第94話 世界の滅亡を願ってみればいい
つまり、俺が生んだ子を――。
と、身体を震わせそうになるも、急に思い直す。
いやいやいや、それ以前に! 生まないからな! 俺の中にあるアイデンティティがそれを否定してるからな!
それに、いくら相手がアンブロシアという人格を持たない神具の餌だとしても、それはどうよ? 繁殖させた魔物を魔石にするのと同じ感覚なのかよ!?
やっぱり、カフェオレさんは危険人物――と危機感を覚えるも、怖がっていては駄目だろう。付け入る隙を与えることになる。
俺はリカルド先生の背後からブルーハワイの姿を見て、でもまあ、亀甲なんとかだし、怖さは半減だろうと自分に言い聞かせる。すると、何だか自分でも解らないが、微妙なツボに嵌ったのか、自分の唇が引きつり、半笑いの形を作る。
それを見たカフェオレさんが訝しそうに『何を考えている?』と言いながら俺を見つめ直した。
いや、だって、どんな恐ろしい言葉で脅そうとしても、情けない形で縛られてるし!
さらに変な笑い声が喉の奥から生まれそうになって、俺は慌てて俯いた。それを見たリカルド先生が、少しだけ慌てたように俺の肩に触れるが、大丈夫です、泣きたいわけじゃないし!
「ま、わしが許さんしの」
そこで、どうやらダミアノじいさんが何かしたらしい。ブルーハワイの額に手を置いた瞬間に、苦痛の呻き声が上がる。その後で、忌々しそうにじいさんを見上げ、ため息をこぼした。
『それで? 協力とは、私に何を望む?』
「簡単じゃ。そこの二人の魔力を取り戻させること、さらにそこの二人の呪いを解くこと」
と、じいさんはオスカル殿下と淫乱ピンク、森兄妹の方へ皺だらけの指で指し示すと、カフェオレさんはつまらなさそうに首を傾げた。
『確かに簡単すぎるな』
……ってことは、どちらも可能ってことか。
俺が顔を上げると、リカルド先生もカフェオレさんをじっと見つめている。もちろん、他の皆も。
幾分、焦らすように沈黙したカフェオレさんの額にダミアノじいさんが再度手を置くと、小さな舌打ちと共に彼の口が動いた。
『元々、そっちの二人は』
と、彼の視線がオスカル殿下と淫乱ピンクに向かう。『一時的に魔力を全部奪われただけだ。ゆっくりだが、放っておいても魔力は戻っていく。どうしても今すぐに、と希望するなら、魔石を利用すればいい』
彼はそのままぐるりと大広間を見回して、ある呪具のところで目をとめる。
それはごつい腕輪のような形をしていて、魔石を嵌め込むらしい穴が空いている。飾り気のない腕輪だから、あまり目立つ彫刻もない。
『嵌め込んだ魔石を消費して、付けた人間に相性のいい魔力だけを取り込む。ただし、無理やり魔力を受け入れることになるから多少の苦痛は伴うが』
「なるほどのう」
じいさんがそこで視線をオスカル殿下たちに投げると、緊張した様子で殿下が頷き、淫乱ピンクは「苦痛……」と苦い表情を見せている。
『まあ、その紅色はともかく、男の方は肉体が弱っているから完全に復調するまで時間がかかるだろうな』
「紅色……」
淫乱ピンクがさらに不満げに呟き、深いため息をこぼす。そして、何やらオスカル殿下に耳打ちした後で、ぎこちない笑みを浮かべた。
「殿下の前に、まずはわたしが試しますね。わたし、身体だけは丈夫ですし」
『紅色は……そうだな、お前には面白いものが一つある』
そこで唐突にカフェオレさんが何かに気づいたようで、また別の呪具に目をやった。それは、小さな鳥かごみたいなものに青白い卵みたいなものが入っている。ちょっとしたオブジェのようだ。
「……鳥でも生まれるの? 使役獣?」
ヴィヴィアンが困惑したように呟くと、カフェオレさんは首を横に振った。
『それは種だ。上手く育てば、魔力を秘めた大木となる』
「大木……」
そう言われてみれば、ヴィヴィアンは植物を育てる力があるんだった。ってことは、何かを育てるということに相性がいいのかもしれない。
『その木はお前の力を取り込んで育ち、やがて自分で魔力を放つようになる。自然と、魔力を与えたお前にも見返りがあるだろうし、それと、根を張った大地にも力を還元するだろう。その土地の守り神のような存在になる』
「えっ、何それ凄い」
純粋に驚いたように言う淫乱ピンクに、カフェオレさんはただし、と付け加えた。
『その種は、何故か光の属性を持つ人間にしか育てられない。しかも、触れた人間の欲望なども反映する種だから、お前が邪な考えを抱きつつ育てれば、邪悪なものにも変化するぞ』
