靄は、淫乱ピンクが少しずつ浄化している。そのせいもあって、魔物は受けた傷を治すのも苦労しているようだった。


 魔物はずっと、アデルと――森女じゃ似合わないから、仕方ない、これからはクレオと呼ぼう――クレオを『喰う』ことに固執していたようだった。

 隙さえあらば彼らを襲おうとしていたが、鉄壁の防御が崩せないと悟ったのだろう、攻撃対象を広げた。見境なく、次々に近くにいる騎士たちを襲い始める。その中でも、さっきまで筋肉連中だった人たち――今は女性の肉体を持った彼女たちは、魔物にとって弱者に見えたのだろう。

 クレオと一緒に後方に下がっている彼女たちは、おそらく女騎士という立場なんだろう。剣を構えてクレオを庇うようにして立っているものの、身に着けていた服が大きく、邪魔になっているようだ。若干の動きの鈍さがそこにはあった。

 それでも、彼女たちを守っている沈黙の盾は強靭だというのに、魔物はその後ろに隠れる女性たちを喰うことに必死だった。


「取り囲め!」

 アデルがそこで大きな声を上げる。それに従った騎士たちが、魔物から距離を取ってぐるりと囲い込む。そこからの一斉攻撃が始まった、その時。


 魔物は床を蹴って、上へ逃げた。

 結界の建物があるから、どんなに高く飛んでも逃げ場はない。壁や天井にぶつかる。しかし、そのぶつかったのも魔物の狙い通りだったのかもしれない。

 壁に跳ね飛ばされ、また床に落ちそうになったが、ちょうどその辺りにはヴィヴィアンが浄化魔法を展開させつつ立ち尽くしていた。


 それを上空から、大きな口を開けて――彼女を守る盾ごと喰らいついたのだ。

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