第91話 救世主登場

「すみません、少し浮かれているみたいです。リヴィアが可愛いからですね」

 アデルはナチュラルに俺を口説くようなことを言う。女の子だけど、何と言うか……妙な含みを感じたのは気のせいだろうか。

 もしかしてアデルの恋愛対象は女の子? みたいな意味深な何かがあるような。

 それから彼女は、俺の腕を引いて他の皆のところへ行こうと促してくる。


 リカルド先生と淫乱ピンクは呪具についての話に真剣で、ブルーハワイに対して色々と質問をしていた。だから俺たちが近づいても特に反応をすることはなかった。

「オスカル殿下に使うのが不安なら、まず初めにわたしで試してもいいですよぉ」

 ヴィヴィアンはリカルド先生を見上げ、明るすぎるくらいの口調で言っている。「何か『事故』があっても、先生、守ってくれますよね?」

 と、甘えるような声で小首を傾げるのも忘れない。ここだけ見れば、まるでヒロインの鑑。

 ちなみに媚を売ってるそれ、俺の婚約者ですから、と頭のどこかで考えたものの、これもおかしい、と考え直す。


 俺、さっきからヤバいと思う。色々悩みすぎて、訳が解らなくなってきている。

 婚約者は形だけ、と思いつつも、それが色々な意味で足枷となっている。

 何で俺、男の身体に生まれ変わらなかったんだろう。肉体が男なら、こんなに悩むこともなかった。恋愛対象は女の子なんだから、好きになったら告白するのも躊躇いなど感じなかっただろう。

 今の俺は女の子だから、普通だったら恋愛対象は男、だ。それが一般的のはず。

 もしも前世だったら。

 あの日本に生活していたら、女同士、男同士の恋愛はタブーだろうし、世間体もあるから必死に異性相手の恋愛をしたんじゃないだろうか。だってそれが『普通』だからだ。普通に真面目でありたいと思っていた俺だからこそ、そういう道を選んだと思う。恋愛相手は肉体的に異性を選んだはず。


 でも今はファンタジー世界。淫乱ピンクいわく、ゲームの世界だ。

 女の子同士で恋愛したって問題は……あるかもしれないけど、多少は見逃してもらえるのでは――。


 あああ、もう、駄目だ。考えないようにしよう。


 おそらく一人で百面相をしていたらしい俺の顔を、淫乱ピンクが見つめてきて一言。

「あなた、黙っていれば可愛いと思ったけど、黙ってても駄目。おかしいわ」


 よし、腕を出せ。渾身のしっぺを喰らわせてやろう。


「魔力を引き出すのが目的と考えれば、おそらく、これだと思う」

 森男がそう言っているのが聞こえてきて、俺は思わずそちらに視線を向けた。彼もまた鑑定魔法が得意なのだろう、前に差し出した手の平の前に魔方陣を浮かび上がらせつつ、とある呪具の前で目を眇めていた。

 彼が見つめているのは水晶占いでもするんだろうか、という見た目をしている呪具だ。

 美しい彫刻が彫られている四角い台座、その上に丸い透明の球体。

「この台座の部分に、魔石を入れる場所が隠されている。そこにできるだけ質のいい魔石を入れると、それを消費して力を使用者に還元してくれる、という感じじゃないだろうか」

「でも、それには受け皿となる人間の肉体の強度も必要だと思いますよ」

 アデルが兄の言葉を引き継いで、心配そうに眉根を寄せた。「肉体が負荷に耐え切れず、取り返しのつかないことになったらどうするんですか」

「確かに」

 そこでリカルド先生は頷き、淫乱ピンクの先ほどの提案を却下した。「ヴィヴィアン嬢が使う前に、まずは私が使ってみよう。何かあった時のため、父から盾を借りる。事故が起きても、あれがいれば安全だ」


 なるほど。

 身体張ってるなあ、とは思うけれど、リカルド先生がオスカル殿下を何とかしようと必死なのは解っているから、止めはしない。頑張ってもらうことにする。

 そして、先生の魔力がもし、今より底上げされるというのなら、その流れで呪いとやらを解除する魔法を使ってもらえないだろうかとも考えた。ただでさえ強いと思われる先生がさらに強くなったら、破壊神にもなれるはず。