う、とヴィヴィアンが言葉に詰まる。どうやら自分の性格に自信がないらしく、恐る恐るカフェオレさんに問い返す。
「邪悪って、例えばどんな?」
『世界の滅亡を願ってみればいい』
「やっぱりいらなーい」
『見返りは大きいぞ? 正しく育てば、お前は誰もがひれ伏すほどの聖女にもなれる』
そこでまた、ヴィヴィアンは「うー」と唸る。簡単に揺れる女ごころ、しかし、結局は自信のなさに負けたらしく、保留すると言った。
まあ、それが安全だろうな。
『そして、そちらの二人』
今度は森兄妹である。カフェオレさんは森男が持っている封印の箱を見やり、苦笑した。『それは多少、苦労する。胸に張り付いた呪いを神具で攻撃すれば、簡単に呪いは壊れる。だが、代わりに壊れた呪いから魔物が生まれ、お前たちを喰い殺そうとするだろう。元々、人間を苦しませて殺すための呪具だからな、色々仕掛けはあるんだ。お前たちを喰ったら、呪いはまた箱に戻り、次の獲物を待つ。それを繰り返すことで、呪いはさらに強くなる。そういうふうに造った』
「やっぱり」
アデルはそこで苦々し気に言葉を吐き出した。「そう簡単に呪いは解けないと思っていました」
『だが、大勢でかかればその魔物も殺せるだろう。多少の犠牲は出るかもしれんが、そのくらい何とでもなるだろう?』
楽し気に肩を揺らして笑っていたカフェオレさんだったが、そこで興味がだんだん失せてきたのか、ゆっくりと笑みを消した。
『自由に動けないというのは、つまらないものだな。もういい、そろそろ眠る。お前も聞きたいことは聞いただろう』
彼の視線が動き、ダミアノじいさんのところでとまる。じいさんは少しだけ悩んだ後で、軽く頷いてブルーハワイの額にまた手を置いた。僅かな魔力の流れを感じた後で、ブルーハワイの頭ががくりと垂れ、カフェオレさんの気配が消えた。
眠った、ということか。
寝ているだけなら、また呼び出せるんだろう、多分。
そんなことを考えていると、辺りにも少しずつざわめきが戻ってきた。息を詰めて見守っていた人間が、安堵する様子、こそこそと何か耳打ちしている様子も見える。
難しい表情で考えこんでいるアデルには、森男が何か耳元で囁いていて、その二人を取り囲むように筋肉騎士たちが近寄っていく。
そして、時々彼らの視線が俺に向けられるから、簡単に何を話しているのか想像できるというわけだ。
呪いを神具で攻撃すれば、簡単に壊せる。
つまり、そういうことだ。
「あの、お願いがあるのですが」
やがて、アデルがリカルド先生の前に立ち、真剣な顔で口を開いた。「あなた様の神具を、お借りできないでしょうか。一度、我が国に足を運んでいただき、そこでリヴィアの力を借りたいのです」
「あなたの国に?」
リカルド先生の声には明らかに拒絶が混ざっている。しかし、アデルも引かなかった。
「魔物が生まれてしまうというのなら、この国で呪いを壊すわけにはいきません。我が国には、優秀な魔法騎士たちがいます。そこで、戦いの準備を済ませてから呪いを壊していただきたいのです。もちろん、壊すだけで結構です。戦うのはこちらでやりますから」
先生はじっと彼女を見下ろし、しばらく何も言わなかった。
一瞬だけ、気づかわし気な視線がオスカル殿下に向かったので、ああ、多分先生は弟が心配で離れられないんだろう、と思ってしまった。
でもそれを責めることはできない。
仲違いしていたはずの弟と、やっと歩み寄れたんだろうし。
それに、オスカル殿下が無事に魔力が戻るかどうかの瀬戸際でもある。
彼の逡巡を読み取って、アデルはやがてとんでもないことを口にした。
「それなら、一度主従契約を解除していただくわけには? 主にしか使えない神具ならば、一度だけ誰か他の人間が主となれば……」
「それは駄目だ」
「駄目じゃな」
「主になるなら俺が!」
三者三様、誰が言ったのかすぐに解る言葉が重なった。先生とじいさんとラウール殿下。
そして俺はと言えば、当の本人である俺を抜きにして色々話が進んでいるような気がして、気に入らなかった。ケルベロス君を腕の中に抱き、もしゃもしゃとその喉の毛を撫でながら、面倒だからグラマンティの塔の地下に引きこもりたいなあ、と他人事のように考えていた。
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