 だから、さっき俺がアデルに聞いた話をそこですることになる。


「呪いの解除、もしくは破壊か」

 俺の説明を聞いた先生の反応は、あまりいいものではなかった。彼は少し考えこんだ後、ずっと森男が抱えている箱を見やり、目を細めた。

「呪いがもしもその魔道具、もしくは呪具に封じられていたとしよう。ならば、そこに呪いを返すことも可能なのではないだろうか」

「呪いを返す?」

 呪い返し、というと厭なイメージが頭に浮かんでしまう。怪談とかでよくあるのは、呪いを防いだり壊そうとすれば術者に戻る、みたいなセオリーがあるじゃないかと思ったのだ。


「封印し直す、という感じだな」

 そう先生が続けて、俺のイメージとは違うことを言われたのだと気づく。

 元にあった場所に返す、ということか。つまり、箱の中にもう一度片づけてしまうわけだ。

「私がもし魔道具を造るのだとすれば、万が一のことがあった時の対策もしておく。製作者が誰にしろ、事故の後処理をしたいと考えるのは同じだろう」

 確かにその通りだ。

 で、そういう仕掛けがあるかどうか、先生なら解るだろうか、と期待を込めつつ見上げていると、俺の視線の圧に負けたらしい先生が低く唸った。

「おそらく、私の手には余る。導師に相談してみよう」

 先生は最終的に、ダミアノじいさんに手紙を出すことにした。この世界の手紙はあっという間に相手に届くから、きっと今夜中には返事がもらえるだろうと笑う彼。


 リカルド先生は、何だかんだで慎重派だと思う。危険なことには不用意に手を出さない。呪いが進行しているらしいアデルや森男は落ち着かないだろうが、慌てるとろくなことにならないと彼らも知っているのだろう。特に異論を唱えることもなく、先生の提案に従った。

 そして、いつの間にか随分と時間が経っていたこともあり、そろそろ夕食にしようと先生は俺たちの顔を見回したのだ。


 夕食はアデルたちが引き連れてきた筋肉の皆さんも一緒にテーブルについた。

 最初は「我々は護衛ですから」と彼らも遠慮したのだが、珍しく先生は重ねて言い、結局根負けした形となったようだ。

 何故だろうと思っていたら、俺の困惑に気づいたのか先生に小声で耳打ちしてくる。

「おそらく、呪いの影響を受けているのは彼らもだ。それについて何か聞いているか?」

「え? 聞いてません」

 そう言われて俺は筋肉ムキムキの護衛騎士たちの顔を見回した。

 彼らも魔法騎士らしく、体内に潜む魔力量が多いのだろうというのは気配で解る。それが当然だろうと思っていたから、何の違和感もなかった。

 でも呪いの影響って何だろう、とじっと見つめ続けていると、確かに魔力に揺らぎのようなものが感じ取れた。

 ――おお、今まで全然気づかなかった。

 やっぱり先生すげえな、と改めて見上げると、苦笑が返ってきた。

「お前も気を付けろ。多分彼らは、呪いについて全部こちらに話をしていないはずだ」


 そこで気づく。

 リカルド先生は、完全にあの兄妹を信用していないのだ、ということ。

 俺も警戒した方がいいんだろうな、と思いつつ食事のテーブルにつくと、アデル嬢が俺の左隣の椅子にいそいそと座る。そして俺の右側には淫乱ピンク。

 ある意味、両手に花といった状態なのだが、右側が残念ヒロインということを考えるとテンションが下がる。

 とりあえず、何かあったら先生に報告するのは忘れないようにしよう、と決めて食事に専念。


 そんな感じで、その夜は解散。

 呪具は大広間に置かれたまま、扉は全て魔法で封印された。調べるのはまた明日、というわけだ。

 先生は食事の後、すぐに自室へ行ってしまって手紙を書くということだったし、本当なら少しだけでも先生と色々話したかったけど我慢することにした。

 オスカル殿下の様子はどうなのかとか、俺の心の中のもやもやをどうしたらいいのかとか、いつ婚約は解消するのかとか、気になることが多すぎて、寝つきは悪かった。


 そして欠伸を噛み殺しながらの翌朝。


「救世主のわし、登場」

 という、お気楽な声と共に、朝食の場にダミアノじいさんが現れた。あまりにも自然に、リカルド先生の隣に立って俺に笑いかけてくるものだから、思わずまだ俺、夢の中かな? と首を傾げてしまった。

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